「はじめに」
「大衆演劇の歴史」
大衆演劇とはなんぞや?ということで知ってても知らなくてもいいけどお勉強の時間です(私も調べながら書いてますw)
もとは江戸時代の歌舞伎からの流れになるのですが、中村座・市村座・河原崎座の3つが幕府から保護されて常設の芝居小屋を持つことができました。この3つの座を「大芝居」と呼ぶようになります。
その他の、寺社や境内などで演じられたものが「小芝居」と呼ばれます。
江戸だけでなく、大阪・京都でも上記のような大芝居、小芝居の区別が生じたようです。
大芝居が幕府の保護や監視のもと、伝統と格式を追求していくことになるのですが、小芝居は伝統や格式よりも、より派手に見世物的に演じるような差別化をはかって、庶民に娯楽を提供する方向に舵を切ります。
大芝居、小芝居とは別に、江戸・京都・大阪の3都市以外で全国を回る旅役者も存在しており、それを指して「旅芝居」と呼んだそうです。
その後開国した日本は「諸外国に誇れる総合芸術を」という役目を大芝居に担わせようとします。また大芝居側もより堅実で高度な芝居をしたいと考え、双方の利害が一致し、大芝居の近代化が図られました。
大芝居は明治政府と松竹により保護され、「国劇」と認知され、大芝居とその他亜流(小芝居、旅芝居)の明確な線引きが生まれることになります。
大芝居は「大歌舞伎」、小芝居は「中歌舞伎」という呼び名がここで生まれました。大歌舞伎は後に今で言うところの「歌舞伎」になります。
そうなったときの他の役者たちの動きとして、「大歌舞伎」以外の人たちで新しく一座を組んだり、地方の農村歌舞伎の方たちが全国を巡業することになります。
その後明治中期に新派・仁輪加・浪花節の旅一座などと時折合同公演を行ううち、節劇というのがが生まれたそうです。
大正末期から一角の繁栄を築いていた一方、大阪はじめ西日本では(九州では特に)「節劇」と呼ばれる浪花節を舞台回しに使う演劇が流行していきます。
新劇と呼ばれるもののうち、澤田正二郎の劇団「新国劇」は大衆演劇の直接の起源の一つとされています。
『月形半平太』や『国定忠治』によって確立した剣劇は、今まで小芝居・旅芝居で演じられてきた歌舞伎の形式・形を踏まえつつも殺陣を用いた「チャンバラ時代劇」でした。そして、大衆作家と呼ばれた長谷川伸が新国劇に書き下ろした『沓掛時次郎』や『股旅草鞋』によって股旅物というジャンルが確立します。
この剣劇・股旅物を主として演じる小芝居・旅芝居の役者・劇団が、「大衆演劇」と呼ばれ始めます。
戦後はテレビの登場によりその人気は下火となっていきます。これに危機感を覚え、東京・大阪・福岡の各劇団が相互扶助の為に3つの団体を発足し、「東京大衆演劇劇場協会」・「関西大衆演劇親交会」・「九州演劇協会」の3つの団体ができました。
その中で今でもテレビで人気の梅沢劇団・梅沢富美男の登場により、冷えていた大衆演劇がマスコミの注目を浴び、再び世間に広く知られるようになったそうです。
「現在の私の所感」
そんな歴史を持つ大衆演劇ですが、業界を取り巻く環境は厳しいと思わざるを得ません。
娯楽の少ない時代に大衆の娯楽として隆盛を誇り、テレビ文化の登場後も数多くのスター役者を生みながら生き残ってきた大衆演劇ですが、今の時代は娯楽に溢れ過ぎています。
10年前と比較してみても、この短い期間でインターネットは爆発的に普及し、携帯電話はスマートフォンとなっていつでもどこでもネットへアクセスできます。
ニュース・漫画・読書・動画・ゲーム・各SNSなど、空いた時間を有効利用するためのツールとしては最強なものを殆どの人が持っています。
それでも一定数の演劇ファンは存在しており、若年層のお客さんも見受けられますが、比率的にはご年配の方が多いのも事実です。
今後「大衆演劇」を廃らせないようにするためには、今のお客さんのニーズに応えつつも新規の顧客獲得に向けて認知度を上げていかないといけません。
「言うは易し行うは難し」ですが、全国の大衆演劇の劇団さんは日々研鑽をつみ絶え間ない努力とそれに裏打ちされた「芸」で来てくださったお客さんを魅了し続けます。
その舞台の素晴らしさがもっと多くの方に届いてほしいと願っていますが、その役者さんの舞台をサポートし共に作り上げるべき裏方、「棟梁」が不足しているのも問題であると思うのです。
公演先の施設はある、演じる役者もいる、けれど小屋付きの裏方がいない……
私が思う劇場の棟梁の立場というのは、小屋(オーナー)の運営スタンスを守りつつ、演者のサポートをして円滑に効率よくより良いものを提供する双方の中間に位置するポジションだと思ってます。
その小屋の考えと演者の考えとの間に立ち、バランサーとして折り合いをつける事も棟梁にできることだとも思います(私が上手く立ち回れているかは別ですがw)
棟梁がいないことによって被る最大のデメリットとして、劇団の負担が大きいという事です。
どこの劇団でも、棟梁がいない公演先(温泉施設やホテルのステージなど)では演者として舞台に立ちつつ、大道具を動かし舞台転換を行っているので出来ることは出来るのです。
ですが劇場となると、基本は毎日昼夜公演(お芝居と舞踊ショー)があり、夜の公演が終われば遅い時間から翌日の稽古と準備が待っています。
ハード過ぎる毎日、劇場という場所だからこそ求められるクオリティ、劇場だからこそ上演できるであろう演目……そのプロ集団の助けとなるはずの裏方が絶対必要なのです。
設備は用意しました、あとはよろしく……では劇場と名乗れ無いのではないか?と常々思うのです。
だからこそ、劇場で公演を行う役者さんが「棟梁」に求める力量や期待は自然と大きくなるのも自然なことで、「現場の顔」である棟梁がベテランか新人かは役者さんにとって大きな問題です。
そこで新たな問題点が浮かび上がってくるのですが、その新人棟梁が成長するために仕事を教えてくれる先輩や上司がちゃんといるのか。
私の職場では、常に複数人の体制を維持しており、オーナー自身も舞台に精通していてどんな相談にも答えてくださいます。棟梁としてそれだけで大変恵まれた環境にいると実感しております。
この環境で私の得た知識と経験が、これからやってみようかと思っている棟梁志望の方や、頼る相手が少ない1人で棟梁をしている方の一助になれないものか?
ここ半年ほどそんな事をぼんやり考えていたのですが、どこまでの事ができるかわかりませんがやってみようと思います。
裏方は役者のサポート、だけではなく共に舞台を作り上げるビジネスパートナーです。
言われたとおりに舞台を組むだけ、じゃなくバランスの舵取りをしながら改善や提案のできる裏方になりましょう。
きっと役者さんの求める棟梁像はそこにあるはずです。
微力ながら、その手助けになることができれば嬉しいです。