"手"本を発行する
お手本になるような先輩、上司になって
育てる側に立つときがきたか、と
考える今日このごろ
昔は【背中を見せて】スタイルだったかな
今はその背中をしっかり見てもらえないような
ジェネレーションギャップも感じる
インターネットやSNSが発達していて
そこに【答え】を求めることも
少なくないはず
嫌な先輩に聞くよりググる
それを聞くと寂しい気持ち
(それで良いなら良いのだけど、、)
コミニュケーションが枯渇していることから
目を背けてはいけないと思っている
どんなにITが発達しても
素晴らしい答えがネット上にたくさんあっても
仕事相手は人であり続ける(はず)
まして、身近な人と
うまくコミニュケーションが取れないとなると
エンドユーザーとのコミニュケーションは
絵に描いた餅だと思う
みんなを幸せします!というなら
まず家族、友達からというように
でも、選択の自由も大いにあるはず
だからここでは【"手"本を発行する】と
タイトルをつけて考えてみた
本を読むか読まないかは自由
その内容に納得して、自分の糧にするかも自由
本を発行する側は、
いつだれが読むかを選択できない
選択される側に立つ
発行には時間も体力も浪費し
経験が無いと内容に深みが出ない
そこまでして発行する理由は何か
きっと「伝えたい」から
どうやったら興味を持ってもらえるか
わかりやすい表現とは何か
読んだ人が、また誰かに伝えたいと思えるか
いろんな考えを張り巡らせるはず
発行側の努力や思考が
本に込められる
読み手がそれを感じないはずはない
手本になるということは
一冊の本を推敲し、したためることに
近い感覚があるような気がする
発行されたその本は
誰かのバイブルとなるように