創作短編小説「Kill Timer」
僕は孤独だ。
今夜はいつもとは違う道を使って帰ろう。だからどうだって事もないし、何が変わるものでもない。ただ、やり場のない気持ちのおさまりを促すための遠回り。陽はとうに落ちているが幸いなことに天気はいい。そよぐ風も心地よく感じる。僕の気持ちが沈んでいることと、僕の視界に入るものが履きつぶしたスニーカーだけなことを除いては。
上京してからもうずいぶん経つ。さしたる夢を持っていたわけでもないから、「夢は諦めた」と悲観はしない。仕事の同僚ではなく、気軽につるむ友人を作らなかったので「1人は寂しい」と弱音を吐くこともない。不仲だった両親と距離を置くことが目的の上京だったから、「田舎が恋しい」とホームシックにかかることもない。
ただこの数日は散々たるものだった。
近所の僕になついていた猫が車に轢かれて死んだ。久々に再会した同級生がIT企業の社長になっていた。僕が面倒を見ていた後輩が上司になった。パソコンを新調するために貯金をおろしたら新札が1枚もなかった。花粉症になった。今になって両親が離婚したと報告してきた。彼女が僕を捨てて他に男を作った。
中でも彼女の件が一番堪えた。
人に興味のない僕でも、人並みに恋愛はしてきた。僕自身は彼女との将来を考え始めていた頃だった。だけど、彼女から別れを告げられたとき僕は引き止めなかった。
「あ、そ。そんなもんだったんだね、私って。」
それが彼女の最後の言葉だった。
引き止めたくなかったわけじゃない。だけど彼女が自分に満足していないだろうことは想像できたし、引き止めたあとに繋ぎ止める自信がなかった。僕はそういう人間だ。自分でも嫌になる。
孤独がつらいと思ったことはない。今もそうだ。だけれども、ここ数日の陰鬱な気分と恋人を失った喪失感は、自分がある程度は人間らしい感情があるという実感にもなっていた。そういうときはヤケ酒でも煽るのが定石なのだろうが生憎僕は下戸だ。だからこうして歩き続けている。
「お兄さん、ちょっとそこのお兄さんってば!」
大通りから外れた道を歩いていると自分を呼び止めようとする声が聞こえた。
「もしかして、僕を呼びました?」
「君しかいないじゃん、人通りがまばらなんだから」
そう声をかけてきた女性はフードを目深にかぶったローブ姿で、その前には小さなテーブルに水晶玉、向かい側にイスが置いてあった。顔は見えなかったが声を聞く限り女性に間違いない。
「……占い?そういうの興味無いんで」
「だろうね、そんな雰囲気をしているよ。ただ話し相手がほしい、そんな雰囲気だ。見るからに持て余している感じだし、ちょっと暇つぶしにそこに座りなよ」
……変わった占い師もいるんだな。占いは全く信じないし興味もない、普段なら無視を決め込んで相手にしないんだけど今日は少しいつもとは違った。
「当てずっぽうだろうけど、お察しの通り時間はあるな。気の利いたことでも言ってくれるのかい?」
「はっはー、思ったとおりだ、君を呼び止めて良かったよ。私もちょっと暇しててさ、占いがいらないならただでいいからさ、気の利いたことが言えるかはわからないけれどまぁ座りなよ」
「あんた変わってるな、まぁいいさ。たまには世間話の相手がほしいときもあるし……」
僕は促されるままにイスに腰掛け、占い師と向かい合った。向こうも話し相手が来たのが嬉しかったのか、フードを脱いで笑顔で話してきた。
正直、顔には出さないでいられたと思うが驚くほどに美人だった。真っ白な肌に漆黒の髪、長い睫毛が瞼を落とそうとしているようなおっとりとした眼差し、それに相反するような快活に笑う口元。細く長い首から華奢そうな体型が想像できた。
「どったの?大丈夫だって、ほんとにただでいいから。それよりさぁ、なんでこんな裏通りをぼーっと歩いてたの?失恋でもした?」
「まぁそんなとこさ、それ以外にも色々あってね。そっちこそどうなんだ、占いを商売にしてるならもっと他にいい場所があるんじゃないのか?」
「んー、別にこれ一本でご飯食べてるわけじゃないし、単なる時間つぶしの一つって感じかな。大概のことはやり尽くしたって感じ?」
「へー、まだ若そうなのにえらく達観してるんだな。何で生計立ててるのか気になるけど聞いても差し支えないか?」
「うーん、言っちゃってもいいけど、きっと信じないよ。普通の人間はまず鼻で笑っちゃうよ。まぁでも君はちょっと普通じゃないっぽいし、特別に教えてあげるよ。まずはコレを見て」
そういった占い師がテーブルに置いたのは、見た目はなんの変哲もないエアコンのリモコンだった。……バカにされてるのか?
