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作曲機材の変遷その1(80年代末期)

今回は私Coakiraの作曲機材の変遷について書いてみたいと思います!
DTMを始めたのがもう何十年も前の話なので憶えてる範囲でですが。。

そもそもDTM(当時はそんな言葉はなく単に「打ち込み」といってましたが)をはじめようと思ったきっかけは1980年代後期、私が中高生の頃、世間ではインディーズ(自主制作)バンドブームというのがあって私も色々なバンドのレコード(当時インディーズのバンドで音源をCDで出す人は滅多にいなかった)買ったりライブを観に行ったりしていました。
インディーズバンドのDIY精神に憧れて自分でもバンドをやってみたいと思ったのですが楽器は弾けないし練習するのも嫌という性分だったので無理だと諦めかけていたのですが、中には「打ち込み」で作りこんだバックトラックを流しながら歌ったり演奏したりするスタイルのバンドがいくつかいたのでこれなら自分でもなんとかなるかも?と思い「打ち込み」で作曲を初めてみようと思いました。
そこで一番最初に買った機材がローランドのD-20というシンセサイザーでした。所謂オールインワン・シンセというやつで一台でマルチティンバー音源(8チャンネルの音色を同時に使える音源)、鍵盤、8トラックのシーケンサーがそろっててこれだけで曲が作れますという触れ込みの商品でした。
18万ぐらいしたので高校生には厳しかったのですがローンの分轄払いで買って月々のバイト代をつぎ込んでいました。

Roland D-20


使ってみると色んな音が入ってて後のGM音源の走りみたいな感じで、とりあえず全くの素人が手にするにはかなり贅沢なシンセだったと思います。
実際自分の先輩ミュージシャンの話を聞くとマルチティンバーのオールインワンシンセがでる以前は1台のシンセでカセットMTRに何度も多重録音して作ってたそうなので最初のとっかかりとしてD-20のようなオールインワンが存在していたのは、かなり恵まれていたと思います。
ただシーケンサーがリアルタイム録音のみなのが演奏できない自分にはちょっと痛かったです。
それでも何とかテンポを下げて手弾きで録音して曲作りしてたんですが16ビートのシンセベースとかアルペジオのシーケンスなんかが難しくて苦労しました。
そんなときに丁度良いタイミングでカワイからQ-80という比較的安い単体のシーケンサーが発売されて、これはリアルタイム録音の他にステップ入力(演奏できなくても音符にそって鍵盤押すだけで打ち込みが出来る入力法)が出来たので即買いました。
当時で8万ぐらいしたと思います。これでまたローンが増えました!
早速D-20とQ-80をmidiケーブルで繋いで打ち込みで作曲が出来るようになって弾けないフレーズも制作可能になり驚異的に進歩しました。

KAWAI Q-80


こうなると今度は音色に不満が出てきて特にD-20のドラムの音が生っぽいというかテクノっぽくなくてどうにも納得いかなくなり中古で売ってたローランドのTR-707を買いました。
この頃同じローランドからR8という音色のいっぱい入った最新のドラムマシンが発売されたばかりだったせいかTR-707は滅茶苦茶安く1万5千円で購入出来ました。同じTRでも808や909は中古でも当時からかなり高額でした。
TR-707は切れのいい音で結構気に入って使ってましたね。
本来はTR-707本体でパターンを組んで使うものなのですが自分はQ-80とmidiで繋いでドラム音源として使用し打ち込みはQ-80でやってました。

Roland TR-707


この頃ライブではTASCAMのカセットMTRにトラックを録音したものを流して、その上にベースとシンセを生演奏するバンドをやっていました。

その当時(88~89年頃)ライブでやってた曲のリメイク版がこの曲
2020年に初音ミクの歌で再現したものですが音色はともかく打ち込みのアレンジ等は当時とほとんど変わってないです。
聴いての通り今現在やってるようなハードな要素は一切なくて牧歌的な童謡や民謡風の曲を打ち込みで作ってました。


そうこうしてるうちに時代は1990年代に突入しバンドブームからハウスやテクノなどのクラブサウンドへと流行も移り自分も流行りに乗ってクラブっぽいトラックを作るようになっていきました。
そうなると必須な機材がサンプラーでした!
という訳で長くなりそうなので続きはまた今度!!


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