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二人の足は新たな惑星を踏むか ~ザ・ギースの進化論~

これは人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな飛躍だ。
That's one small step for man, one giant leap for mankind. (Neil Alden Armstrong)

ASH&Dのコンビ ザ・ギースの約一年ぶりの単独ライブ四公演、無事に終わりました!
と言いましてもこちら、全宇宙配信と銘打っているように。まだ彼らの残像がこの地球を含む宇宙を漂っているのです。なんでもこちらに飛ぶと少し過去の舞台、座・高円寺にアクセスできるとかできないとか。

さてさて今回の単独についてつらつらと書いていきます~

☆ネタバレなし☆なので気軽に読んでくださいね。


彼らの「進化論」を目撃してきた

前提として私は所詮ファンでしか無い。それが嬉しくもあり、悲しくもある。石油王ではないので結局ひとりぶんでしかない。私の一意見が総意にニアリーイコールとは思えない。

初日を見てからっぽになった舞台を見て、明らかに過去のライブと違うな、と思った。
驚きであり、寂しさであった。

私が彼らを特別に思うようになったのは、私にとってそもそも初めての生のお笑いライブ「その他の人々」だった。

そこではキングオブコント2018の一本目として披露された「メイド・イン・ジャパン」、通称サイコメトラーが上演された。

そもそもたまたま見た『勇者ああああ』で見た彼らがかっこよくも可愛く、たまたま予定が合いていたため行ったライブ。彼らがどんな声で、どんな力で、どんな魅力で、そもそも何が好きか嫌いか、お笑いについて何を考えているか。なーんにも知らない状態で見た“サイコメトラー”

脚本として、あまりに面白いと思った。
映像にならないだろうからネタバレすると、実はライブver.とテレビver.では内容がやや異なる。高佐さんが演じる刑事が追い詰められると尾関さん演じる特殊能力持ちの学生を鼻で笑い、うろ覚えだが

「刑事だって人間だ。女も抱くし、人も殺す」

と言う。

それまで工場見学をコミカルにおかしがり、なんだそれ? 殺人が起きてるとは思えない! と笑っていたのに、あの台詞で状況が一気にシリアス変わる。そしてあんなに善人らしく振る舞っていた刑事の人柄が顕になる。

頭の中で必死に文字起こしをして、なんて素晴らしい脚本だ。そしてそれを演じきる二人の力。声のハリ、聞き取りやすさ、説得力、間合い。総じて魅力的だった。

夢中でライブに行った。彼らは芸人さんであり、私の中で役者であり、芸に懸ける熱を知ってからは憧れる光だった。

しかし同時に、「何者にもなれる人」だった。

コロナをきっかけにはじめたトーク配信や単発のラジオ、ライブでのコーナー、あとはちょっとだけあるテレビ出演…Abemaのチャンスの時間、ゴッドタンなど。
それらを見れば彼ら二人がどんなに愛らしくて、好きにならざるを得なくて、暖かくて優しくて、訳が分からなくてオカシイ人だというのは分かるのだけれど。

ネタ番組ではないバラエティでどかんと跳ねて引っ張りだこになる、ひな壇でいじられてのし上がっていく図は描けなかった。

話を自分語りから、今回のライブに戻す。

今回のネタは、二人の名刺となるようなネタが多かった。私だけか…?と思ったけれど、数人がそうね、と少なからず頷いてくれた。

高佐さんのハープと狂気を融合させたネタ。
尾関さんのデカさと奇天烈さを全面に出され、戸惑う高佐さん。
尾関さんの変さに困る高佐さん。

二人って結局どんな人なの? と思うことはなかった。一切二人から離れた「役柄」は居なかったと、おもう。

きっと多くの人にとって分かりやすい。ザ・ギースの二人ってこうなのか。こう扱うのか。って。

私はテレビの偉い人じゃないし番組の作り方も知らないけれど、おおきなお金を動かすTVショーの責任者に向けても、簡単な説明書になっていると思う。

もちろん彼らの魅力は遺憾なく発揮されていた。

二人は立てば絵になるし(40を越えてあれだけ二人が綺麗なのは珍しいと思う)、引っかかりなく台詞が聞こえてくる。声量の扱いも上手くて、自然とコントが頭に入ってくる。(顔がいい)

