僕がナレーターになったキッカケと、ナレーターという仕事の再現性。
僕が声の仕事へ道を踏み出したキッカケは、大学時代周りの友達に「片岡くんって声いいよね」と言われることが多くなったことでした。
将来自分が仕事するなら自分の好きなことや得意なことを仕事にしたいと思っていて、そのとき「声の仕事」として思い浮かんだのが「声優」でした。
そして2011年に事務所付属の声優養成所に入所し、声優になることの大変さや楽しさを知っていきました。
養成所で僕がいたクラスは、事務所に所属している人が何人もいて、所属していなくても芝居が魅力的な生徒がたくさんいるようなクラスだったのですが、そんな芝居も人間的にもおもしろい人でも事務所のオーディションに落ちると
「おれ、もう声優諦めて実家に帰るわ」
「私、声優になるのやめて働く」
と声優になること自体を諦める、というパターンが少なくなかったんです。
声優事務所は他にもたくさんあるというのに。
声優になるというのは本当に大変なんだな、と思うと同時に
事務所に所属するしないでこうも自分の人生が左右される感覚になるのは、声のキャリア形成の上で危ういな、と思い始めました。
そんな中出会ったのが、ナレーションでした。
クラスで芝居をする際ナレーションを担当したことがあったのですが、そのとき尊敬していた講師の方から
「君はナレーションがいいね」
と言われたことがありました。
そのとき初めて自分がナレーションをすることの意味を考え始めました。
…
僕はそもそも、メシを食う仕事として声の仕事を志望しはじめた。
ナレーションは結構ギャラがいいという話を聞いたことがある。
アニメのオーディションなど事務所に所属していないとかからない話がある声優業と比べて、
調べてみると事務所に所属していなくても自分の営業力でナレーションの仕事を獲っている人がいる。
…
ナレーションという仕事が急に自分ごとになっていきました。
そして2016年にそのクラスが終わり、事務所オーディションにも落ちた僕は、養成所を卒業してナレーターになる準備を始めました。
実は養成所に通っているときからクラウドソーシングサービス(ココナラやランサーズ)で自分の声を売り始めていました。
芸名をつくり、アイコンのイラストをつくり、自分で声のビジネスを作り上げていく感覚はとても新鮮で、
自分が動けば動いた分成果が出る、というのはやり甲斐がありました。
一番最初にお金をいただいた仕事は、ダンボールや紙の印刷データを作成するシステムの紹介ナレーションでした。
百人一首を基にしたゲームで歌を必殺技のように詠み上げる
結婚式の余興動画に声を当てる
少年野球チームの選手紹介をスタジアムDJのように読み上げる
ピアノ教室の発表会で生徒と曲名をMステ風に紹介する
などいろんな仕事をやりました。
仕事はとても楽しく、充実していたのですが
クラウドソーシングサービスではマーケット相場がどうしても低くなり、500円で受けた仕事もありました。
声でメシを食うには市場を変えていかなければいけないなと思い始めました。
そこで、声で生きていく覚悟を決めるために
自分の本名と写真を使ってナレーターとして再出発し
ナレーターとしてのSNSアカウント(最初に作ったのは2017年のInstagramアカウントでした)を作って活動しはじめ、今に至ります。
国内や海外にも販路を広げて、今では十分声で生きていけるようになりました。
アニメ声優は狭き門だし、同じナレーターでもテレビナレーションでレギュラーを持ってメシを食っていくのは競争率がかなり高いです。
でも、ネットで流れるCMや企業・サービスを紹介するナレーションを主戦場にすると、結構再現性高く仕事をもらえて生活することができます。
もちろん参入する人誰もがうまくいくわけではありませんが(どんな業界でもそうですが)、「声の仕事でメシを食う」という観点ではかなり再現性が高いジャンルではないかと思います。
国内や海外のナレーターコミュニティのみんなはとてもあたたかい人が多く、ナレーションを続けるモチベーションを与えてくれます。
僕も仲間のナレーターに勇気を与え続けられる存在でありたいし、ナレーターという仕事の魅力をもっとたくさんの人に知ってほしいです。
小中学生や高校生の将来なりたい職業ランキングに入るくらい魅力的な職業にしたいと思っているし、もっとそういう風にナレーター業界側から働きかけていきたいとも思ってます。
そのためにも、もっともっとナレーターの魅力の発信を頑張っていこうと思ってます!!
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