
翔べ君よ大空の彼方へ 2-❺ 大人への階段
「ブルルン」
1頭の美しい白馬が、少女の丁寧なブラッシングを受けて、気持ちよさそうに鼻息を鳴らす。
「気持ちいい?フェニックス!」
少女が声を掛けると、フェニックスは、甘えて鼻面を寄せた。
エリーはこの夏、12歳になった。
一歩ずつ大人への階段を上っている。多感な時期故に、翔馬へ抱く恋の気持ちは、冷めるどころか本格化してきている今日この頃・・・最近の彼女は訳あって不機嫌になることも度々である。
家族はその理由に大いに心当たりがあるようだ。
いわゆる翔馬に関すること以外にないと推測、いや断言した。
「せっかくラブレター書いたのになあ・・・」
エリーはブラッシングの手を止めずに、白馬に愚痴を言っていた。
「ちゃんと読んでくれたと思う?フェニックス!」
白馬は少女の言葉が分かるのか、はたまた偶然か、首を横に振った。どうやら、ハエを追い払ったようであるが、
「え〜!読んでないの?フェニックス、ひどいよ〜!」
エリーは笑って、寝藁の上に横たわっている白馬に身を寄せた。
もちろん翔馬は読んでいた。
一度目も、二度目も、日本への帰国便の中で。
SNSで世界が繋がっているこの時代。
様々な情報は、あっという間に拡散し、世界を駆け巡る。
フランスにいても、翔馬の情報は手に入るのだ。
エリーは白馬の隣で、昨日届いた翔馬からの手紙を読み始めた。
エリーが翔馬の事を知ったのは、母親の陽子が日本から取り寄せている競馬雑誌に、騎手デビューをする彼の事が掲載されていたのを見つけた事が始まりだった。
エリーは、デビュー前に行われた模擬レースに騎乗している翔馬の動画を見て、その格好良さに、笑顔に一目惚れした。
それ以来、彼の騎乗するレースを欠かさずチェックし、写真やグッズ、インタビューなどを見ては、心をときめかせていた。
馬上に乗せてもらい、一緒に写真を撮ってもらった事。
目の前に翔馬が座っていた時の事。
再びフランスに来てくれた事。
そして、フェニックスに乗って勝ってくれた事・・・。
すべては幻ではなく、現実の事なのだ。
「う〜ん・・・気持ちが込もっていなかったのかな?それとも、重すぎた?」
「ブルルン」と嘶き、首を縦に振った。白馬に少女は疑いの目を向けた。
「フェニックス・・・嫌がらせでしょう!」
白馬はどこ吹く風で立ち上がり、飼桶桶に顔を入れ、もくもくと飼葉を食べ始めた。
少女は、白馬の脚元をじっと見つめていた。
フェニックスルージュのデビューは鮮烈であった。
この日のドーヴィル競馬場は、昨年のあの日と同様に立錐の余地も無いほどの超満員に膨れ上がり、人々の熱気で溢れかえっていた。
再びのマジシャン・ショーマの登場、しかもフランスが誇るあの名牝の最後の仔である美しい白馬に騎乗する事、そして全姉であるレザンドリーが昨年の雪辱を果たすのか・・・
まるで、全世界の競馬ファンがこのドーヴィルに目を向けていると言っても過言ではないほどの熱い視線が、2頭と1人の騎手に注がれていた。
先陣を切って行われた、2歳新馬戦1600メートル戦。
単勝1倍台の圧倒的1番人気で迎えた翔馬とフェニックスルージュは、先頭でゴールを駆け抜けた。
ただの1頭も、その圧倒的なスピードに付いていく事ができなかった。
まるで、先頭を走る白馬の姿に見惚れるかのように、他馬はただその姿を遠くに見つめるだけ・・・2着馬がゴールしたのは、白馬がゴールをしてからたっぷり4秒が経過してからであった。
実況アナウンサーは、一瞬の沈黙の後、絶叫した。
「フランス史上最強馬の誕生です‼︎」
歴史ある伝統のレース、ジャックルマロワ賞14頭立て、昨年の雪辱を果たせるか?レザンドリーが登場した。
ライバルのサンヴァレリーは、昨年のこのレースを最後に引退した。
昨年のこのレースの後、レザンドリーは、英国、独、米と転戦し、マイルG1を3戦、2・3・2着と、G1勝利まであと一息というところまで来ていた。
このレースが引退戦・・・鞍上にマジシャン・ショーマを迎え、人々の夢と期待を背負い、圧倒的な1番人気でレースが始まった。
先行勢を前に見ながら、翔馬はインの6番手に彼女を導いた。脚を溜めて、馬群がばらけてから、残り300メートルからが勝負だ。
レースはスローペースで進み、残り350メートル。
全馬が追い出し態勢に入る。瞬発力勝負だ。
残り300メートル。
さあ、行こう‼︎進路が空いた。
翔馬がアクションを起こしたその時、一瞬彼女がバランスを崩した。
「?」
翔馬は異変を感じた。
彼女は苦しがっているのか?手前(軸となる手脚)を何度も変えている。
実況アナウンサーは絶叫した。
「レザンドリーどうした⁉︎伸びない⁉︎レザンドリー⁉︎」
観客の悲鳴が競馬場を覆い尽くした。
翔馬は彼女を止めた。
ゴールまで残り250メートルで・・・・・・。
彼女は、レースに勝つ事はできなかった。しかし、翔馬がレースを中止した判断は間違っていなかった。
レース後の診断で、右前脚の剥離骨折が判明した。
もし、あのまま全力でゴールを目指していたなら、その結末は悲劇を生んだかもしれない。翔馬はまたも、命を救った。
勝利を掴むことはできなかったが、フランス競馬の至宝の血を守ってくれたその人に、人々は感謝を表した。
たくさんの人々に囲まれた。
「日本に帰らないでくれ‼︎」と、たくさんのファンからの熱いエールが彼に届いた。
彼が日本に帰国するその日、シャルルドゴール国際空港には、数え切れないほどのファンや競馬関係者が集まり、彼を見送った。
人々の目に涙が浮かんでいた。
翔馬は精一杯の笑顔を見せた。
「また戻ってくるよ!」と言っているかのように。
まさか、この後5年もの間、彼と会うことができないなんて、フランスの人々は誰も思いも寄らなかったであろう。
フランスに恋をした翔馬。
別れは再会の為に、騎手として成長する為に必要なもの・・・翔馬はたくさんの思いを胸に、帰国の途に着いた。

PS・・・次回配信は、7月22日土曜日午前8時です。フェニックスと翔馬が・・・。
それではまたお会いしましょう🐴🙇
AKIRARIKA
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