翔べ君よ大空の彼方へ　　　　　8-❶ 宿命

2024年9月28日 12:00

　米ノーベル賞作家ジョン・スタインベックの言葉。

〝天才とは蝶を追って山頂に登っている少年である〟

　ここに2頭の天才がいた。
1頭は、海が大好きなサラブレッドであった。
　彼にとっては、蝶とは広大なる海の事•••光輝く栗毛の馬体を弾ませ、風を切り裂いて、何キロも何キロも駆け続け、海を見渡す事の出来る高台に登り、その溢れんばかりの熱気を、闘志を冷ますかの如く潮風に吹かれ、そして海を、いや、海の遥か彼方を見つめるのだ。

〝あの海の向こうに戦うべき相手がいる〟

　彼は本能で、その気配を察知しているのであろう•••やがて、彼は広大なる海に向かって力強く嘶いた。

〝早くやって来い！雌雄を決しよう！〟と、叫ぶかのように。

　彼は美しい蝶を追っていた。
その蝶が主人の夢を叶えてくれる事を生まれながらに知っていたのだ。どこまでも追い続けねばならない。

　やがて、彼は意を決し飛んだ。
そして、宙を駆けた。自らが持つ、その黄金の翼を広げて。

　そして、遂に手に入れたのだ。
　主人の夢を。自身の夢を。

　彼は、大空へ向かって力強く嘶いた。
新しい世界へ飛ぶために。
　そして、この空の先にいるであろう好敵手と戦うために。

　曇天の空から、一条の美しい光が大地へと差し込んでいた。まるで、神様からのプレゼントであるかのように。

　世界最強を決めるこの世紀の一戦•••決して目を背けてはいけない！と、心の声が響き渡る。

　競馬を愛するものならば、例え現地にはいなくとも、そこには国境も、時差も
、年齢も一切不問。すべての者が今、この瞬間に思いを留めるかの如く、心も体もフランスはパリ•ロンシャン競馬場へと引き寄せられていくのであった。

　ブローニュの美しい森、堂々聳え立つロンシャン城•••一体、どれほどの競走馬が、どれほどの魂が、この歴史ある栄光の舞台を踏み、このスピードと疾走の神殿を駆け抜けたのであろうか。

　時間をかけてゆっくりと、その想いを育ててきた2頭が今、遂に相まみえたのだ
った。

　宿命という名の下に。

　王者と王者のフェースオフ•••互いの全身から発せられるオーラが、その存在を互いに知らしめたのだ。

　調教でも、競馬でも、馬自身が努力し
、そしてターフを駆ける度にその才能を目覚めさせてきた2頭が今、沸るほどの闘志を内に秘めながら、僅かばかりの距離を挟み、互いに視線を逸らさずに仁王立つ
。

　鞍上もまた視線を外さない。
自身を取り巻く人々の想いの深さを知っているから。背負っているものがあるのだから。

　B•バシュロンの強い意志を感じ取ったのであろう•••仏の王者は美しい栗毛の馬体を震わせ、全身に力を漲らせた。

　2ヶ月半振りの実戦。
〝早く俺を走らせてくれ！〟と、叫ぶかの如く。

　ファイアスターもまた然りである。
〝負けられない！〟

　いよいよ勝負の刻だ！さあ行け！持っているそのポテンシャルを信じて、どこまでも駆け抜けてゆけ！

　自分に与えられた仕事を果たそう！

　両馬は袂を分かち、レースのスタート地点へと向かった。

　ロッシは双眼鏡を手に、馬主席からその様子を見つめていた。
　彼は、その光を数度目の当たりにした事がある。しかし、今彼の目に映るのは
、2週間前とは明らかに異なる、異彩を放つ光であった。

　一条の黄金の光が、力強く輝きを放っていたのだ。