福岡Uteroの話
Utero(ユーテロ)っていう、世界一好きな場所があるんすよ。福岡県中央区の清川って場所にあるライブハウス。
今、世界中を震撼させてるコロナウイルスの感染拡大を受けて、日本中のエンタメ施設が休業してる。一年中ほぼ休みなしで馬鹿みたいにイベントをやりまくってたUteroも例に漏れず、4月いっぱいお休みすることになってしまった。
そのUteroが今ドネーション(寄付金)募集のためのストアを開いてる。ドリンクチケット10枚組とか、年間フリーパスとか売ってるぞ。
俺はUteroのために何かしたい。そのためにとりあえず皆にUteroの事を知ってもらいたくて、この記事を書いてます。
薬院Utero
俺が初めてUteroでライブしたのは、2014年3月22日。忘れもしないあの日...って言いたい所なんだけど、日付めちゃくちゃ調べた。
その時俺は四国で大学生をやってたんだけど、高校時代の同級生のバンド「192週間」を手伝いに行ったのが最初だった。...まぁ、そこから4年もそのバンドで叩き続けるとは夢にも思ってなかったけども。
その頃はまだUteroは別の場所にあって、薬院の地下にひっそりと佇んでる小さいハコだった。あん時はまだ全然ライブハウス慣れしてなくて、重い防音ドアを開けた瞬間ガヤガヤしてやたら暗いくせに緑色のレーザーがえらく眩しいあの感じにビックリしたなー。あと、まず名前がいいよね。Uteroって、子宮って意味なんだよ。
移転前のUteroはステージの床にLEDか何かが仕込んであって、キラキラ光って面白かった。
192週間での俺の初ライブは別のハコだったんだけど、俺がUteroに抱いた第一印象は他のライブハウスと全然違った。
「誰が客で誰がスタッフか分かんねぇ。」
みんな酒飲んでゲラゲラ笑ってんだよね。真面目な顔してる人間がマジで1人も居ねぇ。PAの中西さんのバカ笑いがめちゃくちゃ響く。一目でスタッフだとわかるのは、受付にいたPANICSMILE吉田さんくらい。
店長の原尻さん(そんときは常連のお客さんか何かと思ってたんだけど)が、「ドラムうめぇなー!高知から来たの?すげぇな!」って褒めてくれてたのを覚えてる。
語弊があるかもしんないけど、Uteroは別にメジャーアーティストをここから送り出そうとか、シーンのレベルアップに貢献しようとかそういう雰囲気がガッツリ有るわけじゃない。スタッフとかアーティストとか客とかの境目が曖昧で、皆が皆好きな音楽やって、皆が皆それを楽しく見てる。俺も途中から原尻さんを始めとするUteroの皆に見てもらうためにドラムを練習してた気がする。それくらいUteroが好きだった。っていうか、もっともっとUteroっていう場所と仲良くなりたかったんだよね。
思えばあの頃から皆変わってない。あの頃は誰が誰やら分かんなくてオドオドしてたけど、他の場所で体感した事のないゴチャゴチャな距離感は面白かった。ライブハウスって場所に安心感を感じ出したのはUteroからだ。
清川Utero
2016年4月9日にUteroは少しだけ違う場所に移転して、最初の写真の見た目になった。地下から偶然這い出てきたように真っ黒な外観。ステージの床は光らないけど、ギザギザのゼブラ模様がいかにもって感じ。この模様は元ネタがあるって話を聞いた気がするんだけど、俺はよく知らない。
移転記念の初イベントはPANICSMILEとZAZEN BOYSのツーマンだったらしい。すげぇよな。
俺は今の場所に移転してからのUteroとの付き合いの方が長い。192週間で数え切れないくらいドラムを叩いて、そん中で数え切れない友達とか先輩方と知り合った。憧れのバンドとかアーティストも沢山見れた。SOLARっていう歴史あるバンドで叩かせてもらえたのも、Uteroがキッカケ。
VOCALOIDを使うソロ活動を始めて、初めてドラムに座らずにUteroのステージに立った時はおもろかったなぁ。全然景色が違ったし、ドラマーとして出演するときには味わえない感覚だった。
そんでライブが終わったらすぐ「来月のこの日出ない?」とか言ってくる。マジですぐ言ってくるからね。今までロックバンドでドラム叩いてた奴が急にボカロでソロライブしても、すぐ輝けるイベントを紹介してくれる。そっからまた「こんなヤベェ奴Uteroでやってたんかよ!」って人とめちゃくちゃ知り合う。何なのよこのゴチャ混ぜなハコ。
俺のUteroでの出逢いは福岡を飛び出して東京や大阪、なんならアメリカやドイツのバンドまで。これから多分火星のアイドルとかも来るんじゃねーかと思ってる。
あと、Uteroは人狼大会とかテレビゲーム大会とかもやる。アホだろ。バーチャファイター3で原尻さんに30連勝くらいした。原尻さんは本気で悔しがってた。ステージの背面の壁一面にプロジェクター映し出して鉄拳7やってるの見た時は笑い死ぬかと思った。
いつか主催イベントを開くときは、絶対Uteroでやるぞと思ってたんだけど、吉田さんの方から「そろそろイベント開く?」って言ってくれた時は嬉しかった。
Uteroには色んな場所からアーティストが来るってさっき言ったけど、多分四次元(福岡にある同名のライブハウスのことではなく)からゲストを呼んだのは俺だけなんじゃないかと思う。インターネットで知った廻転楕円体さんをUteroに呼んで、彼の作品を見て原尻さんと吉田さんが唸ってた時はスゲェ誇らしかったし幸せだった。その日のお客さんはUteroに来た事ない人達がほとんどで、俺はどっちかっていうと皆が初めてのUteroで楽しそうにしてることに感動してた。
年越しイベントも、バンドとソロで2回出た。毎年大晦日は壁にその年あったイベント内容がズラーーーッて飾ってあるんだけど、それを眺めてた中西さんが「お前今年結構Utero出てんだな。」って笑ってて、俺もデヘーって笑いながらちょっと本気で泣きそうになって危なかったんだけど、いざ年が明けてSACOYANバンドの曲で皆が幸せそうに踊ってるのを見て、結局泣いてしまった。
福岡Utero
ライブハウスってのは別に特別な空間でもなんでもなくて、何もない部屋にめちゃくちゃデカいスピーカーが置いてあるだけの空間なんだけど、それだけあれば人間は物凄いドラマを幾らでも巻き起こせる。それを教えてくれる場所は日本中に沢山あるんだろうけど、俺にとっての一番はUteroだった。
東京のライブでの出番で、一番最初に「福岡Uteroから来ました。」って言ったんだよ。左手ってアーティストは本当にUteroから生まれたし、そうなると本当の意味で俺にとっての子宮だし、Uteroが無かったら今の俺は無いと本気で思ってる。
俺は心からUteroを愛してる。この苦境にカタがついた時に、いつも通りのUteroがそこにあって欲しい。心からUteroに恩返しがしたいんだ。
スタッフの坂田さんが「Uteroは余程のことが無い限り閉まることは無いよ」って笑ってた。そのUteroが休業した。今日本は余程な状態なんだ。世界がおもんない時こそ、エンターテイナーの出番なんだ。俺達のエンターテイメントの聖地が大変なんだ。
俺も、もしUteroに万が一な事があったら、おいそれと別のライブハウスでライブなんか出来ない。俺の音楽を好きな人たち、頼むから力を貸して欲しい。
福岡シティーにUtero有り。
俺達のUteroを助けてやってくれ。