一人じゃない。
母子家庭で育ってきて、7年前に母が亡くなった。
兄2人は結婚していて、私だけ独身だった。
「これで本当に一人で責任を取ることになる」そう思った。
誰にも迷惑をかけないでよいこと、
誰かの介護や、面倒をみなくてよくなったこと、
そして、親という後ろ盾がなくなったこと
気持ちが楽になり、そして不安になった。
その数年後、30を迎えたとき、突然
「あ、わたし、死ぬんだな」と思った。
別に病気でもなんでもなく、
「30歳」という遠い未来のような区切りが突然目の前に現れて、ああ、人間って、こうやって順に年老いて、死ぬんだ。そうなんだ。
と、間近に迫った死を見つめた。
人はいつか死ぬから、何しても(犯罪とか以外)大丈夫。
あとは、金銭的に迷惑をかけないで死ぬだけだ。
なんとなくそう思っていた。
彼氏はそれなりにいたけど、どことなく別のものだった。だれかの人生を共有するという感覚のないまま、自分で他人の責任を取るということが怖くて、結婚も子を産み育てることも、興味がイマイチ持てないでいた。
さらに、私は頼り下手だった。
母子家庭ということもあって、だれかに頼ってはいけない、私がしっかりしなきゃという思いしかなくて、甘えると頼るの境界線がわからなくなっていた。わからないことは自分で調べるし、だれかに聞いたりしない。
幸い、今は便利なものがたくさんあって、それらは私を助けてくれたし、豊かにしたし、だけどたぶん頼り下手を助長した。
彼氏にも甘えられず、頼れず、しまいには爆発したり、考えてることが伝わらずに別れたり付き合ったりを繰り返した。
そんな中、今の人はなんとなく今までと違っていて、
言葉にすること、頼ることを教えてくれている気がする。
私はずっと、彼氏だろうがなんだろうが、「個のもの」であって、それはゆるぎないと思っていた。でも、多分実は、みんな違って、恋人同士になれば大小違えど「共有する存在」になっていくのかなって。
何かを共有して、頼って、個はあれど同化する部分があるのか、と気が付いた。パレットの上で2つの色が混ざりあうような、でもちゃんと自分の単色は端の方に残っている。
今まで、混ざろうとしなかったんだなあってふと思って
「もう、一人じゃないよ」って言われたときなんだかストンと腑に落ちた。
一人じゃない、とは、そういうことだったのか。
結婚という制度に、いまだに興味は持てないけど、
誰かと人生を共有して生きていくことに、少し興味が湧いてる。
これが、結婚という道を取るのか、それともなにもなくとも続いていくのか、はたまた、子供という他人をもう1つ介して共有していくのか、もしくはまた、個に戻るのか。
まだ全然、先は見えていないけれど、一人じゃないという感覚は、
なんだかもしかして初めてのような気がして、こうして記録している。
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