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所有

 早朝五時。あたりはまだ暗く、冷たい空気が上空から地面までぴたりと満たし、土を圧し固めただけの道路に霜を立たせていた。私のワーキングブーツだけがその空間で唯一、この静寂を乱す存在に思われた。
 車のエンジンをかける。もうこの動作にも慣れたものだ。当初のような心のざわめきはない。無骨なこの車体を私はずいぶん手懐けられたと思う。
 社内を暖めながら皆の到着を待つ。眠たい眼を擦りながらまばらに集まり始めた人々は、その多くがアジア系の顔つきをしており、ほとんどが台湾人と日本人だった。いつの間にかスウェーデン人やフランス人、ベトナム人たちはチームを離れたらしかった。
 そういえば、あのフランス人の女の子のポーチには、チーム中のライターが集まっていた。一緒にタバコを吸うと、必ずライターを借りる彼女は、そのまま持ち去ってしまう。結果として、チーム内のほぼ全てのライターが彼女のポーチに集まってしまった。そのことに最初に気がついたのは、私だった。なぜライターを持っているのにライターを借りるのか尋ねたが、何が可笑しいのかわからないというふうに笑っていた。あれが西洋的なリベラルの考え方なのだろうか。私たちはいつからあのライターを自分のものだと考えていたのだろう。名前を書いたわけでもなく、契約書を交わしたわけでもなく、品番を控えていたわけでもない。あのポーチの中に私のライターがあったのかどうかも実のところ定かではなかった。ただ、あのポーチの中にあるかぎり、あれはあの子のライターなのかもしれない。貸したつもりでも、向こうはもらったつもりだったのかもしれない。所有や譲渡や登記や消費、それらの概念は様々な次元で存在していて、絡み合って存立していることを体感した。
 結果として、私の手元には見覚えのない真っ青で大きいライターが残った。しかしそれ以来あのフランス人を見かけることはなかった。文化や価値観の違いは、無意識に排他的な力を生んでしまうのかもしれない。そうして残った台湾人と日本人と数名の香港人は今日もイチゴ畑へ向かう。
 私は車に乗り込む全員に満面の笑みで挨拶を投げかける。そうでもしなければ、皆快く運賃を払ってはくれないのだ。毎日私のポーチに貯まっていくこの美しいコインは、果たして私のものだろうか。いつか誰かに、なぜそれだけコインを持っているのにコインを集めるの、と尋ねられることがあるかもしれない。その時私はなんと答えるのだろう。笑って誤魔化してしまえば、きっと私もこのチームにはいられなくなる。

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