"手"を貸して欲しい人は、まずその手を差し伸べましょう
世の中、give(ギブ)とtake(テイク)で
できていると称える人がいたんです
いわゆる、ギブアンドテイク
もう少し突っ込んで考えてみよう
日本語で言うなら
【持ちつ持たれつ】と訳すのが
良いのかなと思う
【お互い様】という精神でもあるのかな
これがもし、一方通行になってしまうと
【親切の押し売り】とか
【余計なお世話】とか
【搾取】なんてことになりかねない
もちろん、永続的に与え続けられる
天使のような人も、いることにはいる
逆にギブばかりを求めて
分け与えられない人もいる
「手を貸して欲しい」
要は「助けて欲しい」「手伝って欲しい」などと
その状況は不安定な事態に
陥っているのかもしれない
周りの人からすれば、
「あぁ、この人は手を貸して欲しいのかな?」
と、感じ取れるくらい、事態は深刻かもしれない
ただ、【どう手を貸したら良いか】が
受け取り手に伝わらないようであれば
助けようがない、と逆に困惑させてしまう
他人のギブを受け取るのであれば、
手を差し伸べよう
しかも両手で
誕生日プレゼントをもらう時だって、そう
もらう側の態度が重要になると
ぼく個人は考えている
「手を差し伸べる」は一般的には、
【手を貸す側】のように聞こえるのでは
ないだろうか
「手を差し伸べる」
これはどちらの側からも言えることだと
考えてみよう
今までが、
【手を貸す側】
【手を貸してもらう側】
という立場があって、
「手を貸してあげる」と言う人がいて
①手を貸して ②あげる のだから
そりゃあ、ありがたいことなんでしょうね
こんな認識が、少しのズレが
後々誤解が生まれることもあるかもしれない
手を貸すことに労力やコスト、手間など
犠牲があるから、ありがたがってもらうのは
当然というスタンスなわけだ
その対応に感謝の念を重ねるのは気が引ける
論点がズレてくる
感謝の対象が「助けてくれたこと」だと
いつまでも対等になれない
「助け合える関係性」に感謝しよう
だから、手を貸して欲しいときは
自分から手を差し伸べていこう