p.d.s.
thinking of you
久しぶりの投稿になります。
2022年中に仕上げることを目標に掲げていましたが、1年ほど遅れてしまいました。許容誤差です。
さて、この記事ではあるボカロPやその作品たちについて考えたことをまとめてみようと思います。話に出てくる各曲のリンクを添えておきますので、ぜひ聴いてください。
ryuryu
東北出身のボカロP・びにゅP(ryuryu)。
2008年から現在まで精力的に活動なさっており、ボカコレや無色透名祭Ⅱにも参加されています。
クリエイティブサークル「s10rw」の「r」としても活躍されています(s10rw全体がどれくらい活発なのか、正直分かっていないの図)。
リアルタイムで追えていないため、簡潔にまとめさせていただきました。
Nocturnal
一曲目。
僕がびにゅPに注目しだしたきっかけの曲から始めようと思います。
(Nocturnalとは「夜行性」を意味する英単語です)
鮭「良い曲ですね。
5拍子で綴られる雄大な世界観にすっかり没入しきってしまいました。
さて、歌詞を詳しく見てみますか…
うん、端的な表現で聴き手の想像をかき立てる歌詞ですね。
…ん?
なんでわざわざ区別したんだろう。」
ここがすごく引っ掛かりました。認識の閾値に近い色彩の変化を歌詞にした意図はなんだろうと(色覚が異常に発達した人にとっては普通に思われるのでしょうか?)。この語り手が見ている景色は、育まれた言語体系は、僕らのそれとどれだけ異なるのだろうかと。
かなり細かくものを識別できるほどに、語り手の「目」は世界を凝視しているのだと思いました。まさに夜行性の生き物の視覚そのものです。
ここまでを踏まえて、サビの歌詞を読んでみます。
なんて聡明なビジョンなんだろう!
この一節は「言語を操る際の作用機序」を限りなく精密に言語で表現したものになっているのです。素朴な音楽の中にこのようなアイデアを込めていることにとても驚きました。
それからというもの、びにゅPが書いた曲を深く知ろうと何回も同じ曲群を聴き倒したのでした。
Birthday
二曲目。
マジカルミライ(10th Aniv.)のクリエイターズマーケットにて、びにゅPにお会いしたことを思い出しました。なんとこの曲、2017年にマジミラで演奏されていたそうです(激遅)。え、知ってた?はい…
前の記事で「初音ミクの誕生日を祝う初音ミク」について記しましたね。この作品も明らかに「誕生日曲」の括りに入ることは明らかですが、一体どんなメッセージが込められているのでしょうか。聴いてみましょう。
良い曲ですね。
無理に飾らない言葉遣いが素敵です。個人的な話になりますが、最近誕生日やそのお祝いの意義を忘れかけていたんです。それらを思い出させてくれる感動の一曲でした。
ん?
初音ミク要素、どこ?
この曲、「ミクの誕生日」を祝うというよりかは、愚直なほどに「誕生日」そのものを表現しているのです。
「親」目線で語られる「子」の誕生日を祝う想いは海よりも深い慈愛に満ちており、きっとどこまでも受け継がれるものなのでしょう。感服しました。
さて、僕はここで初音ミクが歌う意味、言い換えればこの曲がマジミラで演奏された意義を探してみようと思いました。その結果がびにゅPの考えに当てはまるかどうかはさておき、考えずにはいられないのです。
上に書いた通り、『Birthday』はミクの誕生日を表立てて祝うものではありません。むしろ「誕生日」にまつわる人の想いを詩に還元した、"いい意味で"ありふれた祝福の曲です。そこに「初音ミク」というキラキラした要素の入る余地はどこにもないように思えます。しかしそれは、初音ミクをキラキラした/可愛らしいものと認識するからそう考えるのであって、僕らの先入観の一つから来るものに過ぎません。そこで、今だけは「初音ミク」にまつわるあらゆる像やミームをすっかり手放して、思索に耽りましょう。
初音ミク。初音ミクとは何でしょうか。
初音ミクは何から始まったのでしょうか。
始まりは「うたを歌うこと」にあったはずです。
歌とは、音やことばを羅列して想いを拡散するための道具で、自己実現の原始的な手段です。
初音ミクは「想いを伝える語り手」と言えるでしょう。
マジミラ運営はここに注目したのだと推察します。