「リモコン……だよな、設備関係の営業とか?まさかリモコンだけ売ってるわけでも無いだろうし」
「そ、リモコン。そのまさかで、このリモコンで糧を得ている。ここを見て、君にはどう見えるか教えて欲しい」
テーブルに置かれたリモコンのタイマーの設定ボタンを指差して、笑みを携えたまま聞いてくる。気のせいか、さっきまでの人懐っこさが無くなったような違和感を覚えた。
少し訝しんだが、言われるままにそこに視線を落とす。
入タイマー/Killタイマー
…………キル?シャレのつもりか?
「そっか……そんな気がしたんだよ。今の君ならそちら側だろうとね。見間違いじゃないよ、それはKillタイマー。君が思い描く任意の人間の中に入り込み、設定した時間がくると死ぬ」
「あの、ちょっといいかな。これは君の話のネタか何かかい?確かにそう見えるけれど、見えるも何もそう書いてあるからね。見たところ上から貼った感じもしないし、わざわざ印字しているみたいだ。手の混んだことをしているけど、正直言うとあまり面白くはないよ」
「いやぁ私の見る目は鈍っちゃいないね、コレを笑わずに認識できる人間は久しぶりだ。で?誰に入りたいんだい?今更になって熟年離婚した両親のどちらかかい?猫を轢いたトラックのドライバー?それとも君を捨てた女?君を出し抜いて昇進して女を奪った後輩かい?その気になれば全員だっていいんだよ?」
「ちょ、ちょっと待て!なんで君がそんなことを知っている!僕はまだ何も言っていないし、あの後輩が彼女を奪ったって!?それに気に入らない相手だとしても殺したいなんて思ったこともない!」
「本当にそうかい?人間は誰しも誰かを殺したいと願っている。それが人間の性なのさ、だから悪いってわけじゃない」
バカらしい、ツイてないにも程がある。愚痴でも吐いてスッキリしようと思ったのも期待はずれだし、いくら目を疑うほどの美人でも頭がおかしい女に付き合っていられない。席を立ち離れようとしたが、袖を掴まれ引き止められた。
「何だ?そんな話に付き合ってやれるほど物好きじゃないぜ……って」
今いる裏通りから、大通りの方を見ろと目線で促された。気が動転していたせいか言われるままに視線を向ける……おい、嘘だろ?
僕を追い抜いて昇進した後輩と、その男の腕に絡まりつくように身を寄せて楽しげにしている元彼女の姿を見てしまった。僕の頭から一瞬、思考という機能が消え去るのを感じた。
「まずはあいつかい?君の女を以前から狙っていた小賢しいガキだ、とりあえずあいつの中に入って確かめてみるかい?」
「何者だよ、あんた……」
「それを聞いてどうする?そんなことよりも知りたいことが君にはあるんじゃないのか?」
「……どうすればいい……」
「ん?」
「どうやればあいつにの中に入れる?」
「その気になったかい、いいよ、契約成立だ」
**********
「ねぇ、聞いてるぅ?」
「あ、あぁ……ごめん、少しぼーっとしてた。何の話だっけ?」
僕は一瞬意識を失ったあと、ホテルのカフェラウンジで腕に絡む重みを感じながら、久しく見覚えのなかった色気のある表情の女と雑談していた。僕の前でそんな顔をしたことあったか?
