唯々諾々
唯々諾々と言う言葉は、日常生活を過ごしていたら出会うか出会わないかギリギリな言葉だと思う。
「諾」と言う漢字は「承諾」と言う言葉があることから読みを連想できるが、「唯」と言う漢字は「唯我独尊」と言う言葉から読みを連想すると、意に反して違うルビを振ることになる。
ゆいゆいだくだく。
なんとなくゆるふわに感じなくもない。
唯々諾々と言う言葉を知っている人は、読みが「いいだくだく」であることは当然のことだろう。ひらがなで書くと意外とまともな単語だ。
この言葉の意味としては、一言で表すと「全肯定」だ。
由来は韓非子の故事に由来しているようで、偉い人の様子や顔色を気にして、両手を上げて賛同しているところから来ているようだ。
全肯定というと聞こえはいいが、由来を知るとただご機嫌を取るイエスマンのように見える。
イエスマンは悪いことではないし、実際映画にもある。肯定することはいいことだ。
ただ人に気に入られようとして自分の考えもなしに従っているのはよくないということだろうか。
これは、偽善がいいかどうかという話にも繋がると思う。
やらない善よりやる偽善、といった言葉がある。どんな意向であれ、いいことはしとけよってことだ。本当にその通りだと思う。
この話と唯々諾々の違いは、自分を持っているかどうかだと思う。
唯々諾々としてる人は自分を殺してでも人に気に入られたいというのに対し、偽善をする人は他人によく思われたいという芯があってしている、と考える。
頭にふと浮かんだ言葉からでも、意外と文を書くことができることはいい発見だった。
明日も上司に唯々諾々として、のらりくらりと生きていきますかね。