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風の電話 心のレリジエンス
つい先日、ネット配信の映画「風の電話」をみた。
内容は、2011年、3月に発生した東日本大震災で家族を失い、広島の叔母のもとで暮らす17歳の少女が主人公。
ある日、突然、叔母が倒れ、自分の周りの人が誰もいなくなってしまう不安にかられた彼女は、震災以来一度も帰っていなかった故郷、岩手県の大槌町へ向かう。
そして、主人公の少女は、故郷にある「風の電話」にたどり着く。
「風の電話」とは、今は亡き大切な人と思いを繋ぐ電話として、岩手県大槌町に実在するものだそうである。
「風の電話」は、太平洋が見える風景を気に入って移住した庭師の佐々木さんという方が、2010年に死去した従兄ともう一度話をしたいとの思いから、海辺の高台にある自宅の庭の隅に白色の電話ボックスを設置したことに始まるのだそうである。
そして、東日本大震災の際、自宅から見える浪板海岸を襲った津波を目にした佐々木氏は、生存した被災者が震災で死別した家族への想いを風に乗せて伝えられるようにと敷地を整備し、祈りの像や海岸に向かうベンチを置いて「メモリアルガーデン」を併設した上で開放したものだそうである。
白い電話ボックスが庭園に立つ。
中には黒電話が置いてある。
岩手県大槌町の「風の電話」。
電話線はつながっていないが、亡き人とはつながっている。
そんな思いで訪れる人が絶えないそうである。
亡くなった人に伝えたかった思いは、必ず誰しも持っているし、伝えることにより、自分自身が救われ、また心の隙間を埋めてくれるように思えるのではないだろうか。
そして、それが、新たな人生を踏み出す上で、とても大切に思えてならない。
私自身も同じ体験をしているので、その気持ちは、とてもよく理解できるのである。
私は、2018年6月、ハワイ島で交通事故に遭遇し、学生時代から長い間、一緒だった妻を失ってしまった。
私自身も脳挫傷と骨盤の骨折等で危篤状態にあったため、事故のことも妻の死も知らず、数日後、意識が戻った病床で、主治医から妻の死を知らされた。
それから3年5カ月、深い喪失感と寂寥感の中で生きてきて、故人に伝えたいこと。
それは、事故からこれまで、自分の心から離れないことであるが、
・事故の際、隣の席で苦しんだであろう故人を助けることも、見送ることも出来ずに、独りで逝かせてしまったこと。
・学生時代からずっと長い間、支えてくれたこと。
に対するお詫びとお礼である。
それを伝えられると、自分が悔やんでいることや出来なかったこと等に対する、心の悔いを埋めていけるのかもしれない。
そういう意味でも、私もいつの日か、この「風の電話」を訪れて自分の思いを伝えたいと思っている。
そう考えると、「風の電話」も「お墓参り」も「仏壇への挨拶」も、「故人とのつながりを維持し、自分の思いを伝えることを通して、自らの再生の一助としているのかもしれない」と思ったりしている。
それは、故人の肉体は、亡くなっても、霊は間違いなく、我々のそばに存在し、我々を見守っていると看做しているからかもしれない。