初音ミクの記念すべき10回目の誕生日。そもそも誕生日とは何であって、どのような想いを抱いて迎えればよいかの一つの原型として、そして初音ミクの一つの「祝い方」として、びにゅPを選んだのでしょう。
『Nocturnal』には夜行性の、『Birthday』には誕生日の本質が詰まっていました。びにゅPの、精巧な数学にもよく似た作品たちに惹かれた僕は、また一段と深く聴き入るようになりました。
Counterclockwise
三曲目。
(Counterclockwiseとは「反時計回り」を意味する英単語。対義語にClockwiseがあります)
夢のなかの話みたいですね。
眠りについている間の脳の動向はよく判りませんが、この曲の中では記憶をさかのぼって「君」を捉えようと試み、そして失敗しています。
まるで「君に触れようとしたから、夢が覚めてしまった」ともとれる表現ですね。僕らはこれを深く考える必要がありそうです。
夢。夢とはどのようなものでしょうか。
将来や過去を夢見ることはたくさんありますが、今起こっていることを夢そのものと認識する人はいないでしょう(夢のような時間/体験と喩えるが、夢そのものとは思っていない)。
夢とは、今ここにないものなのです。
ある人はこれを「非在」とも云います。
ですから、自意識を今に置く語り手の「僕」が夢の中で「君」に到達したとき、「君」は夢であることを辞めなければならなくなり、結果として夢が覚めてしまうのです。
はかなく、もの悲しくもある曲ですね。
「はかない」や「もの悲しい」という感情は、実は夢のなかにはありません。それは歌詞のどこをとっても「僕」の心情を表す表現が見つからないことからも分かります(強いて言えば"この胸が痛む"がありますが、「痛むことでどう感じるか」は描かれていません)。夢から覚めて、初めて"想いを紡ぐ"ことや"言葉でなぞる"ことができるのであり、夢という空間世界のなかではそれが不可能だ、と解釈できます。
そうすると、夢というものは僕らが想像するよりずっと巨大なものということになります。なぜなら、僕らが夢だとはっきり認識できるものはすべて「想いを紡ぎ、それを言葉でなぞったもの」であり、それに対して(究極的な)夢というものは「意味をなくしたもの=忘れてしまったもの」をも含むからです。これが僕らが見る夢の本質なのでしょうか。
仮にそうだとして、僕らに何かできることはあるでしょうか。
忘れることは怖いです。それでは今までのことを、これから知覚するすべての出来事を何もかも記憶し続けることができたとしましょう。そうしたら「僕」と「君」の関係が良くなったり、「君」と手を少しでも長く繋いでいたりするのでしょうか。
あまりよくない想像だとわかることに時間はかからないでしょうね。
(極端な例え話は大体こうなりますよね)
それにもし完全な記憶が可能になったとしても、生身の人間にとっては蓄積する情報が多すぎます。ひとたび目を開けば、そこには無数の針のごとく光がねじ込まれるでしょう。極めて危険なものに違いありません。
夢の本質が上で述べた通りのものだとしましょう。ここで、読者の方々に一つ問いかけをします。
「では僕らは忘れたことを、自分でも語れなくなった人生の大部分を、紛れもない自己の一部として全く許容して生きていくのでしょうか?それともこの不完全な精神を改善してよりよい自己を獲得しようとするのでしょうか?」
この問いに、僕は個人としての答えを出せていません。
あるいはこの問いごとさっぱり忘れて生活していくことが、一つの解決になるのかもしれません。
一つ分かるのは、提示した問いとどのように向き合おうとも、遅かれ早かれ僕の内側からナニカが"あふれ出し"て、涙を零さずにはいられないだろうということです。
Juvenile
四曲目。
(Juvenileとは「少年少女」を意味する英単語です)
結論から書いてしまいますが、この曲は上の問いに前者の解答を与える曲です。すなわち、すべてを言葉に言い表せなくてもいいじゃないか、ということ。
言葉はいらないはずなんですが、記事としての体裁を保つためにもう少しだけ綴ります。
語り手の少年は、
すみません。
ここに来て初めて言葉をうまく繋げられなくなってきました。
