嫌いとプライド
シリーズの番外編です。
岬さんと葉山くんの小話。
嫌いとプライド
岬圭一は、自分のことが大好きだ。
そもそも人に対して「嫌い」の感情をあまり持ったことがない。役者という仕事柄、人はいつも興味の対象だったし、人付き合いも人間観察も好きだった。
そんな自分が誰かを本気で嫌いだと思ったのは、思い出す限り過去に一度。
それも一瞬だけだ。
ある舞台の公演最終日、育ての親を事故で亡くした。
スタッフから聞いたとき、自分は「あぁ、よくある話だな」と思った。
人間はいつか死ぬのだから。タイミングの問題で、それがたまたま今日になっただけ。
慌てたスタッフたちは、公演中止の可能性が頭をよぎったのだろう。本人を置いてけぼりにして、周囲はお通夜モードだった。
実際、人が死んでいるのだから、その表現は正しい。
この日のために多くの「人」と「金」と「時間」がかかっている。
岬はこのとき自分がすべき行動を知っていた。
過去、多くの役者が「親の死に目には会えないのが当然だから」と舞台へ最後まで立っている。
スタッフへ「公演は予定通りでお願いします」と伝えた。
明らかにほっとした周りの空気に、自分も過去の役者たちと同じように正しい選択ができたのだと安心した。
ただ、そう言えたのは大きな使命感とか、舞台を背負っている責任感ではない気がした。
自分以上に慌て、悲しんでいる周りをみていると、頭は冷静になっていった。
――人としての心が死んでいる。役者は人間じゃないから。
鬼だ。
きっと他の役者もこんな気持ちだったんだろう。
結局、これは優先順位の話だと結論づけた。
非常識な人間だと思われないように「開演まで一人にしてください」と断って楽屋に戻った。すると、そこには共演者の葉山真幸がいた。
「おはようございます、岬さん」
「あぁ、おはよう」
何でいるのかなって思った。
最近よく自分の相手役になる子だ。同じ事務所だし顔をあわせる機会は多い。
キラキラしたアイドルみたいな容姿。それに似合わない緻密な演技をする。監督が望んでいる絵を瞬時に表現できる彼の演技力には、いつも驚かされていた。
気味が悪いくらいに、察しが良すぎる男。
元々の才能もあるが彼がそうなったのは、経験によるものだろう。そして、それは、あまり幸せな経験ではない。ただの想像だけど恐らく外れていない。
葉山は楽屋の長机の前にパイプ椅子を置いて座っていた。岬の顔を見てお悔やみをいうわけでも、哀れみの表情を浮かべるでもなく、ただ、いつも通りそこにいた。
「最後のシーンでしたよね。変更したいって」
「あー……そうそう」
昨日、確かに演技の打ち合わせのために葉山を楽屋へ呼んでいた。ここへ来るまでに、岬の両親が事故にあった話は、葉山の耳にも入っているはずだった。
致命的に空気がよめない男でもないのに。
「ギリギリに呼んでごめんね。どうしても千秋楽は変えてみたくて」
「いいですよ。俺もやりたかったので、別れの場面」
葉山のその言葉に自分の心が、いよいよ心配になってきた。
両親を亡くしたというのに、心を乱すことなく別れの演技ができる。
そんなことを考えて「上の空だった」から返すべき言葉を間違えてしまった。事務所の後輩に言うべき言葉じゃなかった。どうかしていた。役者のくせに。
一瞬、自分の内側に鬼がいなかった。
「ほんと、自分が冷たい人間だと思うよ」
乾いた笑い。たったそれだけの言葉で伝わってしまった。否、葉山はこの場所に来る前から正確に岬の感情を知っていた。
知っていたから、この場にいた。
「多分、俺も、何があっても舞台をおりれない」
「――え」
「だって、起こった事実は変えられない。悲しみも、今日じゃなくてもいいから。それで冷たいなんて、言われたくない。優先順位がたまたま、そうなっていただけ」
そう台詞のように言った葉山は、綺麗な作り物の笑顔を岬へ向けた。
葉山のうっすらとした狂気に囚われていた。その演技を怖いと思ったのに、一瞬、ほんの一瞬嫌いだと思った。
自分が、今欲しいと思っていた言葉を、演技を、この男に目の前で見せられている。理想の狂気を、鬼を。
あー、悔しい、ムカつく。嫌いだ。
感じた一瞬のプライドを、葉山に悟られたくないと思った。
自分の気持ちと乖離した周囲の悲しみの感情より、欲しいのは誰かの共感だったなんて。そんなことを後輩に悟られたことにプライドを傷つけられる。
救われたくなかった。救われてしまった。
何が起きても、何があっても、演じることを選んでしまう人間もいる。
目の前に、そんな人間が現れたら、きっと許される気がした。
あぁ、この鬼が愛しい。必ず手に入れる。
「葉山くん、君、すごいね」
それは、刹那の嫌いという感情だった。
終わり