そう、僕の意識は今後輩の中にいて、僕を捨てた彼女とデートの最中だ。あの女の話を信じたわけじゃなかったが、こうなってしまったのは事実だ。信じるほかないよな……。
『たったの1時間?欲がないなぁ君は。ならその時間と入る相手を強くイメージしてその「入タイマー」ボタンを押せばいい。君は意識を失い倒れるが、体の安全は保証しよう。それもサービスの一環だからね。ちなみに一時間が経過したら、その半分の時間で自動的にKillタイマーが発動する。その対象を決めるのは君自身だ、Killタイマーが発動した瞬間に意識はもとの体に戻るし、入られていた男の意識ももとに戻る。向こうに気付かれることもないから気にしなくていいよ。報酬は事が済んだあとに精算するということで。』
正直、孤独な僕は別に死んだところで誰も悲しまない。対象を選べというならそれは自分だとそのときに決めた。1度は愛した女と、面倒を見ていた後輩だ。いくら憎く思っても……。
「で?どうするの?」
「あぁうん、次の連休のことだね。君はどうしたいの、あまり騒がしい場所は好きじゃないんじゃなかったっけ?」
「んもう、何言ってんのよ、それは過去の話でしょ?あんな陰キャラと行ったって楽しくないし、一応付き合ってたから私もそういうキャラだって合わせてただけじゃん。悪いやつじゃなかったけど、あんたのほうが断然いいわよ!それに別れさせたのあんたじゃん、これからは2人で楽しもうよ」
「そ、そうだったね……でも本当に良かったの?ちょっと先輩がかわいそうかなぁ、なんて」
「それマジで言ってんの?チョー受けるんですけど!私一応彼氏いるからって言ったのに、関係なしにグイグイきたのはそっちじゃん。あんな根暗な男より絶対俺のがいいって、強引に押し倒してきたの忘れちゃったの?もうぅ、あんな激しいの久々だったから私も燃えちゃったじゃん。仕事であいつを抜いたら正式に俺の女になってくれって言って、ほんとにそうなったんだからマジで惚れたんだよ?」
あの女の言ったことは間違いなかった……、もういい。
「それにあんただってあいつのことボロカスに言ってたじゃんか、生きてるか死んでるかわかんないとか、大したこと無いのに先輩風吹かせやがってとか、あんないい女があいつと付き合ってるのが理解できないとか、生理的に無理とか、いっそ死ねばいいのにとか……」
……わかった、もういい……もうやめてくれ……
「ねぇ、ここのホテルの部屋取ってるんでしょ?早く行こうよぅ、もうあんたじゃないと満足できないよ。あいつとヤッてて満足したことなんて1度も無かったんだから。何で私あいつと付き合ってたんだろ?人生の汚点だわぁ」
なんなんだ、人ってこんなに他人に悪意を向けられるのか?
僕が一体何をしたっていうんだ!なんでこんな奴らに死ねばいいとまで言われなけりゃ行けないんだ、僕よりも……こいつらが死ねばいいんだ……こんな奴らに気を使って、自分が死ねばいいとバカじゃないか。死にたくねえよ、こんな人生でここで死んでたまるかよ!
