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本当によくない教育活動はあるの?

ICT、ユニバーサルデザイン、個別最適な学び、探究学習

じつにさまざまな教育手法が溢れています。その分、これまでの教育手法が悪玉のように扱われることがあります。
英語教育でいえば、「学校で6年間(中高)も勉強したのに、英語が使えない」と非常に非論理的な論理が独り歩きしたのか、もっとコミュニケーション重視の英語学習が重宝されています。
最近だと小学校から英語(あるいは外国語活動)が始まっています。おそらく、あと10年もすれば6年間が8年間、10年間、12年間とどんどん数字が伸びていくことでしょう。

コミュニカティブな授業ということで、敵陣営に祭り上げられたのが、「日本語」でした。教師による日本語での文法説明、日本語での内容説明、和文英訳など、日本語を介在させることはダメではないけど、避けようよという流れが確実に出来上がっています。
もちろん、良識的な方は、日本語を完全に排除するわけではない、としていますが、それでも模擬授業や公開授業ではどうしたって英語だけで授業を進める先生が見栄え良く映ります。

かくいう私も、初任者研修の模擬授業で普段通りの授業を展開しました。個人的には、教師の説明を極力省き、その浮いた時間で例文暗記ではなく、口頭での和文英訳を複数回繰り返す、という工夫をしているつもりでした。

結果は、日本語を使い過ぎだよね、という一言に一蹴されました。
こちらの状況(勤務校は1年目であること。学年共通のプリントがあること。授業進度など)を考慮すると致し方ない部分もあるけど、もっと写真や絵を使うとか、とありがたいご指導も頂戴しました。

ひねくれものの私は、ご指導に一定の理解を示しつつも、心の底では納得がいかないでいました。なぜなら絵を使ったところで、パターンプラクティス(意味を考えずに行える反復練習)であれば、不十分な活動だと思うからです。和文英訳では意味を自分で考えることはないものの、自分の中にある表現を取捨選択する意味処理は強制させられます。

そこで、話が突然変わるんですが、先日ディズニーランドに行ったんです。
あそこは英語と日本語を入り乱れています。掲示にしろ、装飾にしろ、放送にしろ。

そこで思ったんです。

ディズニーの英語と日本語を両方用意して、日本語を先に示し、生徒が英訳し、その後ディズニーの英語を提示する授業だったらどうでしょうか。
いわゆるオーセンティック(実際にある本物)な教材です。
指導手順は普通の和文英訳と変わりません(日本語→英訳→解答)。
でもディズニーならではの言い回しだったり、日本語の方が丁寧というかまわりくどいな、みたいな感覚もつかめるかもしれません。単語の意外な意味、とかも。ディズニー好きの生徒だったら、興味関心も抱きやすいのではないかと思います。

例えばベイマックスのアトラクションには、 "This ride will be sick"(だったかな?)とあります。「この乗車は病気になります」ではないですね。「病みつきになるよ!」くらいの訳でしょうか。sick = 病気ではない、というわかりやすい例だと思います。

この活動であればそこに絵や写真を介在させる必要はさほどないと思います。写真で本物を取ろうと、文字だけ示そうが、情報量に大差はないです。もちろん、写真の方が盛り上がるかもしれませんが、そんなん、教師がわざわざディズニーに行かなきゃならんのかい。ディズニーに行ってまで教材を探さないといけないのかい。となりませんか?

言い訳かもしれませんが、こう考えると、「よくない」とされる和文英訳だって、やり方次第でとても面白くなるのではないか、と思うのです。
どんなやり方でも「よくない」と一蹴されるほど無価値ではない、と信じつつ、それでもベターな方策を目指す成長の心は忘れないようにしたいな、と思う夏の終わりでした。

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