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翔べ君よ大空の彼方へ 1-⑫ 翔ける
翔馬は、阪神競馬場でJRA所属騎手としてのデビューを迎えた。ライバルの未来と共に。
当日は、桜花賞を目指す3歳牝馬のトライアルレース、チューリップ賞が行われることもあり、競馬場には多数の観客が来場し、パドックの周りには華やかな横断幕が間断なく飾られ、パドックを周回する競走馬にも力を与えているかのような、そんな雰囲気を醸し出していた。
ただ、この日は重賞レース目当ての観客ばかりではなかった。
先月、中山競馬場で行われた騎手候補生による競馬学校チャレンジシップ最終戦・・・同着決着となった2人の真剣勝負が、スポーツ紙やニュース番組でも取り上げられた。まだデビュー前にもかかわらず、その知名度はうなぎ登りにアップした。
今日の2人のデビューを見逃すまいと、ここ阪神競馬場には数多くのファンが訪れ、固唾を呑んで2人が騎乗するレースを待っていた。
「行け!RISING SUN 未来!」
「大空へ翔け抜けろ!翔馬!」
「大志を抱く未来を照らせ!」
「地の果てまで、大空の彼方まで、
翔けてゆけ!」
ここまでのフィーバー振りは、あの天才騎手のデビュー以来ではなかろうか?
2人を応援する横断幕の数が、そのフィーバーぶりを物語っていた。
さて、当の本人達にはいささかの気負いもないように見てとれる。
2人にとって、これからは1戦1戦勝ち負けの世界。
『勝って驕らず、負けて腐らず』
常にその馬のベストの能力を発揮させ、より1つでも上の着順を目指す。
それが、騎手の仕事なのだから。
こうして2人の騎手生活1年目が始まった。
共に栗東所属の騎手であり、とにかく
『乗れる‼︎』との評判と、互いの調教師の尽力もあり、新人騎手としては異例の騎乗依頼が舞い込んだ。
新人騎手は、デビュー当初は減量騎手として扱われ、レース条件によって他の騎手よりも負担重量減となる。
勝ち星によって3キロ減から2キロ減、1キロ減となり(女性騎手は異なる)、通算31勝になった段階でG1戦への騎乗が可能となり、通算101勝に到達した段階、またはデビュー6年目以降に減量特典が消滅し、ようやく騎手として認められたことになる。
しかしながら、ようやく一流騎手を目指す為のスタートラインに立ったに過ぎない。ここからが本当の勝負なのだから。
翔馬と未来は、4月3週目までを阪神で騎乗、その後京都へと転戦、3歳牝馬の最高峰、オークスが行われる週に関東初見参を果たした。
デビューから2ヶ月強で積み上げた勝ち星は、未来28勝、翔馬27勝であった。
新人騎手がデビュー2ヶ月強で30勝近くの勝ち星を上げていること自体、まさに奇跡と言って良いだろう。
しかし、騎乗依頼が多ければ勝ち星が増えるという甘い世界ではない。
俗に言う、『馬7・人3』という言葉。
レースにおいて、馬の能力が7割、人の力が3割という意味であるが、人の能力というものが、あくまでも騎手の手綱さばき、乗り方という意味ならば、確かにそうなのかもしれない。
しかし、馬の能力を引き出すのは騎手だけではない。
その馬の個性、特徴を知り、日々体調を見極め、どのような調教を施すか、そしてどのレースを選択するか・・・。そこには調教師を始めとする、厩舎関係者の力こそ、大いに関係してくるのである。
ある競馬解説者曰く、レースにおいては『馬5・人5である』と、言い切っている。
それは、騎手だけではない、携わる全ての人々、チームとしての力があってこそ!という意味からなのだろう。
決して自らの腕だけではない。
オーナー、調教師、調教助手、厩務員、生産、育成牧場・・・その1頭に携わるすべての人達の信頼を得て、なおかつ、ベストの騎乗をすることで、勝ち星を挙げることが可能となるのだ。
その点、翔馬も未来もとにかく、『人』には恵まれていた。本人達の資質を上回る、大いなる人との縁・・・いや、それさえも、彼ら自らが呼び寄せたものなのであろう。本人達にその自覚があるのかどうかはわからないけれど。
数多くの人々の期待、託された想いを背負い、バネにして、2人は競馬場を駆け抜けて行く。
命の芽吹きを感じさせる春、太陽が空高く輝く夏、色とりどりに化粧を施す秋、息づく自然の神秘を感じる冬・・・世界中ありとあらゆる場所で、サラブレッドは駆け巡る。もちろん、ここ日本でも。
翔馬が競馬場を駆けているこの年も、数々のドラマが季節を彩っていた。
春・・・牝馬が1番人気に支持される異例の大混戦となった皐月賞では、9番人気のアルアインが鞍上の巧みな手綱さばきでインを突き抜けた。
