翔べ君よ大空の彼方へ 2-⓰ 皐月賞
彼は暗闇の中にいた。
眠れずにいた彼は、ベッドから起き上がり、カーテンの向こう・・・夜空に浮かぶ三日月を見上げた。
胃がキリキリと痛む。
大一番を明日に控えた重圧なのだろうか?
時刻を確認した。もうすぐ、日付が変わる。
親友は今、何を想っているのだろうか?
アイツの為にも、俺は勝たなくてはならない。最後まで全力で、ホースマンとして命を懸けて戦わなければならない。
夢を繋いでいく為に。
本当の戦いはこれからだ。
どこまで歩む事ができるだろうか。答え合わせは後からで良いだろう・・・。
彼は、未来への入り口を探していた。
競馬ファンが心踊らせる季節が今年もやってきた。
思いを、希望を込めた横断幕に力を得た、選ばれし精鋭18騎がパドックを周回している。
牡馬クラシック第1弾、皐月賞。
天候は晴れ、良馬場。風暖かく、まさに春本番・・・1番人気の支持を背負い、この戦いに参戦するゲメインシャフトと大空翔馬のコンビである。
ホープフルステークス勝利以来、3ヶ月半の休養明けで馬体重増減なし、パドックの外側を大きな歩様で堂々、周回を重ねている。
気負いは見られない。
闘志を内に秘めているのか、彼は、この舞台を大一番だと理解しているかのようだ。
その瞳は、他のどの馬よりも真っ先にゴールを駆け抜ける!その事を信じて疑わない力強さに溢れている。
やがて、彼らに騎乗する騎手達が整列した。
翔馬がゲメインシャフトの前に駆け寄り、いつもの儀式を行っている。
彼の瞳を見つめ、一言二言話しかけてから馬上の人となった。
馬は、自分以外の個体を記憶に留めておく事ができるのか?ゲメインシャフトは左右に首を振り、前走戦った相手を探しているかのようだ。
やがて、彼は目を覚ましたかのように、地下馬道への道を自らの歩様を確かめるかのように、威風堂々歩みを進めて行った。
返し馬を行った翔馬は、彼の状態が万全であることを確信した。
力が有り余っているな!翔馬は笑みを浮かべた。
まあ、出たなりで行くか!
先週、阪神で開催された桜花賞・・・騎乗馬のない翔馬であったが、土曜競馬での桜花賞出走騎手の落馬負傷により、急遽朝日厩舎の管理馬の手綱を任される事になった。
10番人気の伏兵ではあったが、果敢にハナを切り、最後の直線も粘りに粘って2着を確保、満場のファンに翔馬マジックを披露した。
そんな前週とは打って変わっての、重圧のしかかる大本命馬への騎乗。
彼は目を閉じた。
人の心は、馬に伝わる。彼のたてがみに顔を寄せ、じっと、彼の鼓動に耳を澄ませた。
その鼓動と翔馬の鼓動が重なったその瞬間、皐月の舞台が幕を開けた。
「ガシャン」
大外18番枠から好スタートを切ったゲメインシャフトは、逃げ宣言を出していた1枠2頭と主導権を争い、翔馬は勢い有り余る彼を何とか宥めながら、1コーナー入り口手前で外からインに潜り込み、前に馬の壁を作る事に成功した。
これで少しはリラックスして走れるだろう。
前を走るユーアーマインの粘り腰は前走で確認済みだ。早々にバテるとは考えにくい。強敵は後ろからの2頭・・・ホープフルステークス2着以来のバッケンレコード、そして前走弥生賞圧勝のスターダイナマイト。
2コーナー過ぎ、戦前の予想通りユーアーマインがレースの主導権を握った。
その真後ろに内からゲメインシャフト、外にスプリングステークス逃げ切り勝ちのシップウドトウ、直後に2頭の馬が並走し、末脚自慢の2頭は中団外めを追走している。
1000メートル通過、59秒0の平均ペース・・・縦長の隊列でレースは進行していく。彼はスムーズに折り合っているようだ。
3コーナー・・・主導権を握るユーアーマインが1馬身から1馬身半のリードを取った。外のシップウドトウもペースを上げる。
まだここじゃないぞ!
翔馬はその動きに幻惑されないよう、彼に指示を送った。
最終コーナー手前、馬群が凝縮し始め、中団外めを追走していた末脚自慢の2頭も、ぴったりと並走しながら先団後方まで取り付き、スパートのタイミングを見計らう事ができる位置まで押し上げた。
栄光を目指す、熱き戦いが今始まった。
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