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鬼しかいない鬼ごっこ

シリーズ番外編です。

初めて撮影現場で柳に会った日の葉山くんの話です。


鬼しかいない鬼ごっこ


 楽屋で衣装とメイクが終わった葉山は、一人鏡の前で目を閉じた。撮影時間が刻々と迫っているのに、まだ動揺していた。感情を爆発させて怒るなんて普段しないような「演技」をしたからだ。暗闇の中、糸を手繰り寄せるように役を探した。
 明るくて、キラキラしていて、アイドルみたいな「葉山真幸」を自分の中に固定する。
 心配なんてしていない。与えられた「この役」はすでに身体に染み付いている。放っておけば、すぐに元通りになるだろう。
 しばらくして目を開けた。
 鏡の中で笑う『葉山真幸』の貌。
 ふと、あとどれくらい、この役でいるべきか考えてみた。
 デビュー当時は選択肢がなかった。二十歳になって状況も変わったのだから、そろそろアイドル路線で売るのを辞めてもいいと思う。ただ望もうと望むまいと、いつかは、自然とこの役ができなくなる日がくる。
 だから、それまでは……。
 そこまで思考を巡らせて、十年、二十年先も、当たり前のように役者をしている前提で考えていた。揺るぎない自信に苦笑する。
 ——役者なんて、我の強い鬼ばかりだ。
 自分も含めて周りは、全員鬼だと思っている。柳から、あの魅力溢れる「佐伯」を引き出したHIROTO。それを見て、本当に嫌な人だなと思った。
 柳は遅かれ早かれ葉山と同じように、この世界へ縛られて身動きが取れなくなるだろう。
(……可哀想な柳さん)
 この楽屋で柳の「役者の可能性を潰す演技」が続けられなかった。「お前は、遊びでやっているだけだ」と一蹴して、その道を消してしまうのが柳のため。分かっていたのに出来なかった。
 岬やHIROTOの満足げな顔を見て、柳をこちらの世界へ引っ張りあげる少し先の未来が容易に想像できた。おそらく彼らの玩具にされる。
 壊れている葉山なんかよりも、はるかに性能が良く面白い玩具。過去の経験を思い出して、ちりちりと心臓のふちが痛んだ。こんな怖い仕事なんてやめておけと言うのが、普通の人間の優しさだ。けれど。
 ——遊びじゃない。
 柳のまっすぐな瞳を見て、岬と初めて共演した日の自分を思い出してしまった。
 もう自分が何をしたって手遅れだと悟った。
 どれほど苦しくても、たとえ本人が役者になることを望んでいなくても、呪いのように囚われてしまう。
 一度、経験したら逃れられない。快楽物質。葉山の演技が正解だとして、柳がした演技は、面白い演技だった。そして、そういう役者が大好きな人間が、自分の周りに、一人、二人。
 人の目を惹きつけ、一瞬で視線を奪う。暴力的な演技だ。それでも柳の才能に憧れはするが、決して葉山が演技で負けたとは思っていない。違うタイプの役者というだけだ。思っていることがあるとすれば、それは――。楽屋の重い鉄製の扉が内側に開き、今は顔を見たくない男と目があった。
 再び暗闇に沈み始めた感情を今は誰にも悟られたくなかった。けれど、いつだって、タイミングよく。あるいは悪く、この男は目の前に現れる。
「葉山くんがあんなに怒るなんてね。上手だね演技。本当は全然怒ってないでしょう?」
「ええ〜どこで聞いてたんですかぁ? 岬さん」
「となり。俺の楽屋だよ」
「てっきりHIROTOさんとまだ遊んでいるのかと思いました」
「ヤキモチ? 可愛い後輩だなあ」
「……俺は、まだ可愛いだけですか」
 葉山は憑き物が落ちたように、鏡の向こうに立っている岬に視線を合わせた。ぽつりと本音をこぼしてしまう。岬の前だけで見せる、感情の起伏の少ない喋り方。
 葉山の心を乱している張本人は、いけ好かない笑顔のままで少しも気にしていない。
 岬圭一が人でなしで酷い男なのは知っている。役者の仕事が一番で、それ以外は割と本気でどうでもいいと思っている。そんな男だから——好きになった。
「何、柳くんに役取れられるとか思ってるの」
