[第0回] HERE I AM〜ぼくのいる場所はすべて旅先。
◎イントロダクション
2002年にぼくが初めて出版した本は『D.J. ディスカバリー・ジャパン』というタイトルの、当時としては少し風変わりな旅の本だった。
というのも、ぼくはライターという職業をそれなりにやっていましたが、旅専門のライターでもなければ、どこかの街のオーソリティーでもない。はたまたアイドルでもタレントでも俳優でもないから、航空会社とか自動車メーカーのようなどこかの大企業が商品のプロモーションとして予算を出してくれたりしない。
ぼくは当時一年間のほぼすべての週末───年間三、四十本はDJをこなしていて、その大半が地方のクラブへの遠征旅行だった。
単独で乗り込むことは少なく、主にDJユニット"TMVG"の相方だった常盤響といっしょに日本中のいろんな街へ出向き、その土地へぼくらを招いてくれたオーガナイザーの人たちと行動を共にした。
旅のついでに訪れた場所はガイドブックに載ってるような名所旧跡のたぐいではなく、それは小さな町の喫茶店だったり、そのころ公園通りから飛び火して地方にもチラホラできはじめたカフェ(アプレミディのオープンが1999年、TMVGの結成もまた1999年2月でした)だったり、あるいは地元の味がリーズナブルに食べられる居酒屋、洋食屋、大衆食堂などだった。
また美術館、洋服屋、中古レコード屋、古本屋といったその土地のカルチャーを下支えしているところ……もちろんそれはぼくたちやオーガナイザーたち目線でおもしろがれるところばかりで、まちがっても観光ガイド本には載っていないところばかりだ。
そうした場所をぼくたちは次々と"発見"し、その興奮をぼくはブログ(その頃はそんな言い方は一般的でなく、単にウェブ日記などと呼んでいました)に書きとめていった。
そして旧知の仲だったブルース・インターアクションズ(現・P-VINE BOOKS)の編集者に持ちかけ、その内容をベースに大幅に加筆し、書籍化したのが『ディスカバリー・ジャパン』である。
ベストセラーとまではいかなかったが、それなりに売れ行きもよく、周囲のみんなにもおしなべて好評をもらった。特にうれしかったのは「自分の地元にこんなお店があるなんて知らなかったです」という声、つまりその土地の地元の人たちからの反響だった。食べログはおろか、SNSも無い時代にそうした活きた情報を得ることがどれほど難しかったか。今では想像することも難しいかもしれない。
続編を期待する声も多かったし(同様の旅が多かった先輩DJたち───小西康陽さんに絶賛していただいたり、あと須永辰緒さんにも「自分がこの本を出したかった」と言ってもらえたことが特に印象深い)ぼく自身も実現できないもんかと構想を練った。しかし、ぼくが以前より全国をこまめに回る機会が少なくなったこと、SNSやブログなどでいち個人が情報を発信することもあたりまえになったし、なんの下準備もなく旅先でスマホ片手に手早く情報収集ができるようになったことなど、自分名義の書籍としてわざわざ出版するモチベーションを失っていった(その試行錯誤のなかで『レコード・バイヤーズ・ダイアリー』『レコード・バイヤーズ・グラフィティ』という、これまた特殊な"旅本"を上梓できましたが)。
哀しいのは『ディスカバリー・ジャパン』に掲載したお店が、特にこの数年で一軒、また一軒と消えていってしまったことだ。
正確に数えたわけではないが、たとえば、ぼくが今、拠点にしている松山に例を取れば、情報掲載した10軒のうち、掲載当時と同じ形で営業している店はたった4軒。それら4軒はすべて飲食店で、古書店やレコード店に及んでは全滅した。他の街もきっと似たようなものだろう。
そしてぼくが『ディスカバリー・ジャパン』を出してから約12年半のあいだで、もっとも大きな変化は松山に生活の拠点を移したことだ。もともと大学入学を機にこの街を出て、東京で暮らすようになったぼくは、そのまま関東平野に骨を埋めるつもりだった(もしくは日本以外のどこか)。まちがってもふたたび松山に戻って、こんなにじっくり腰を落ち着けて暮らすようになるなんて、想像もしていなかった。
しかし日本中をくまなく旅するようになって、より多くの刺激を与えてくれたのは地方に住む仲間たちの暮らしだった。それは都会で得た恩恵を上回るものだったと思う。おそらく種はそこで植え付けられ、今になって芽吹いたのだろう。現に、先ほど紹介した元相方、常盤響も2011年から福岡を拠点にしている。
ここ何年かは、DJとしてではなくトークショーやワークショップをきっかけに呼んでいただくことが多くなったが、松山が旅の起点になったことで、ぼくの中では東京さえ単なる一地方だ。
そしてぼくは相変わらずどの街に行っても、喫茶店や食堂や居酒屋、古書店や中古盤屋を回っている。飽きることなく。それに加えて最近では温泉や風光明媚な場所も好むようになり、視界や関心は以前より広がっている気がする(それを老化と人は言う)。
なにより、ぼく自身がこうして地方都市に住むことで、ここへ足を運んでくれた友だちをもてなすという新しい立場が生まれた。
県外から来た彼や彼女たちは十数年前のぼくと同じような好奇心に溢れ、この街を眺め、歩きまわる。求めている情報もあの頃のぼくとそこまで隔たりがあるわけではない。昔と違うのは彼らの手元にスマホが握られ、グーグルが目的地まで案内してくれることくらいだ。
だけど、かぎられた時間の中で、できるかぎりすてきな場所に巡りあうためには、どうしても活きた情報が必要なのだ。顔の見えない誰かが発信した情報ではなく、顔の見える友だちが知っている情報のほうがはるかに頼りになる。
立場の変化だけじゃなく、旅に対する考え方も昔と今ではずいぶん変化した。写真家が被写体によって絞りやシャッタースピードをコントロールするように、使うカメラや切り取る風景が同じでも、できあがった写真はずいぶん違うものになった。
どんなに労力をかけてもすぐにお金になるようなことではないが、そんなのはもう慣れっこなのだ。ぼく自身がやりたいことと他人から求められていることが完全に合致することはそう多くない。ぼくも一握の砂にまみれた手をじっと見つめるときがあるが、昔なら見えなかった小さな光の粒がくっついていることに気がつく。それが砂金なのか、それとも単なるガラスなのか、とりあえずこの連載を始めてみてからじっくり確かめることにする。
もう旅をするのに替えのパンツや航空チケットは必要ない───今はそんな気分だ。なぜなら、そこが隣町の美味しいトンカツ屋だろうが、いつも通うスーパーマーケットの食品売場だろうが、友人宅のリビングルームだろうが、バルセロナのサッカースタジアムだろうが、ぼくのいる場所はすべてぼくの旅先なのである。
オリジナル掲載日:2015年3月3日