スピードの緩急はナレーターの生命線
ナレーションにおいてスピードの緩急は「ナレーターの読みのセンスそのもの」かもしれない。
スピードの緩急によってナレーターによる情報の取捨選択のセンスが浮き彫りになるからだ。
無難に聞かせようとすると、音の拍が均一になって、綺麗な読みには聞こえるが違和感や引っ掛かりがなくなり、
自分というナレーターに替えが効く理由を与えてしまいかねない。
情報を選択することは覚悟そのものだ。
「自分はこう読む」という高らかな宣言だ。
大きく空振ることもあるかもしれない。しかし
その選択の大胆さにセンスの良さが掛け合わされば
「あなたじゃなければいけない理由」を携えて誰かが手を差し伸べてくれることがある。
センスを育てるにはとにかく打席に立ち続けるしかない。読みを選択し続けるしかない。
その「読みを選択する」ことこそ
一文に読みのスピード緩急をつけることだ。(それとピッチ幅と間)
キレイな読みを崩す覚悟でスピードの選択に一歩踏み出した時こそ、あなたがあなたというナレーターであるアイデンティティが芽生える瞬間かもしれない。