翔べ君よ大空の彼方へ 2-㉖ 涙
彼はなかなか眠れずにいた。
興奮が収まらないかのようであった。
右手を伸ばし、ボタンのスイッチを押して、電動ベッドの角度を立てる。
体がもう、食物をほとんど受け付けていない。栄養は、点滴チューブで取り入れている。
しかし、不思議だ。意識だけはしっかりと保っているのだから。
頭上のモニターが、彼の行動を逐一チェックしている。数十秒後にナースステーションから看護婦がやってくるのであろう・・・彼は笑った。
「どうしました?」やはり予想通りだ。
「大丈夫ですよ。今日の感動がね・・・なかなか眠らせてくれないんですよ」
彼女は、電子機器の数値のチェックをし、異常がないことを確認して笑った。
「凄かったですもんね!ウチの看護婦みんな泣いてましたもん。明日は一時帰宅ですよ!早く休んでくださいね」彼女は
そう声をかけ退室した。
〝あいつ・・・どんな顔してくるのやら?〟
「先生をダービートレーナーにできなくてすいません・・・」ってか?謝るシーンが目に浮かぶ。
「フフフ」彼は笑った。
明日は忙しくなりそうだな。
彼はボタンを押し、ベッドの角度を元に戻した。
まだ・・・大丈夫のはずだ。
彼は明日を夢見て、眠りに就いた。
ダービー翌日の午前10時。
5月下旬の暖かな日差しが注いでいた。馬の嘶きが柔らかい風に乗って運ばれてくる。
リビングには、彼の帰宅を心より待ちわびた人々が集まっていた。
馬主、調教師、厩務員、騎手、親友、スタッフ達・・・たくさんのホースマンが精一杯の笑顔で彼を迎えた。明らかに痩せ細り、その痛々しさに戸惑いを、心に痛みを感じながらも。
翔馬は昨日、ダービー惜敗の悔しさを押し殺し、最終レースのGII目黒記念を首差制し、見事1番人気に応えた。雪辱を果たした訳ではないのだが、思考を切り替えて騎乗できた事は何よりだった。
「ダービー・・・逃してしまいました」
頭を下げた翔馬であったが、その場にいた全員に、
「何を言ってるの、命の恩人が!かっこよかったよ!」と、言われてしまった。
師も、他の調教師も、スタッフも皆、
ダービーの騎乗を、そして直後のレースについて絶賛してくれた。特にオーナーは、昨日以上に喜びもひとしおの様子である。
「よくぞ、あの場面を察知して、息子を無事に戻してくれました。本当に感謝します!」と。
あのレース・・・全馬が無事にレースを終えた訳ではなかった。
晴れの大舞台で命を落とした1頭を思うと、胸が痛む。
彼らがレースで命を落とす事がないよう、日頃から細心の注意を払って騎乗しなくてはならない。
〝どうか天国で、好きなだけ駆ける事ができますように・・・〟
昨日の事故は、翔馬にとって改めて真摯に馬に向き合わねばならない!と、再考させる出来事であった。
ゲメインシャフトは、激戦と長い輸送の疲れも見せず、旺盛な食欲を見せていた。
サラブレッドは、厩務員との時間を多く過ごす為に、彼らには甘え本音をさらけ出す。決して話すわけでは無いのだが
。
〝騎手は俺らを叩いて走らせる、鬼みたいなもの⁉︎〟
と、思っているとは思わないけれど、中には露骨に警戒する馬もいる中で、彼は本当に人懐っこい。オーナー自身が自ら馬運車に乗り込んで移動するほど愛されているからなのか?
翔馬の姿を確認したゲメインシャフトは鼻を鳴らし、顔を擦り寄せてきた。
「コイツ、パドック歩いている時も、何かくれ!って言ってますからね。体は小さいのに、胃はデカいのかな?それよりも、昨日から他の調教師やスタッフが何度もあのパトロールビデオを見て唸ってましたよ。お前も翔馬君が鞍上で良かったな!」
彼は、貪り食うかのように人参を豪快に噛み砕いている。
「いやあ、ステッキ落としちゃったからね。全くお恥ずかしい・・・」
テニスで例えれば(例えとして正しいのかはわからないが)、スマッシュチャンスにラケットがなく、手で打ったようなものだろう。翔馬は頭を掻いた。
「でも、無事にこうやって戻ってきて、元気に人参食べているのが何よりです。本当にありがとうございます。!」
はあ・・・どこへ行ってもこそばゆい感じの翔馬であった。
久しぶりの団欒であった。
けれど・・彼には予感があった。多分、これが最後になるのではないか?
