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放射線物理学② ~放射線の線量の概念~

それでは今日は、放射線の線量の概念についてお話します。前回の「そもそも放射線とは?」の内容も参考にしつつご覧になっていただけると幸いです。
さて、私たちが普段から目にしたり耳にしたりする「放射線」というのは厳密に言うと「電離放射線」であり、その電離放射線は大きく分けるとそれ自体が直接物質(原子)を電離または励起する直接電離放射線(α粒子陽子線重イオン線(炭素イオン線など)など)と、それ自体が周囲の水分子を電離または励起して生成したラジカル(H*:水素ラジカルOH*:ヒドロキシラジカル など)により間接的に物質を電離または励起する間接電離放射線(光子:X線およびγ線 中性子線)の2つに分けられるのでしたね。
なお電離とは原子中に存在する電子を引き剥がす作用を指し、励起とは物質(原子)にエネルギーを与えて不安定な状態にすることを意味します。

[図1] 放射線の分類

まずは間接電離放射線のうち、光子、すなわちX線とγ線が物質に及ぼす作用についてお話します。

❶ 光子と物質の相互作用

冒頭にてX線やγ線などの間接電離放射線は、水分子(H2O)を電離したり励起したりすることでラジカルと呼ばれるものを生成し、間接的に物質を電離・励起するというお話をしました。このうち電離については、光子(X線とγ線)と物質の相互作用である光電効果コンプトン散乱に起因します。
光子と物質の相互作用は主に3つあります。⑴光電効果、⑵ コンプトン散乱、⑶ 電子対生成の3つです。
物質に光子が照射されると、光子は物質中の原子と上記の3つのような相互作用を起こすことにより物質入射前の強度(線量)と比べて次のように指数関数的に強度が減少します。

I(x) = I_0・exp(-μx)
ただしI_0は物質入射前の光子の強度、μは物質の線減弱係数[m^-1]、xは物質の厚さ[m]を示します。

ではこのように光子の強度を弱める要因となる光子と物質の相互作用3つについて、詳しく見ていきましょう。

⑴ 光電効果 :

原子に光子が照射されると、原子核の周囲を取り巻く軌道電子に光子のエネルギーが全て吸収されて、エネルギーを吸収した軌道電子が軌道の外に飛び出る場合があります。これを光電効果と呼びます。

[図2] 光電効果のイメージ図

光電効果においては、軌道電子に吸収された光子のエネルギーは全て軌道電子の電離と軌道の外に飛び出た(自由)電子の運動エネルギーに変化します。この光電効果の原子反応断面積(=発生確率)τはτ∝(Z^5)・(E^-3.5)というように光子が入射する原子の原子番号Zの5乗に比例し、光子のエネルギーEの3.5乗に反比例します。
ちなみに、光電効果によって軌道電子が軌道の外に飛び出すと電子軌道上に空席ができるのですが、空席ができた軌道とは別の軌道から電子がその空席の場所に遷移します。このとき特性X線が放出されるのですが、この特性X線のエネルギーは、遷移した電子が元々位置していた軌道における電子の全エネルギーから電子が遷移した軌道における電子の全エネルギーを引いた分のエネルギー差になるんでしたね。
ここで一番外側にあるK軌道(K殼)から数えてn番目(n=1だとK軌道になります)における電子の全エネルギーE_nは

m_e = 9.11×10^-31 [kg]:電子の静止質量
Z:特性X線が放出される原子の原子番号
e=1.602×10^-19 [C]:電子の素電荷
ε_0 = 8.9×10^-12 [C^2・N^-2・m^-1]:真空中における誘電率
h = 6.63×10^-34 [J・s]:ブランク定数

に対して

E_n = -{m_e・(Ze^2)^2}/{8・(ε_0・h)^2}・(1/n^2)

と表すことができます。水素の場合Z=1ですから、

{m_e・(Ze^2)^2}/{8・(ε_0・h)^2} ≌ 13.6[eV]

と計算することができます。よって

E_n = -13.6/n^2 [eV]

と計算できるわけですが、このエネルギーの式から特性X線のエネルギーを計算できるのです。
また、特性X線の代わりにオージェ効果により軌道電子がオージェ電子として電子軌道の外に放出される場合もあります。

⑵ コンプトン散乱 :

ある程度光子のエネルギーが高くなると、光子は原子核の周囲を取り巻く軌道電子に衝突して電子を軌道の外に弾き出し、自身は運動の方向を変えて波長を大きくし(=エネルギーを減少させ)散乱します。これをコンプトン散乱とよび、光子の粒子性を表現する現象です。
ではここで、光子のエネルギーがどのような式で表現されるかをおさらいしてみましょう。
荷電粒子や中性子の場合、運動エネルギーKは粒子の質量m[kg]とその速さv[m・s^-1]に対してK=(1/2)mv^2という式で表すことができますが、光子は質量を持たない電磁波ですから、このような古典力学的運動エネルギーでエネルギーを表現することは出来ません。そこで光子のエネルギーはブランク定数h=6.63×10^-34[J・s]と自身の周波数ν[s^-1](=c/λ : λは光子の波長[m]、c=3.0×10^8[m・s^-1](光速))を掛け合わせて表現されます。