レース前半の驚異的なハイペースも何のその、父クロフネ譲りの持久力を発揮した根性娘、アエロリットがNHKマイルカップを制した。
超スローペースを大外から捲って2番手に付け、ぴったりと折り合い脚を溜め、長い直線をそのまま押し切ったレイデオロの日本ダービー。
2段階加速のその黄金の脚に、観客は酔いしれた。
秋・・・台風21号の影響もあり、これまで見たこともない極悪馬場で行われ、各馬が限界を超えた必死の走りでゴールを目指す、過酷なレースとなった菊花賞・・・その勝ち馬の名はキセキ。
泥まみれで掴んだその栄光に、多くの人々が涙を流した。
菊花賞翌週の東京競馬場も雨。
走破タイム2分8秒3という極悪の不良馬場で行われた秋の天皇賞。その勝ち馬は、現役最強馬であるキタサンブラック。並外れた根性と高い精神力で、天皇賞連覇を成し遂げた。
そして冬・・・彼はその日、他のレースには一切騎乗せず、この1鞍に勝負を賭けていた。
レースでは得意の逃げでマイペースに持ち込み、勝負どころでペースアップ、後続を振り切って見事先頭でゴールイン。
彼は、極限の集中力で引退戦を見事勝利に導いた。
多くの観客が熱唱に酔いしれた。
翔馬は、グランプリ2日後の阪神競馬場での騎乗を終えた。落馬や騎乗停止の処分を受けることなく、無事に今年の騎乗を終えることができた事に心から安堵し、感謝した。
濃密な1年であった。
翔馬は88勝という勝ち星を積み上げた。そして・・・奇しくも、ライバルである未来も88勝。
2人の新人リーディング争いは、年末の最終週にまでもつれ込み、翔馬を1勝差で追う未来が最終レースで1着となり、デビュー前のあのレースと同じく『同着決着』となった。
神様の見えない力が、未来を後押ししたのだろうか。
関西放送記者クラブ内での意見は紛糾した。
関西所属騎手の新人賞を決定する記者クラブで、上位2名が勝利数同数というのは初めてであったからである。
翔馬を推す意見、未来を推す意見・・・それぞれが論争を繰り広げ、同時受賞も検討されたが、最終的に未来が中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞するということで意見が一致した。
グランプリの前週に中山競馬場で行われた、古馬牝馬限定のG3レースで優勝した事が決め手となった。
重賞未勝利ではあるものの、88勝のうち、新馬勝ち、未勝利勝ちが65勝を数えた翔馬には関西放送記者クラブ特別賞が贈られた。
「来年の抱負をお願いします!」
翔馬は、いつも懇切丁寧に接してくれる記者から質問を受けた。
翔馬は即答した。
「1鞍1鞍大切に。その馬が次のステージに進む事ができるよう、全力でその1勝を目指します!」
数多くのオーナーから、
『新馬、未勝利戦マイスター』と呼ばれている、彼らしい答えであった。
「来年は、重賞でのとびきりの笑顔を期待しています!」
翔馬は笑顔を浮かべた。
彼はこの年、重賞レースへの騎乗機会が1度もなかった。師匠である中田師の方針であった。
『どんな名馬も一勝から』師の座右の銘の1つである。
中田師は自厩舎の馬だけではなく、様々なオーナーや他厩舎の調教師に積極的に依頼し、愛弟子を数多くの新馬戦、未勝利戦、1勝クラスの条件戦に騎乗させた。師はこれが後に彼の財産になる事を、長い調教師生活で学んでいたから。
彼が新馬戦、未勝利戦に騎乗し、他のどの騎手よりも『勝たせる』『次のステージを見させてくれる』というその事実をその目で見た、数多くのオーナーからの彼の評価、信頼は非常に高い。彼を預かる師としては、非常にありがたい事であった。
彼は、愛弟子からプレゼントされた赤ワインをグラスに注いだ。
礼儀正しさも、謙虚さも大いなる武器だ。だが、何よりも翔馬の人を引き寄せる笑顔のルーツは一体どこにあるのだろう・・・師は喉を潤しながら調教日誌に目を通す。新年早々の出走への準備を怠るわけにはいかない。
「来年、あいつはどんな経験をするかな?」
それにしても、つくづくあの男には感謝しなければならないなぁ・・・。
師は、遠く離れた北の大地で働く、親友の顔を思い浮かべた。
「お前、あいつを弟子に取らないと、一生後悔するぞ‼︎」
確かにな・・・後悔しなくてよかったよ。
彼は笑顔を浮かべ、再びグラスに赤ワインをなみなみと注ぎ、一気に飲み干した。馬の嘶きが聞こえた。
「やれやれ」
ここにも1人、翔馬の人生に携わる男がいる。
鐘が鳴り響いた。
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