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擬態 其の二

 私は静江、滋賀県出身の19歳。私はバックパーカに憧れていた。それで高校を卒業してすぐにニュージーランドへ行くためにワーキングホリデービザを取得した。家族も友人も特に兄貴は私の門出を喜び応援してくれた。
 ニュージーランドではたくさんの山を登り、トラックを歩き回った。仕事は育苗を生業とする農家に潜り込んでどうにか暮らした。毎日訳もわからず細い植物を切って、他の植物にくっつけていた。ボスは気さくな人で、週末にはBBQやクルージングに連れて行ってくれた。ある程度貯金もでき、ビザも切れそうだったので、私はお隣のオーストラリアへ行くことにした。
 オーストラリアでもトレッキングを楽しむつもりだった。けれど、他の国と比べて賃金が高いという噂を聞いて、これからの旅のためにこの国で資金を貯めるのも悪くないと思った。英語は大して喋れなかったので、あまり喋る必要のない仕事を探す必要があった。そこで、ニュージーランドでの経験も活かせる農家での仕事を探すことにした。ネットやSNSにはたくさんの求人が載っていた。
「ストロベリーピッキング」
 日本語で掲載された情報も多い中で、その文言が私の脳に衝撃を与えた。いちご狩りが仕事になり得るのか。それは天国ではないか。
 私は早速、投稿者に連絡を取り、詳細を聞いた。すぐにでも来て欲しいとのことだった。場所も私がいたブリスベンという都市から電車で二時間ほどの距離にあったため、私は即決した。
 駅に着くと、スーパーバイザーと名乗る韓国人女性が車で迎えに来てくれた。明日からでも仕事が始められるということで、作業着や当面の食料品を購入して、ワーカーが寝泊まりしている施設に移動することになった。
 大型のショッピングモールを出て、二十分ほど車に揺られると、あたりは畑や森ばかりになった。湾曲した坂道を上がると、大きな木板に「John's Horses」と書かれた看板が目に入った。牧場だろうか、と思っていると、目の前のシートが鼻先まで迫ってきた。どうやら力強くブレーキが踏まれ、前のめりになった私の方がシートに近づいたらしかった。車はスピードを落とし切らないまま脇道に向かって直角に曲がった。私の体は大きく右側に倒れ込んだ。乗客が一人のこの車内では、私が反旗を翻さない限りこの運転が正義であった。
 ファームハウスと呼ばれる施設に着くと、ひび割れた白いコンクリートの地面が、冬に向かうはずの陽光を照り返し眩しく輝いていた。その光が波打つコンテナの側面に反射して白い陽だまりを作っていた。コンテナの上には深い青色の屋根が取り付けられ、晴天の空とのコントラストが美しかった。実のところ、この表現は私由来のものでは無かった。この後出会った、日本人がぼんやりと空を眺めながら語った言葉を借りたのだった。私はよくその人の言葉を借りた。
 ファームハウスには数人の日本人と数人のイタリア人がいた。私は彼らと挨拶を交わして、ここでの生活に必要な最低限の情報を収集した。今はカッティングという作業中らしく、今日は休みであったという。休みの日にはチーム内でささやかなパーティをして遊んでいるらしかった。皆がやけに上機嫌であったのはそのためだった。
 私が所属したチームのコンテナは、ファームハウスの門を潜って左手側にある数棟で、右手側には共同キッチンがあった。この共同キッチンの四方を囲うようにして他のチームのコンテナが並んでいた。入り口を突き進んだ先には池があり、釣りもできるということだった。また、入口の斜向かいに当たる最奥部にはコイン式のシャワールームが設置されていた。ルームと言っても、金属製の支柱と扉で囲われた屋外の施設であった。屋根と壁はあるが下部上部ともに吹き曝しだった。
 私は早速あたりの散策を始めた。厨房にはステンレス製の大きな作業台が三列に並んでいて、壁際には水道やコンロが設置されていた。伽藍としたその施設は、来るべき活躍の日を待ち侘びて、気を整えているように思われた。その隣には同規模の空間が連なっていて、壁にはモニターがかかり、いくつかのテーブルとその周辺には椅子が転がっていた。さらに、隣り、私が属することになったチームのコンテナ群が並んでいる側には、小さな空間が繋がっていて、卓球台が備え付けられていた。この空間だけは他の空間の経年劣化したオフホワイトの壁ではなく、黒く塗られ、オレンジ色の光を心地悪そうに照り返していた。
 ファームハウス内を一通り巡った私が自室に戻ろうとすると、誰かの歌声が聞こえてきた。

オーストラリアに来たなら
一度はファームへ行きたい
イチゴに夢を託して
期待に胸を膨らます
だけど
そこはオアシスという名のヘル
ハウスという名のプリズン
ファッキンピッキング
心蝕むハングリー精神
ファッキンパッキング
女刑務所プチョヘンザップ

 笑い声の聞こえる方へ私は歩を進めた。そこでは丸メガネをかけ、下駄を履き、髪の毛を頭のてっぺんで結った男が恥ずかしそうに歌っていた。彼の周りではタコスパーティーが催され、ビールを片手に休日を楽しむ幾人かの日本人がいた。私がその集団に近づくと、「あ、今日向こうのチームに来た日本の人でしょ?」と日本人らしき女性が話しかけてきた。
「はい、静江って言います」
「静江ちゃん、私は八重子、よろしくね」
「静江って言うの?古風な名前だね、ビール飲む?」と先ほどまで歌っていた丸メガネの彼が「VB」と書かれた緑色の瓶を差し出してきた。
「お酒ですよね?私こう見えて未成年なんで飲めないんすよ」
「えぇまじ?いくつなの?」と彼が尋ねた。
「19です」
「ジューク、やば、すごいね、一人で来たの?」
「はい、ニュージ行ってたんですけど、ビザ切れたんで次はオーストラリア来ました」
「高卒で単身海外に旅に出たってこと?逞しいな。あ、俺はケンって言うんだ、よろしくね、シズちゃん」
「はい、こちらこそよろしくです」
「みんなでタコスパーティやってるからよかったら食べていきなよ」
「いいんですか、めっちゃお腹減ってます」
「たらふくお食べなさい、作りすぎたから」
「おほほほほ、ではいただきます」
「何その笑い方」と彼は苦笑いを浮かべた。
「え、なんか変ですか?っほほほほほ」と私も釣られて変な顔で笑いが止まらなくなった。
「やばい、みんな、変な日本人が増えた」と彼はタコスやらビールやらを頬張る一同に向かって語りかけた。
 私はそのパーティのメンバーと挨拶を交わしながら空腹を満たした。何かよく分からない挽き肉と豆のスパイシーな炒め物やアボカドとエビの和え物、野菜やハム、きゅうりなどを彼らがトルティーヤと呼ぶ円形の生地に包んで頬張った。世の中にこれほど美味しいものがあったのかと思わされた。食材の美味しさか、自分で手巻きした事によるバイアスか、はたまたこの場の温かく安心感の溢れる雰囲気が味覚を解放したのか、理由は分からなかったがとにかく美味しかった。
 楽しげな音に導かれて、私のファーム生活初日は、満腹感と安心感に包まれて幕を閉じた。後日、食事のお礼に、持参した書道セットで、封筒に「ほんの気持ち」と「ありがとう」という文字を認めてプレゼントした。青空の下で行われた書道ワークショップを彼らは文化祭の出し物のようにはしゃいで楽しんだ。もちろん私もその一員であった。
 しばらくして、私が所属するチームは他のファームに移動することになったけれど、彼らとの関係はその後も続いた。

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