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堀内響子ヴァイオリン・リサイタルを終えて

2021年12月18日木之本スティックホールで堀内響子ヴァイオリンリサイタルを開催しました。


堀内響子さんと初めてお会いしたのは丁度2年前の2019年12月24日だった。その年の11月に中川能舞台でトリオ・ホレミーロというユニットで演奏されていた。その公演には行けなかったが堀内さんが長浜のご出身と知り、コンタクトを取った。宝塚歌劇オーケストラにおられるとのことで、ヅカファンとしての興味もあっていろいろお話しさせていただいた。20代のうちに一度コンサートをしたいとの意向などを伺ったのを記憶している。
この年は、私がスティックホールの仕事を始めたばかりの年で、まだ自主コンサートを数回しただけの時であり、何か機会があれば堀内さんに出演していただくこともあるかもしれないと、そんな思いをもっていた感じだった。

その後1年が経過し、2020年12月25日ニアミスを1回している。コロナ禍、パトス四重奏団の木之本公演が中止になり、臨時で開催されたフレンテ西宮での公演時に彼女が私を見たというのだ。演奏後にあるピアニストの方と話をしていたので、声をかけずに帰ったという。お話しできずに残念だった。

今回のリサイタルの話を伺ったのは6月頭。私がエンモ・コンサーツというコンサート・クリエイターのグループを立ち上げてすぐのことでした。お声をいただいたのが嬉しくて2つ返事で全面的な協力を受けた。20代のうちにコンサートというプランは、コロナ禍において達成できなかったが、30歳の節目にこれまでの自分を総括するような、そんな思いがくみ取れた。

地元のアーティストの力になりたいという想いは強くある。堀内さんは中学まで長浜に育たれるが、お父様の転勤を機に東京の音楽系高校に進学され、その後東京音大を卒業される。音楽系の大学は一部の都市にしかないので、多くの地方出身者は地元を離れ研鑚を積むことになる。海外留学などを合わせると地元に関わることは次第に希薄になり、人脈も途絶えてしまうことが多いと聞く。卒業後の仕事も地方には少なく、故郷で公演をすることがままならない事例をよく耳にする。地元の方もそのことを知らず、えっそんな人が自分の街にいたのかと驚く。

私は、そういった地元離れをしたアーティストがいつでも帰ってきて気軽にコンサートができる地盤を作りたいと思った。なんせ自分の街なんだから。
しかしながら、お客さんが集められるのかどうかはとても不安で、正直結構告知に苦労をした。県からの助成金交付も間際まで決まらず、配信もギリギリまでできるかどうか迷った。
地元の新聞が取り上げてくれたり、遠くから縁の方が来てくださったりで、何とか客席を埋められたのに感慨深いものがあった。そして何よりも、お客さんのアンケートに「自分の街でこのようなアーティストが生まれたことが誇らしい」といった内容があり、開催した意義を肌で感じることができた。

また、堀内さんの演奏が良かった。宝塚歌劇オーケストラというハードなスケジュールをこなす仕事をしながら、自分の時間を作ってここまで仕上げられたことに驚かされた。また、良く練られたプログラムを組まれ、お客様も楽しませつつ、イザイやフランクといった難曲に挑まれ、これまでの集大成を形に残されたことが素晴らしい。
共演いただいた深貝理紗子さんのピアノも良かった。大きな支えになったと思う。今回新しいご縁ができて全く喜ばしい話です。

エンモ・コンサーツはこの公演で5公演を終えたことになったが、人の縁をコンサートで結んでいこうという取り組みに、しっかりとした手ごたえを感じつつある。小さな試みだがなるべく長く継続していけるよう頑張っていきたいと思う。


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