師は弟子の悲壮な表情に感じるところがあったのだろう、優しい眼差しを向けた。
「あのダービーに関しては、答え合わせはいらないな。お前は命の恩人だ。しかも、最終レースできっちり勝つとはたいしたもんだ!さすが俺の弟子だよ!」
「だから言ったろう!弟子に取らないと一生後悔するって!」産みの親がすかさず口を挟む。
「言っておくけど、育ての親は俺なんだからな!」
「・・・・・!」「・・・・⁉︎」
2人の丁々発止のやりとりに、翔馬は自然と涙がこぼれてしまった。
「どうした⁉︎」
驚いた2人が翔馬に声をかけた。言葉にならなかった。覚悟を決めたつもりでも、やはり・・・」
「悔し涙なら忘れるな!次こそだ! 来年を楽しみにしているぞ!なあに、天国に行ったら、命は永遠だからな。いつまでも、ダービー制覇の報告を待っているさ!」
翔馬は首を振った。
もうすぐ命を終えるかもしれないというのに、こんなに笑っている師は何て強いのだろうか?
人生の終わりが近づいた時、すべての物事がクリアに見通せると言う。
達観・・・なのであろうか・・・先生には今、何が見えているのだろう。
「お前は幸せだな。産みの親に育ての親、父が2人もいるもんな。母親はいないけれど、すみれさんがいるからな!俺が天国に行っても大地がいる。お前とは長い腐れ縁なんだから、こいつの方が、本当の父親さ!」
2人の父親は、目を見合わせて笑っている。
「そうさな・・・せっかくだから最後にお土産をもらおうか!」
「お土産?」
「ああ!春シーズン、残るG1レースは2つ。安田記念と宝塚記念。どっちが勝って優勝トロフィー、そこに飾ってもらおうか!」
彼はテレビの横のスペースにずらり並んだ優勝記念トロフィーを指差して言った。
「そこにスペース開いているだろう」とも。
「できれば安田の方がいいかな!」
「どうしてですか?」翔馬は首をひねった。安田記念は来週だ。翔馬は師の管理する有力馬に騎乗する。明後日の追い切りに乗って、しっかりと仕上げねばならない。それよりも、《最後》という言葉に敏感に反応してしまう。
「何故って、安田記念勝ってないってのもあるが、さっきゲメインのオーナーに聞いたんだ。馬の状態次第だけれど宝塚に使いたいって!なんといっても55キロだしな!でも、そうするとブレストとぶつかるだろ。お前がどっちに乗るか悩むし、何よりもどっちに乗っても勝つ確率上がっちゃうだろ!それじゃあ面白くないからな!」産みの親がくすりと笑っている。
それは初耳だった。
難しい問題だな・・・それにしても、勝つ確率かなり上がっちゃうって・・・今までそんな軽口言った事なかったのに。もしかして、未来が見えているのか?翔馬は思わず、笑みを溢した。
「笑ってる場合じゃないぞ!アメリカの未来くんに追い抜かれたままじゃ、あいつらの鼻を折ることができないからな!頼んだぞ‼︎」
頼んだぞ!と言われても・・・。結構なむちゃぶりだなあ・・・。
翔馬は上目遣いに彼らを見上げた。
2人はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
ううむ・・・
PS・・・いつもお目に留めて頂き、心より感謝申し上げます。次回配信は、10月4日水曜日午前8時です。ある一人のホースマンが・・・😢😢感涙必至です😭それではまたお会いしましょう😊🥺
AKIRARIKA
先程、過去のレース映像を見ていました。大逃げ特集・・・果たして、1番インパクトのある?強い?逃げ馬は誰なのだろうか?サイレンスズカ?ミホノブルボン?サニーブライアン?カブラヤオー?ツインターボ?皆さんの大好きな逃げ馬はどなたでしょうか?
〝大逃げ馬 これぞ競馬のロマンかな〟
それではまた👋👋
AKIRARIKA