街歩き - 池田山
もう2年越しとなる自粛生活、旅などの遠出もままならずで、どうしても運動不足やストレスを感じてしまう昨今。
とはいえ、毎日運動するというのもなかなかハードルが高いので近隣で且つ人出の少ない場所を散歩することを思い立ち、思案している中で「東京半日散歩」なる本を目にした。
比較的、自宅から近い「池田山から自然教育園へ」というコースに、この5月の連休に出かけてみた。
JR五反田駅から坂道を歩くこと約10分、住所は、品川区東五反田であるが、通称池田山と呼ばれている地域だそうで、この付近の高台は、江戸時代初期に備前の岡山藩池田家の下屋敷があったことで、次第に「池田山」と呼ばれるようになったそうである。
大正時代末期から次第に宅地として開発され、都内でも有数の高級住宅地として知られている地域のようである。
その一角に、「ねむの木の庭」と名付けられた小さな公園があり、その雰囲気にとても魅せられた。
この公園は、現在の上皇后陛下の実家であった正田邸跡地に作られていて、上皇后陛下のお歌と共に詠まれた様々な植物が植樹され、とても清々しい公園だった。
詠まれたとお歌とゆかりの植物を拝見しながら、私は、上皇后陛下が、かって読まれたというお歌を思い出したのである。
このお歌は、短歌等に全くの疎い私の心にも強く印象づけられたお歌であった。
・かの時に 我がとらざりし 分去の 片への道は いづこ行きけむ
歌意は、
「ある時に、自ら選択した道があった。当然、選択しなかった方の道もあったはず。
選択しなかったもうひとつの道はどこにつながり、どこに行ったのだろうか。
もし、そちらを選んでいたら私は、どのような方向に推移していただろうか。」
お歌には、一人の民間人の女性が、皇室の伝統と複雑な人間関係の中で、多くのご苦労と困難なことを乗り越えられてこられたであろうご様子が窺われると共に、もし、他の人生を歩まれていたらどうだったのだろうかととても考えさせられるものがある。
上皇后陛下が歩まれた道だけでなく、このお歌の歌意には、私も含めて多くの人の人生に相通じる普遍的なものがあるように思えてならない。
人生とは、生きるとは、事の大小にかかわらず、日々選択の連続のように思える。
ひとつを選択すれば、もう一方は、捨てているわけで。
もし、選択しなかった道を選べば、今一体、どうなっていただろうか?
我々は、このようなことを日常、さほど考えない。
考えるのは、何かとても辛いこと、或いは悲しいこと、或いは大きな失敗をしてしまったような時に、何故、このような選択してしまったのかと改めて考えるのではないだろうか。
例えば、愛する人との死別、惜別等の別れ等そして失敗等。
生きるとは、ある意味で「選択」と「別れ」そして「出会い」の連続のように思える。
出会った人も、必ず別れるという会者定離。
そして、「選択に迷ったり、悔いたりしながらも、自分が進んだ道を自分なりに、自分らしく歩まなければ」という思いにもさせてくれる。
春という季節、分去れ(分かれ道)に立ち、自分の道を歩みだす節目の時季のように思える。
「ねむの木の庭」を散策してそんな思いを強くした。
また、「ねむの木の庭」のすぐ近くにある池田山公園も大変いい公園だった。
池田山から白金台まで歩き、久方ぶりにプラチナ通りを散歩しランチした。
以前、白金台に自分の事務所を構えていたときのビルにも立ち寄り、新しい管理人の方とも話ができ往時を思い出しながら、目黒駅まで歩いて帰宅した。
ランチも入れてちょうど5~6時間の散策であった。
近隣の散策は、手軽に楽しめる上に、我々に新しいものを発見する機会を与えてくれる時間でもあることを実感できた。