【井口 晃の起業物語 vol5】
そのメンターのマスターマインドに入る事により、
文字通り自分の生きる世界が変わっていった。
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別世界はこの世に確かに存在した!
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そのマスターマインドは世界の風光明媚な場所で、
(タイのプーケット、メキシコのカンクン、スコットランド、
イスラエル、エジプト、アフリカのサファリなど)
毎回世界トップクラスのゲスト講師を招き、
男女関係、究極の交渉術、スピリチュアリティ、
資産構築の方法など
世界最先端の知識を学ぶことができた。
また、年商数億から100億規模の経営者に囲まれ、
人間的にも本当に素晴らしい人が多く一生の友人も何人もできた。
ともにピラミッドの前で100人で豪華のディナーをしたり、
スコットランドのお城でみんなでパーティーをしたり、
イスラエルで色々な遺跡をともに訪れたり、
とにかく人生が根底からひっくり返るような経験ばかり。
タイのプーケットでは、
ビーチで灯籠流しのように、
提灯を夜空に流すという風習を行った、
古いモノの執着を手放すと新しいモノが手に入るということらしい。
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またその旅で、強制的に一泊10万円以上のホテルに何泊もして、
ああ、世の中の億万長者はこんなところに泊まって、
こんな風に人生を楽しんでいるんだと平均的な中流家庭で育った僕は
そういう場所に行くたびに感心していた、
同時に確実に自分の経営者やお金の器も広がっていた。
しかし、私の日々の経営や人生に対する不安感は消えなかった。
そのような素晴らしい学びをして、
日本に帰るたびにスタッフに伝えようとするが、
社長は海外で遊べていいですねというような態度で
コミュニケーションの質はどんどん悪化していった、
またその自己投資のせいで会社のキャッシュフローも悪化していた。
このままだとどこかで落とし穴があるかも・・・
日々そのような不安にさいなまれ、
今まで熟睡できていたのが、
よる眠れない日が続くようになった。
最悪なことにその予感は的中した。
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一転して、転落、挫折の日々。
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その頃、毎月開催していたセミナーも
集客が思うようにいかなくなり、
開催しても7人しか集まらないこともあった、
起業して以来初めて単月赤字になった。
同じセミナーを毎月開催していたので、
お客さんに飽きられたのもあるだろう。
そして、ある時、最悪の事態は突然起きた。
今まで2日間で1、2万円という比較的安価なセミナーを
開催していたが、戦略を変え3日間で7万円というセミナー
を開催することになった。
またその時から2009年当時周りはあまり
やっていなかった動画をマーケティングに取り入れることにした。
また今まで会計があまりに甘かったため、
スタッフ全員でそれを改善することにした、
かなりの大きな変化に周りは困惑した。
経営者は変化や挑戦を好むが、
大部分の人は安定の方を好む、
この事実を僕はすっかり忘れてしまっていた。
ただ、スタッフは今までと違うことをすることに猛反対、
僕がいない間に陰口や不満をスタッフだけでなく、
過去の参加者にももらしていたらしい。
挙げ句の果てには、
セミナーの前日に4人がまとめて、
「井口さんにはもう着いていけません。辞めます。」
と言って、辞表を叩きつけられた。
また同時期にその当時同棲していた
彼女とも別れることになった。
色々なことがまとめて身に降りかかり、
とにかく自分の全存在を否定されたようで
ショックだった。
セミナーでは3日間、自分の与えられたギフトを使い、
エネルギッシュに話し、コーチングをし、参加者の人生を変える、
そして、セミナーの最後には心の底から参加者に感謝をされ、
心の底から生き甲斐を感じていたのに、
3日目の夜は家に帰り一人で落ち込んでいた。
また、次の日一人でオフィスに行き、
誰もいないがらんとしたオフィスで
人目もはばからず、ひたすら泣いた、
体全体がが小刻みに震えているのがわかった。
「俺が何をやったって言うんだ・・・」
俺は一生懸命、会社のために頑張ってきた、
お客さんに結果を出してもらおうと必死にやってきた。
なんのために俺は仕事をしてきたんだ、
何のために俺は必死に頑張ってきたんだ。」
とにかく悔しくて、情けなくて、
悲しくて、やるせなくて、
自分のダメさ加減に呆れていた。
最終的にはなぜか疲れて
そのままオフィスの机で寝ていた。
もう疲れ果てていた、
こんなことをするために俺は起業したんじゃない。
