「頑張る」のをやめるだけで全てがうまくいく理由(エイブラハム)
我々のあるセミナーのランチ休憩で、ある母親と息子と昼食を取りました。
その息子は母親に言いました。
「もしチャンスが来たら、僕の質問をエイブラハムに聞いてくれる?」
母親は言いました。
「わかったわ」
息子の質問はこうでした。
「なんで大人ってみんな気難しいの?」
我々はこう言いました。
「それは今までで最高の質問です。我々がここで話していることにそれ以上当てはまるものはありません」
大人が子供より気難しい理由は、もちろん気難しい子供もいますが、全般的には圧倒的に大人の方がそうです。
なぜなら、大人はより長く人生を生きたので、
より速い「流れ」の中にいるからです。
そして「流れ」が速まっていてその「流れ」に乗っていないと、その「流れ」があなたを痛めつけるのであなたを気難しくするのです。
つまり、あるひとつのことに集約されるのです。
それは、もしあなたが、本来そうである「悦び」に溢れた存在になりたいなら、
自分の「流れ」に乗るんです!
そうしない時、あなたは不快になります。
ただ、それだけなんです。
自らの創造の「流れ」に逆らっている時、あなたは「満たされない」という感覚や「具合が悪い」「あたふたする」「欲求不満」「怒り」「恐れ」「落胆」「意気消沈」という感覚を味わうのです。
「自分の流れに逆らう」ということが全てのネガティブな感情の根源です。
そう思ったら、シンプルな表現に直すとこういうことです。
つまり、あなたの人生は、あなたもそうなるとわかっていた通り、「望み
のロケット」をあなたにたくさん打ち上げさせています。
したがって、もしあなたがネガティブな感情を味わっているなら、その「望み(流れ)」に追いついていないということなのです。
それに対して、その「望みのロケット(流れ)」にあなたが乗れている時は、
あ な た は 最 高 の 気 分 を 味 わ い ま す。
あなたが「望み」を放つ時も、「望み」がまだ具現化する前であっても、「望み」が具現化する証拠がまだどこにも見えなくても、
あなたは「望み」が具現化するまでずーっと最高の気分を味わうのです。
そしてあなたの気分が最高ならば、あなたの「望み」は確実に具現化します。
あなたが最高の気分を味わっていない時は「望み」の具現化は遅くなり、場合によっては一生それが起きないこともあり、そして一番肝心なことは、あなたの「望み」の具現化よりもさらに肝心なことは、「流れ」に乗らない間はずっと、あなたは「気分が良くない」ということです。
時々、特に我々の話を長い間聞いてきた方は感じると思いますが、我々が得意気に「『感情のスケール』のこちら側には良い感情があって、それらは愛や悦びといった素晴らしいエネルギーで、そのスケールの反対側には、落胆・恐れ・怒りなどがある」と言う時、我々は皆さんに「こうしなければ」という印象を与えているでしょう。
それは、「ネガティブな感情がある側にいないようにするだけでなく、ポジティブな感情の側にいち早く来なければならない」というものです。
もちろん、皆さんには「良い感情」の方を感じて欲しいとは思っています。
しかし、皆さんに本当に理解して欲しいことは、どちらにしてもそれは「流れ」ているのだから、我々が皆さんにして欲しいことは、ボートの向きを下りに変えて、モーターをつけて一気に下流の終点に到達することではありません。
なぜなら、我々はその「流れ」の威力を知っているからです。
あなたが自分で進める必要はないんです。
実際のところ、ボートの向きを下の方向に変える必要すらないんです。
ただ、上流方向に漕ぐのを止めればいいんです。
「流れ」に逆らって漕ぐのをやめるだけでいいんです。
「流れ」があなたを下流に向けてくれます。
そして皆さんに一番聞いて欲しいのがこれです。
「流れ」があなたの向きを変える時、
そ れ が あ な た の 「安 堵」 の 瞬 間 で す。
そう考えてみると「選択」はそれだけです。
「流 れ」 に 逆 ら う か、否 か。
もちろん、下り方向を選べる方が良いですよ。
あなたが選ぶのがうまくなってきたら。
でも、あらゆる瞬間におけるあなたの「選択」はただ単に
心地が良いか、悪いか。
あなたがその選択を一日中、毎日していたらイヤな状況を、太鼓を叩いて増幅させることもできるし、それについて話すのをやめて良い方向にすることもできるのです。