発想はシュールで、そんな着眼点から日常が少しずつ変になっていくの?とつい笑ってしまう。

でも、一本の映画を見たような。前後の物語を描きたくなるような、ひとつの台詞も聞き逃したくないあの甘美な感覚は、味わえなかった。だから物足りなかった。

嫌なら見なければいい、追わなければいい

そりゃそうだ。

初日にシュン、としたならその後のチケットをぽいっと手放してそのお金で飲み食いしたり、あるいは他に気になる芸人のライブに行くことだって全然できる。

でももう、ザ・ギースは私にとってとても、あまりにも、くるしいほど特別だ。

彼らが見せてくれた感動が、笑いが、全てをまとめた衝撃が忘れられない。彼らは暖かくコントに、劇場に私達をいざなってくれる。ふたりは仲良しで、もちつもたれつ兄弟のようでいとおしい。それぞれが可愛らしい。

………あと顔がいい。

それに春先のライブが中止になって、ずっと待ち望んでいたライブだ。舞台に立って嬉しそうに演じる、いや遊ぶような二人を見て胸は高鳴った。たしかに幸せだった。頭で考えるよりも感情が、たのしい! うれしい! と叫んでいたから、行かないなんて選択肢はなかった。

そして四公演…うち一公演は後日見るのだけれど、千秋楽を見終えた。

エンディングに選ばれたのはこちら。もう一度建物に入り直しても公演は終わってしまって、明日は単独のない日が始まることがさみしかった。

ザ・ギースは単独公演中に熱心にアンケートを読んでくれて、台詞が、下りが、キャラクターがどんどん変わっていく。

初日とは全然違った。もっと面白くなった。上手くなった。もっと笑いたくなった。情熱を感じた。努力を尊んだ。

とびっきり幸せそうな汗だくの二人を見て妄想の中で何度もスタンディングオベーションをしようか悩みつつ、手を割る勢いで拍手を送った。

ザ・ギースの決定と勇気を心から応援します

ずっとずっと二人は、そして周囲は、キングオブコントでのザ・ギース優勝を待ち望んでいる。

定評は当然あるし、知名度もそれなりにあって、「おもしろい」と言われているということは手の内がバレていて、ハードルが上げられてる。第7世代の有無に関わらず、“永遠のコントランナー”のあと一歩、は果てしなく遠い。

普通に歩くだけじゃきっと他に勝てない。一段飛びで走って、手を精一杯伸ばさなければいけない。

もがいた末の今回の構成。……なんじゃないかなあ、っていうのが、私の考えなんです。わかんない。全部私の勘違いなのかも。

先にも申し上げましたが、前提として私は所詮ファンでしか無いのです。責任が無い。取ってあげられないのです。楽な立場なんです。人生には触れられられないのです。

好きだったらただチケットを買う。飽きたら離れる。きっと気付かれない、ちっぽけで、らくちんで、気まぐれな存在です。

でも飽きずにザ・ギースのことを見てるんです。顔がいい、愛くるしい、それだけでコントがつまらなくてもいい。居ればいい。そういうわけではないんです。

直向きで、実際泥臭くて、だからこそ輝いてるザ・ギースが私を夢中にさせる。憧れさせてくれる。

結論、変化は寂しくもあるけれど、そう決めた彼らが誇らしくてたまらない。大きすぎる一歩、快挙なんです。別世界に飛び立つ彼らにさらなる夢を見させてもらってるんです。

つぎはどんな惑星に辿り着くでしょうね

前三公演では開いたまま舞台から二人が去りましたが、千秋楽では帷が二人を包むように左右から閉じ、彼らを未来へと運んでゆきました。

おいしいお酒は呑めましたか。おふとんでゆっくりと眠れましたか。でもきっと今日もコントのことを考えてくれているでしょう。新しさを追求し、私達をどきどきわくわくさせてくれるでしょう。

そしてきっと売れて下さい。

売れるの定義も沢山あるけれど、どんな手を使ってでも(恥ずかしかったり体を張ったりするだろうけど、)名を売り、たくさんの人を劇場に連れてきて下さい。もっと大きな、聞いたことのないほどの大きな拍手を聞かせたい。音の波にザ・ギースを沈めてみたい。

宇宙の誰か、せめて地球の、まだギースに出会っていないあなたへ。いつかきっと出会うから。シンデレラに会いに来て下さい。

ザ・ギースの尾関高文さん、高佐一慈さん。あらたな出会いにたくさんたくさん、やさしく恵まれますように。私はもうしばらくあなたたちを応援してゆきます。

地球上の拍手を浴びきったから、次の惑星をどんどん渡り歩きましょうね。

またお会いしましょう! よい旅路を!

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虜ルール
食べると気が晴れるので、ケーキを買わせてください(半分無職)