(究極的な)夢とは言葉で言い表せられないもの。僕らは夢を「伝えられないこと」と覚えておくことしかできません。この文章を読み下す前から、皆さんはそのようなものに少なからず出会ってきたでしょう。たとえば、パスワードやタブー、知られたくない秘密…。
僕は今まさにそれに"いい意味で"取り込まれてしまっています。困りましたね。
とにかく『Juvenile』という曲には、一人の少年の極めて健全な精神を表現していること、あ、これです、これを伝えたかった!あとは、読者の方々の感性に委ねます。これが限界です。
Mathematics
五曲目。
お察しの方もいると思います。この曲は先ほどの問いに後者の解答を与えるものです。つまり、不確かなものが無いように言葉の世界に閉じこもる、ということ。
言葉で定義し、言葉で議論し、言葉を得る。
それが数学(Mathematics)というものです。
数学の理論が現実の感覚や物理法則から大きく離れることはめったにありません。このように自己を形成しても、うまくいけばきっと何事もなく過ごせることでしょう。ただ…
やはりナニカが"あふれ出し"てきてしまうのです。
セルフカバーで、ラスサビ前にミクの叫びが入ったパートがとても気に入っています。
この叫びは悲痛なものではなく、ナニカによるものです。意味をなくした言葉たちが、忘れてしまった情景が織りなすとりとめもない脳内信号の集合が引き起こす生体反応を、表現していると感じました。
同じ問いに対して二つの答えを見てきました。
言い忘れていましたが、どれも良い曲ですね。
Past Days Sparkle
ここまで読んでいただきありがとうございました。
このような作品たちに、ものごとの本質に出会えて、僕は幸せです。
またどこかでお会いしましょう。
余談
こぼれ話をもう少しだけ書きます。
"Mathematicsじゃない方"
びにゅPのとあるCDに『Physics』という作品が収録されています。
六曲目。
CD『Physics』の表題曲です。
(Physicsは「物理学」という意味の英単語)(再販をしてくれたらいいな、なんて)
最初に書いた通り、びにゅPのことを深く追えていない僕ですが、一つだけ推測で物を言わせてください。
この人、数理物理を専攻していたな?
「高校時代、数理科目に関心がありそれを創作に活かしている」とのことでした。(2024/8/31追記)
歌詞の至るところに理系の言い回しが散りばめられていることに気が付いたでしょうか。
時間と距離とを合わせて"離れた"と表現するのは、その分野の畑にいるということを示唆します。5番目の力(基本相互作用)についても同様です。
それから、ここには詳しく書けませんが、数学と物理の差異を描き分けるのもとてもお上手なんですよ。脱帽です。
あともう一曲だけ(2024/8/31追記)
マジミラ東京二日目お疲れさまでした。
びにゅPに会ったぞ!!!!!!!!!!!!!!
びにゅPのCDを買ったぞ!!!!!!!!!!!!!!
『Physics』再販ありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はい。満足したので、あと少しだけこの記事の続きを書きます。
七曲目。
タイトルは『Named After You』(訳:君にちなんで)。
上でも記した通り、初音ミクは「想いを伝える語り手」です。
「君」に伝えられなかった、「僕」の言えなかった気持ちを、きっとミクが届けてくれるのかもしれません。
誰に?
離ればなれになった「君」に届くのかどうかは分かりませんが、その気持ちを詩にしようとした「僕」には"届いている"のではないでしょうか。自分の口からこぼした言葉で、初めて自分の気持ちとやらに向き合えるのではないでしょうか。
自然なことだと言われればそれまでなのですが、この曲で改めてそのことを強く実感しました。筆者の人間性が欠如しているだけでは?
不思議ですね、ボーカロイドの曲なのにこれほど人間味が滲み出てくるというのは。
それでも書ききれなかった曲たち
ぜひ聴きましょう。
・「小さな心の部屋にも 灯りをともして」
・「ふわりと浮かんだ夢をまだ追いかけている」
以上です。最後までお読みいただき本当にありがとうございました。次は2024年内に投稿できればいいな。追記をしたのでこれでヨシ!!(2024/8/31)
数学専攻の者
秋鮭