ふつうの生命(戯曲)
2020年の作品です。在り処初の単独公演のために書き下ろした新作です。80分の長編です。
初演:在り処 8th place
ふつうの生命(ひと)
【登場人物】
・光星(みつせ):女。怪物と人間のハーフ。大学生。
・母:光星の母。怪物。姿は見えず、声は聞こえない。
・父:光星の父。人間。本名・小暮稔(こぐれみのる)。
・有史(ゆうし):男。光星の恋人。社会人。
・松下(まつした):男。有史の同僚。
・環(たまき):女。妊娠している。
【一】
明瞭で平坦な女性の声で、原稿が読み上げられる。
「今日未明、名古屋市中村区にて女性が血を流し倒れているのが発見され、その後死亡が確認されました。警察は殺人事件として捜査しています。女性の体には複数の傷があり、刃物を使って殺害されたとみられています。女性は新月手帳を所持しており、警察は怪物排斥運動に――」
声が途切れる。光星はテレビに向けていたリモコンを片付ける。
ワンルーム。物が多いが、整理されている。薄暗い部屋にカーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいる。ベッドには男が寝ている。
光星はベッドに近づく。男――有史は軽く寝息を立てて静かに眠っている。首筋が露わになっている。光星は黙って有史を見つめる。有史の首に手を伸ばす。が、触れるか触れないかのところで手を止め、引っ込める。
有史が身じろいで、目を開ける。
光星 起こしちゃった?
有史 ん、いや。
光星 え、何。起きてたの?
有史 うん。
光星 なんだ。
有史 何考えてたの?
光星 え?
有史 顔見てたでしょ。
光星 ……気づいてた?
有史 視線感じた。
光星 うわ恥ず。
有史 で、何考えてたの。
光星 そういうこと聞いちゃうの嫌だわ。
有史 ふうん、嫌なんだ。
光星 嫌。
有史 俺でも嫌?
有史は身体を起こして光星を見つめる。
有史 教えてよ。
光星 ……言わなきゃ駄目?
有史 ミツセのこと知りたいな。
光星 ずるいよそういうの。
有史 教えて。ね。
間。
光星 怒んないでよ。
有史 うん。
光星 絶対だよ。
有史 怒らない。
光星 ……どんな味するんかなって。
有史 味?
光星 食べたら、どんな味するんだろうなって。ユウ君は。
有史 ……。
光星 ……だから嫌だって言ったじゃん。
有史 食べちゃったらもう会えないよ。
光星 食べないよ。
有史 そっか。
光星 キモいね私。
有史 好奇心が強いのは良いことだよ。
光星 うん。
有史、ベッドから降りる。部屋の明かりを点ける。
有史 モーニング行くか。
光星 いいね。
有史 ちょっとシャワー浴びるわ。
光星 はーい。
有史 一緒に浴びる?
光星 ……うん。
有史と光星は連れだって扉の奥、風呂に向かう。
*
リビングであるそこは、食卓机と椅子、ソファ、テレビなど、必要最低限の家具があるのみ。生活感が薄く、秩序だっている。
ソファに中年の男が座って、タブレット端末を操作している。扉の向こう側から声が聞こえる。
光星 これで足りる?
母 (大丈夫よ、ありがとね)
光星 また後で来るから。
母 (いつもごめんね)
光星 いいって。じゃね。
扉を開けて、光星が出てくる。ガーゼで左腕を押さえている。
光星 ごめん止血手伝って。
父 うん。
父は光星からタオルを受け取り、光星の左の二の腕に巻き付け、縛る。
光星 ありがと。
父 ……治らない?
光星 うーんなんかね、治り遅いんだよね。疲れてんのかも。
父 ……。
光星 まあ十分もしたら塞がると思うよ。出血少なくなってきてるし。
父 ならいいけど。
光星 パパがやるよりは早いでしょ。
父 そりゃそうだ。
光星 ……あのさ。
父 ?
光星 ……やっぱいいや。
父 そう。
光星 明日さ、帰るの遅くなるかも。
父 そうですか。
光星 ママに何かあったらLINEして。
父 はいはい。
光星 絶対無理しないでよ。
父 慣れてるから。
光星 はは、そりゃね。でもほんとに。
父 大丈夫。
光星 ……うん、大丈夫。
父 うん。
軽い沈黙。
光星 先お風呂入って。染みるのやだから。
父 うん。
父、タブレットの電源を切り、部屋を出る。
ふと、付けっぱなしだったテレビの音声が光星の耳に入る。コメンテーターがアナウンサーに解説をしている。
「いわゆる怪物排斥運動は今に始まったことではなくて、以前から似たような運動は起こっていたんですね。一連の背景には新月障害の正しい知識が不足していること、新月障害への偏見があります。――」
光星 ママが怪物だと知ったとき、私はまだ六歳だった。卒園式に来てくれたママに手を振ったら、誰もいないよって言われた。お祝いで貰ったケーキをママは食べなかった。代わりにパパの腕の肉を食べていた。
コメンテーターは話を続ける。
「――新月障害の介護における事故の根本的な原因は、やはり障害への偏見と、公的支援がいき届いていないことです。悲しい事故を防ぐためには、怪物を恐れる前に支援を――」
光星 その後、パパは入院した。腕の怪我が原因だった。その間、新月障害の家族会で親しくしていた人の家に預けられた。おばさんに、ママを守ってあげてねと言われた。おばさんは一年後に死んだ。介護中の事故だった。
さらにコメンテーターは続ける。
「――障害の方は人間の血肉を摂取することが欠かせません。定期的に摂取しないと、発作を起こすことがあり、最悪の場合、周りの人を襲うことが――」
光星 でも私は死ぬことはない。私の半分は、怪物だから。
光星、傷口を押さえていたガーゼを取る。傷は既に塞がっている。二の腕に巻かれたタオルを解き、洗濯機のある部屋まで持って行く。
ここから先は
¥ 1,000
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?