本来なんで起業しようと思ったんだっけ、
もう忙しすぎてそんなことも忘れてしまっていた・・・。
そうか、自分みたいに悩んでた人を
救いたいと思っただけなんだよな・・・。
そして次の日、朝起きて決意をした。
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もう一度復活してみせる・・
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とにかく起業以来また一人ぼっちに戻った。
ゼロに戻り、強制的に古いものを全て手放す羽目になった。
何をやればよくわからなかったので、
どん底の中でよく考えた、
また、当時色々なセミナーやコーチングを受けまくった。
同じコーチとして尊敬している平本 あきおさんの個人セッションを受けたり、
コンサルタントして有名な福島先生の講座に参加したりした。
全てのことからたくさんの学びがあった、
やはり人間は追い込まれてないと、
本気になれない生き物なのかもしれない。
その福島先生のセミナーで現在のビジネスパートナーの
一人でもある北野 哲正さんとの出逢いもあった。
また偶然にも、当時時間があったので
なんとなく色々なメルマガを見ていると、
当時は珍しい動画で対談をしている2人がいた。
伊勢 隆一郎さんと村上 むねつぐさんの2人だった、
今では考えられないことだが、
2009年の当時は動画を使ってマーケティングをしているのは
他には日本では誰もいなかった。
これを見た瞬間、大きな衝撃を受け、
これからの時代は動画だ!と確信した。
自分がセミナーで磨いたトークスキルは、
セミナーに参加してからではなく、
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参加する前に聞いて貰えばいいんだ!とひらめいた。
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時代の流れを読み最も必要なメソッドを使いこなす、
それがここまでこれた最大の成長要因かもしれない。
特に最近はそれを実感する。
早速、知り合いということを聞いて北野さんに
伊勢さんを紹介してもらうことになった。
今の動画を使ったマーケティングの基礎は
全て伊勢さんに教えてもらったと言っても過言ではない、
僕の復活は伊勢さんなしにはありえなかっただろう、
それくらい感謝している恩人でもある。
この動画プロモーションを
使ったプロダクトローンチを武器に
日本のセミナー業界、コーチング業界を牽引していくことになる。
もちろんこの時はそれを知る由も無い。
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奇跡の復活劇
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プロダクトローンチという強力な武器を
手にした僕は水を得た魚のように、
イキイキとまたビジネスに取り組めるようになった。
なぜプロダクトローンチが強力かといえば、
お客さんに商品を購入してもらう前に、
動画を使って、価値提供をすることができるから、
また商品を売る前に信頼構築ができるので
お互いを信頼した上で商品を買ってもらえるのだ。
また一人もいなくなったスタッフだが、
これを機に在宅秘書を雇い、
オフィスを解約し、自宅やカフェで仕事をし、
動画チーム、カスタマーサポート、システム構築など、
全ては外注チームを使うことにした。
なんで今までこうしなかったのかというくらい、
コストも削減できたし、生産性もアップした、
お互いがプロフェッショナルなので、
プロジェクト毎にチームを組めるので
仕事にもメリハリがつく。
ただ、このおかげで、
僕は最初の2ヶ月は平日は毎日動画を撮り続け、
週末はセミナーをするという毎日で
動画撮影には慣れてなかったのでとにかく疲れ果てて、
夜は寝るだけという生活だった。
その後は、
・3日で1,700万円の売り上げ
5万円のセミナーに47人の集客
会員制のプログラムに100人入会
と、とにかく絶好調だった。
とにかくこの奇跡の復活劇の中で、
1年は全く休みがなく、働き続けた。
絶対に周りの批判やいくら自分の足を引っ張ろうとも
ネガティブな方に引っ張られてはならない、
自分の夢は自分以外誰にも止められないのだ、
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そうして走り続けていれば、絶対にあなたは傷つけられることもない。
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その後は実は思わぬ出逢いにより、
僕の人生は少し違う角度に進んでくことになる・・・
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