『はいはーい、もうすぐ時間だよー』
頭の中にあの女の声が響く。
『そろそろタイマーが切り替わるけど、どうするか決めた?』
『あぁ、決めたよ。こんな奴らのために僕が死のうなんて思ったのが間違いだった、この男に死んでもらう』
『へぇ、そうかい。女の方はどうするんだい?決めるのは1人じゃなくていいんだよ』
『そうなのか……、なら一緒に頼む』
『ははっ!そうこなくっちゃ!ならそれで成立だ、お疲れさん』
**********
目が覚めた僕は、見たことのない部屋のベッドで眠っていたようだ。
「ここは……?」
「やぁ、目が覚めたようだね。殺人者になった気分はどうだい?」
声のトーンは低いが、楽しんでいるような声で占い師の女が尋ねてきた。天井から吊り下げられた卵型のカプセル状のイスに体を預け、組まれた長い足を放り出しあやしげな笑顔をした女は、ローブ姿ではなく細身の真っ黒なスーツ姿だった。
「夢……じゃなかったんだな。僕は……」
「あぁそうさ、立派な殺人者……まだ仮だがね。あと大体15分くらいかな」
「僕は、とんでもないことをしてしまったんだな」
「なぁにを今更、なんだい?罪悪感でも感じなけりゃやってられないのかい?虫のいい話だと思うけどなぁ、それも含めて人間ってことなんだろうね」
返す言葉もない、選んだのは僕だ。後悔するくらいなら最初から話に乗らなければ良かっただけだ。物理的に手を出したわけじゃないから実感が湧かないのかもしれないけれど、僕は責任を取らなければいけない。
「なぁ、こんな場合って自首しても信じてもらえないよな?」
「そりゃそうだろ、どう説明するってんだい?不思議なタイマーを使って殺しましたとでも?まぁ止めやしないけれど止めといたほうがいいと思うよ、それよりもさ、あいつらの様子を見たくはないかい?君が殺すと決めた奴らの末路、責任の話をするなら見届けるのも責任の取り方の一つでもあると思うんだけどね」
つくづくもっともだ。直接手をくださず、知らない間に死んでしまう。それだと僕は罪を抱えられない。死んで当然とさえ思ったけど、2人の人生を閉ざすのは僕なんだ。見届けなけりゃ……
「頼む」
「ほいきた!」
水晶玉を手に取り、僕の目の前へ差し出す。それを覗き込むとぼんやりと、徐々にはっきりと後輩と元彼女の姿が見えてきた。……よりにもよって、な場面だったが。
「これはまた酷なことだ、まさか情事の真っ最中とは。どうする?消しておくかい?」
「いや……、このままでいい」
「ほんとに君は変わってるなぁ、そんな趣味まであったの?」
「そんなんじゃない」
肩をすくめてクスクスと笑っている、別にもうなんと思われようが構わないけど。
「残り時間は?」
「もうそろそろだよ……思い残しは無いかい?」
おかしなことを聞く、それはあの2人に向けるべき言葉だろう。僕は思い残ししか無いというのに。その質問の真意を聞く前に、女はカウントダウンを始めた。今までで一番の、満面の笑みで。
「……3、2、1,ゼロ。Killタイマー発動」
ドクンッ!!
「がっ!!!!」
何だ!?し、心臓が!!
「はいお疲れさーん!次に会うのは地獄だねー、いやぁ実にいいクズっぷりだったよ、お陰で今月もボーナス確定だ。感謝しないとねぇ、あーっはっはっは!」
な、何を、言って……るんだ?……羽が、生えて……?
「おっ、お前は……」
「私?見ての通り死神さ!あいつらもクズだけど、実際に他人を殺すと決意した君のクズっぷりには脱帽ものだよ!人を呪わば穴2つってね。ま、地獄できっちり苦しむこったね。あの時見えたのがKillタイマーじゃなくWillタイマーだったら君は助かったのにね。今更か。じゃぁねぇ〜バイバーイ!」
「っくしょう……こんなのって……」
全身に力が入らない、何も見えないし音も聞こえなくなってきた……なんで僕が……。
「はい、魂回収完了〜っと。本当に人間って進歩しないなぁ、いくら殺したいと思っても殺しちゃぁだめだよ、それなのに人並みに罪悪感を装おうとするんだから虫唾が走る。まぁそんなバカがいるから私も潤うんだけどねぇ〜。さてと、閻魔のおっちゃんに報告しに帰るか」
**********
「ねえねえ、そこの素敵なお二人さん。そそ、あなた達のこと。ちょっと寄ってってよ。え?占いなんて?わかってないなぁ〜、私凄腕なんだよ?
死んだ先輩の葬式には出たかい?そっちも、一応元カレなんだから墓くらい参ってやんなよ。
おっ、食いついたねぇ、ちょっと面白いものがあるんだけどさ、コレ、何だと思う?」
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