「いいえ、佐伯は俺の役ですから」
 鏡越しではなく今度は振り返った。岬の目を見てはっきりと告げた。
 冗談じゃないと思った。『青の鬼火』の佐伯の役を、どんな思いで葉山が一章から演じてきたか岬は知っている。痛む心と体。精神を切り刻んで演じてきた役だ。誰かに渡すつもりはない。
「そうだね。あの役は葉山くんがやる方が面白いし、俺は好きだな」
「……それは、どうも」
 煽られて言わされたのだと分かって腹がたつ。これから玩具で遊ぶための、ただのご機嫌取りだ。
「それで、慰めて欲しい? でも君、優しくしたら怒るでしよう」
 恋人のような愛し方をして欲しいわけじゃない。そんなものより役者として求められたい。そう願っているのは葉山だ。それでも、どんな感情だって自分に向けて欲しいと欲深になったのは岬のせいだ。
 好きも、嫌いも要らないと思っていたのに。折に触れて人間らしい心を思い出してしまう。本当は鬼のくせに。
「……葉山くん、邪魔しないでね」
 岬はそう言って葉山の唇に苦い口づけを落とす。あぁ、本当に酷い人だなと思った。面白い人を見つけたらすぐにそうやって遊ぼうとする。岬が引っ掻き回した結果、どんなに彼が傷ついても、最後に柳は役者として幸せになる。それを知っていても嫌になる。
 最後にハッピーエンドになるからといって、人を傷つけていい理由にはならない。けれど自分だって過去に岬に傷つけられて、そして、最後に救われてしまった。岬の唇が離れた瞬間、彼に見せたい演技を思い出した。
「邪魔なんてしてないでしょ。俺だって柳さんの演技をもっと見たいですから。ちゃんと協力したよ? うちの事務所に勧誘もしたし」
 でも少しの苛立ちをぶつけてしまった。岬は隣で全部聞いていたのだろう。だから葉山に会いに来た。
「最初は柳くん潰す気だったくせに。葉山くんは悪い子だね」
「柳さんが可哀想だなぁって思ったから。だって岬さん今から遊ぶんでしょう? 柳さんで。相変わらず悪趣味ですね」
 岬は、ふっと笑って葉山の頭をかき混ぜた。その手を払いのける。
「ちょっと! セットしたんですからぁ、やめてください!」
「そうそう、その調子。てか二人きりのときに君がキャンキャン喋ると、なんかちょっとゾクゾクするねプレイみたいで」
「変態なんですか」
「聞かなくても知ってるでしょう、君は」
「そうですね。ギリギリ変態だと思ってます」
「ん~? 葉山くん。お仕置きして欲しいの?」
「楽屋で? する気もないくせに」
 葉山が珍しく軽口になると、岬は、らしくなく仕事場でプライベートの顔を晒した。
「ふーん、今日、俺のマンション来てよ。朝まで優しくしてあげるから」
「要りません~!」
「――じゃあ、お仕事だって言ったら? 葉山くんも協力してよ。多分、柳くん。 ”絶対面白い”からさ」
「岬さん」
 葉山の答えは決まっていた。何も知らされないまま、柳が傷つくのを外野で見ているよりはマシだろう。
「ん?」
「……高いですよ俺。その分の見返りはあるんですか?」
「そうだね。良心は傷つくけど退屈しない。葉山くんだって、柳くんの演技をもっと見たいでしょう」
「……悪魔ですね」
「君だって悪魔だ。演技で人を思い通りにしようとした」
「多分、先輩に似たんです」
「それは光栄だね。あ、まって、葉山くんは、悪魔っていうより、やっぱキャラ的に小悪魔?」
 そういった岬に小さく溜息で返事をした。
「バカなこと言わないでください。もう撮影、行きますよぉ!」
「えー遅刻したの葉山くんじゃん。呼びに来た先輩にこの仕打ち?」
「向こうの撮影押したのは、俺のせいじゃないですぅ!」
 自分で言っておきながら、やっぱり岬は悪魔じゃなくて、鬼だと思った。
 ここには、逃げるのも、追いかけるのも、鬼しかいない。
 柳が傷つかないで、役者の世界へ来られればいいと思う。
 ――きっと無理だと思うけど。

                       終わり

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