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「個人的居場所」と「社会的居場所」

居場所って
いくつか分ける考え方があるんですが
僕が結構使っているのが
「個人的居場所」「社会的居場所」
という分け方

     

個人的居場所は
ひとりになりたいときに一人になれる
物事に熱中できる場所

家の中では
書斎、トイレ、お風呂
外ではカフェのような

     

社会的居場所は
自分のアイデンティティが認められる
受け入れられていると感じる場所

家の中ではリビング
外では会社や学校

こちらは物理空間とは
限られないので
コミュニティとかも
社会的居場所のひとつ

          

両方とも大切なんだけど
今回は
個人的居場所について

     

一人暮らしの人は
個人的居場所だらけだから
あまり意識をしたことは無いと思うが

家族がいて
一緒に住んでいると
たまには一人でゆっくりと
考えたくなる時が出てくる
人もいると思う
(僕は経験が無いので
たぶんでしか書けないが)

     

そんな時に便利なのが
カフェなんだと思う

    

僕は違う理由で(人を求めて)
カフェにほぼ毎日行っているのだが
今日カフェで作業している時に
ふと思ったこと

    

個人的居場所って
実は簡単につくることができる
(もちろん子どもが小さくてとか
親の介護で手が離せなくてとか
状況にもよるが)

      

基本的には
「お金」を払うことで
ある程度の居場所を
少しの間だけは
確保することができる
(お金を払っても
居場所となりえないケースも
あるのだが・・・)

      

家もそうで
一人暮らしの家も
重要な居場所だけど
お金を払っているから
得られている空間

     

それが悪いわけではない
ただ
ふと寂しく感じた

    

ただそれだけ

     

お金で繋がること
お金の対価として
その場所と飲み物を得る

     

当たり前の話だし
ずっとやってきたこと

    

ただ
すべてがそうであってしまうことは
少し寂しい気がする

      

お金は大好きです

     

でも
お金で繋がる居場所って
なんか寂しい

嫌とか気持ち悪いとかではなく
寂しい


この気持ちの理由は
よくわからない

    

昨日までは全く気にしてなかったが
気づいてしまうと
その想いはどんどん深まっていく


       

これもお金のブレーキなのかな?

     

     

お金で居場所を買う
(お金で繋がる居場所)
ではなく
何か別のもの・ことで
繋がる場所があっても
面白いのではないか

    

究極的には
お金とか損得とか
そういうのとは違うベクトルで
居られる、繋がれる

そんな居場所をつくってみたい

     

もちろん現実的には
場所を維持運営するために
お金は必要なんだけど

     

そんなことすら
凌駕できるくらい
突き詰まった居場所って
なんか面白そうと     

お金を払って
居場所を確保し
頂いたコーヒーを飲みながら
ふと考えた


何かアイデア
事例がありましたら
ぜひ教えてください


最後まで読んでいただき
ありがとうございました


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