翔べ君よ大空の彼方へ 1-⑳ 意地
ドーヴィル競馬場に集まった数多くの観客の視線が、1人の若者の一挙手一投足に向けられている。
日本からやって来た、まるでマジシャンのように馬を操る若者ショーマに観客は熱狂した。
金曜日、新馬戦の2鞍をいずれも快勝、1勝クラスでは惜しくも鼻差の2着。土曜日は新馬戦の2鞍を快勝、1勝クラスで勝利を収めこの日は3勝。2日間、7鞍の騎乗で5勝を挙げていた。
そして、彼の今日の戦績は・・・
新馬戦2鞍、1勝クラス共に快勝、そして、先程行われたGⅢ1400メートル戦では、10頭立て8番人気で追い込んで3着、そしていよいよ本日のメインレース、伝統あるG1ジャックルマロワ賞に彼は挑むのである。
その事件は、本日の第2レースと第3レース終了後に起こった。
第2レース、2歳新馬戦を3馬身差で逃げ切った彼は、口取り式の為に、騎乗していた馬をウイナーズサークルへと誘導した。
その馬はかなり発汗をしており、馬上にて何らかの異変を察知したのだろう・・・口取り式を中止して、至急獣医に診断してもらったほうが良いと、彼は進言をした。
のちにその馬は軽度の心房細動を発症しており、治療を受け無事に回復した。
そして直後の第3レース、3歳上1勝クラスをまたしても逃げ切った彼は騎乗馬をウイナーズサークルへと誘導した。オーナーであるロッシ氏はとても嬉しそうな様子である。
馬上の彼はその時、ロッシ氏とは反対側の、彼から見て左側の3番目に小さな女の子が立っているのを見つけた。金髪の少女だった。生産牧場の娘さんだろうか?彼はその少女に、
「おいで!」と声を掛け、自分の前に座らせた。少女はとても嬉しそうだった。
少女は彼に、
「ありがとうございます。夢みたいです。一生の宝物にします。」と、はにかんで言った。
レース後に異常を発した馬の命を救い、勝利を飾った馬に携わった少女に大切な思い出を残してあげた・・・彼のその行いは翌日のフランス紙にも大きく取り上げられ、彼のフランスでの騎乗最終日を見ようと、ドーヴィル近郊からは数多くの観客が訪れ、本日のドーヴィル競馬場は立錐の余地もない程の超満員の観衆で埋まったのである。
名牝ムーランルージュの仔であるレザンドリーは、熱狂的なショーマニアの後押しを受けて、現在G1レース4連勝中のマイル世界最強馬サンヴァレリーを抑え、堂々の1番人気になっていた。
彼はいつものように、いつものルーティンでレザンドリーの正面に立った。そして、彼女の瞳を見つめながら語りかけた。
「一緒に頑張ろうな!日本語分かるかな?」彼は微笑んだ。
レザンドリーはじっと彼を見つめ、
『いつでもどうぞ!』と言ったかのように、その馬体を彼の横に向けて騎乗を促した。観衆が驚きの声を上げる。
まるで、彼女が彼に跪いたかのように感じたのであろうか?
その時、金髪の少女の瞳は彼だけを捉えていた。
彼と一緒に馬上にいるなんて夢のようだった。彼は今、レザンドリーに話しかけて、そして笑った。
なんて言ったのかな?
レザンドリーはきっと理解したんだわ。だって横向きになって、
「どうぞ!」って言ったから。
彼女の真摯な眼差し。
隣で少女と手を繋いでいた母親らしき女性が言った。
「エリー、そんなに緊張したらお馬さんに伝わるわよ。笑顔でいなきゃ」
母親を見上げながら、エリーはにっこりと笑った。
「大丈夫よ!ちゃんとね、お守り馬券も買ってきたの。パパとママはね、お守り馬券で出会ったのよ!」と言い、バックの中から財布を取り出し、パウチされているらしい1枚の紙片らしきものを取り出した。
「それなあに?」エリーはその紙片を受け取った。
エリーはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
14頭がキレイなスタートを切った。
7番のレザンドリーも好スタートを切り先頭を窺う。しかし、2頭が外から猛ダッシュでハナを主張する。翔馬はがっちり手綱を抑えた。
森永師はこの2カ月間、とにかくハナには立たず、馬群の中で競馬をさせる為の調教を念入りに行っていた。翔馬も3日間の調教と追い切りで、その事を第一に意識していた。
前半はとにかくリラックスさせて、残り300メートルで爆発させる。とにかく、今は我慢の時だ。
彼女は落ち着いて、ゆったりと走っている様子だ。
800メートル通過。先頭までは7馬身。
現在、後方から3番手。前は少々ハイペースであると翔馬は読んだ。出番は、ある。
レザンドリーをぴったりマークするかのように、サンヴァレリーが翔馬の真後ろで様子を伺っている。現在、国際マイルG1 4連勝中、爆発的な末脚を秘める馬。
残り400メートル。
直線馬群がバラけて、各馬追い出し態勢に入る。サンヴァレリーがレザンドリーの左横にぴったりと付いた。先頭まで5馬身。まだ、まだだ。
ギリギリまで、サンヴァレリーが動いた瞬間を。
残り350メートル。
全馬が追い出しに入った。先頭まで4馬身、横一線。サンヴァレリーはまだ動かない。翔馬もピッタリとサンヴァレリーに馬体を併せる。
残り300メートル。
サンヴァレリーが動いた。その瞬間、1テンポ遅らせてから、翔馬はアクションを起こした。
レザンドリーががっちりとハミを噛み、重心を下げ加速する。
残り200メートル。
サンヴァレリーが先頭を捉えた。わずかに遅れてレザンドリー。残り2頭の一騎打ち。翔馬は夢中で追った。
その背を追って・・・・・・。
「サンヴァレリー先頭!サンヴァレリー先頭!しかし、来た来たやって来た!ショーマがやって来た!レザンドリー!あのムーランルージュの血を受け継いだ、誇り高き貴婦人が、インを突いてやって来た!マジシャンショーマがやって来た!
残り100メートル!一騎打ちだ!
サンヴァレリー差し返す!レザンドリー頭1つ出たか?
しかし、サンヴァレリーまたも差し返す!これが王者の意地だ!サンヴァレリー突き放すか!サンヴァレリー!
しかし、しかし、レザンドリー食い下がる!
並んだ!並んだ!
レザンドリー並んだ!
レザンドリー並んだ!
サンヴァレリー!
レザンドリー!
並んだあ〜!
ど、どっちが先だあ〜⁉︎」
その瞬間、ドーヴィル競馬場はどよめきと、大興奮に包まれた。
ざわめきが静寂に変わる。
誰もが、固唾を呑んでその結末を見守っていた。
長い、長い時間だった。
やがて・・・・・・・・・決着が付いた。
観衆のどよめき、大歓声の波、波、波。まるで、この世が割れてしまう程の。
大勢の報道陣が、彼を目指して駆け出して行った。
この作品を通して、養老牧場への牧草寄付等の引退馬支援を行います。その為のサポートをしていただければ幸いです。この世界に生まれたる、すべてのサラブレッドの命を愛する皆様のサポートをお待ちしております🥹🙇