民謡編曲バイトがベートーヴェンにもたらしたもの
18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパでは民族意識の高まりから民謡ブームが起き、各地で民謡を集めるフィールドワークが行われました。そんな中、ベートーヴェンが、作曲活動のかたわら、イギリスの民謡を編曲する仕事に携わっていたことはあまり知られていません。
注文主は、イギリスの楽譜商人ジョージ・トムソン。各国で民謡への関心が高まる中、彼は、自ら収集したスコットランドやアイルランドの民謡を、プレイエル、ハイドン、ベートーヴェンなどの売れっ子作曲家による優れた編曲で出版しようとしました。19世紀初め、ナポレオン戦争による不況でパトロンからの年金が減っていたベートーヴェンにとっても、これは良い“お仕事”となり、ソナタなどの創作のかたわら、着々と海の向こうに編曲を納品していました。1809年から1820年にかけて、彼が手がけた民謡編曲は実に179曲を数えます。
ジョージ・トムソン
編成は歌(時にはデュエット)とピアノ・トリオ(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)。なんと、Auld Lang Syne(蛍の光)やThe Last Rose of Summer(庭の千草)といった有名曲も、ベートーヴェン・サウンドで聴けてしまいます!「庭の千草」は、フルートの変奏曲にもしていて、この仕事を通じて知った旋律が気に入ったのでしょう。
このような編曲の仕事は、作曲家ベートーヴェンにとって、所詮アルバイト的な位置づけだったかもしれません。しかし、ここで出会った民謡・伝統音楽の数々は、紛れもなく彼自身の創作活動に影響を及ぼしました。
たとえば、有名な第7交響曲(1811-12年)の終楽章。なんと、同時期に編曲を手がけていたアイルランド民謡がルーツになっています。ベートーヴェン編曲による「12のアイルランド民謡集 WoO154」の第8曲に収められたSave Me from the Grave and Wise(まじめで分別くさいのはごめん)。これは、Nora Creinaというアイルランド民謡に新しい歌詞がつけられたものですが、民謡の動機を受け継いで挿入される間奏が、第7交響曲の終楽章の冒頭のテーマと瓜二つなのです。
(間奏は1:14〜)
第7交響曲の終楽章といえば、これでもかとアップビートが強調され、ワーグナーが「舞踏の聖化」と評したノリノリの音楽。この素朴さと執拗なリズムの快感は、たしかにアイリッシュ・トラッド(アイルランドの伝統音楽)のダンスミュージックに通ずるものがあります。たとえば、映画「タイタニック」でも使われたJohn Ryan’s Polka。フィドルやバグパイプの弾力あるサウンドが、ベートーヴェンの終楽章と重なってきませんか?
ベートーヴェンが、アイリッシュ・トラッドのサウンドをどこまで知っていたかは微妙です。しかし、トムソンの採譜した民謡を編曲し、素朴で躍動する旋律に触れるうちに、その背後にある伝統音楽に無意識のうちに近づいていた、とは言えるかもしれません。
初出 月刊音楽現代2017年3月号 内藤晃「名曲の向こう側」
参考 国立音楽大学音楽研究所「ベートーヴェンの編曲作品」