E_x,γ = hν = (hc)/λ : 光子のエネルギー

また、E_x,γを光速cで割ると光子の運動量p_x,γ[N・s]になります。

p_x,γ = E_x,γ/c = (hν)/c = h/λ [N・s]

これを基にして次の[図3]に示すようなコンプトン散乱を詳しく見ていきましょう。

[図3] コンプトン散乱のイメージ

上図のようなコンプトン散乱において、

・入射光子の波長をλ_0[m]、振動数をν_0[s^-s]
・散乱後の光子の波長をλ[m]、振動数をν[s^-s]
・電子の(静止)質量をm[kg](=9.11×10^-31[kg])
・光子の散乱角(=水平方向に対する散乱光子の運動方向の角度)をθ

とすると、光速c=.0×10^8[m・s^-1]、ブランク定数h=6.63×10^-34[J・s]に対して

λ-λ_0 ={h/(mc)}・(1-cosθ) …(*)

という式が成り立ちます。なお、h/(mc)はコンプトン波長とも呼ばれ、
h/(mc)≌2.42×10^-12[m](=2.42[pm])となります。

(※)"p"は"ピコ"と読み、10のマイナス12乗倍であることを意味します。単位に使用される接頭辞の1つです。
(さまざまなの接頭辞の読み方と意味)
T… テラ : 10^12倍
G…ギガ : 10^9倍
M… メガ : 10^6倍
k… キロ : 10^3倍
c… センチ : 10^-2倍
m…ミリ : 10^-3倍
μ… マイクロ : 10^-6倍
n… ナノ : 10^-9倍
p… ピコ : 10^-12倍
f… フェムト : 10^-15倍

(*)式は散乱前後の光子と(コンプトン)電子の運動量保存則とエネルギー保存則を立式することで証明することができます。

[図3] コンプトン散乱のイメージ

((*)式の証明)

以降、コンプトン(反跳)電子がコンプトン散乱時に水平方向に対して角度φで弾き出されて運動量p=mv、運動エネルギーK=(1/2)mv^2(m[kg]は電子の質量、v[m・s^-1]はコンプトン電子の速さとする)ものとする。
コンプトン散乱の前後において
鉛直方向の運動量保存則より

(hνsinθ)/c - psinφ = 0
∴ psinφ = (hνsinθ)/c …(a)

水平方向の運動量保存則より

(hν_0)/c = (hνcosθ)/c + pcosφ
∴ pcosφ = (hν_0)/c - (hνcosθ)/c …(b)

またエネルギー保存則より

hν_0 = hν + (1/2)mv^2 …(c)

(a)と(b)より
(psinφ)^2 + (pcosφ)^2 = {(hνsinθ)/c}^2 +{(hν_0)/c - (hνcosθ)/c}^2
すなわち
p^2 = {(hν)/c}^2 + {(hν_0)/c}^2 -2・(h^2・ν_0νcosθ)/c^2 …(d)

また p=mvより

(1/2)mv^2 = (mv)^2/(2m) = p^2/(2m)

であるから、(c)式より

hν_0 = hν + (1/2)mv^2
∴ p^2/(2m) = h(ν_0 - ν)
⇔ p^2 = 2mh(ν_0 - ν) …(c)'

(c)'と(d)より

{(hν)/c}^2 + {(hν_0)/c}^2 -2・(h^2・ν_0νcosθ)/c^2 = 2mh(ν_0 - ν)

であるから、この両辺をνν_0(≠0)で割ると

(h/c)^2・(ν/ν_0) + (h/c)^2・(ν_0/ν) - 2・(h^2・cosθ)/c^2 = 2mh(1/ν - 1/ν_0) …(e)

ここでc = ν_0λ_0 = νλ だから、ν_0 = c/λ_0 かつν = c/λ ゆえに、

ν/ν_0 = λ_0/λ かつ
ν_0/ν = λ/λ_0 かつ
1/ν = λ/c かつ
1/ν_0 = λ_0/c

が成り立つ。これらを(e)式に代入すると、

(h/c)^2・(λ_0/λ) + (h/c)^2・(λ/λ_0) - 2・(h^2・cosθ)/c^2 = 2mh(λ-λ_0)/c
∴(h/c)・(λ_0/λ) + (h/c)・(λ/λ_0) - 2・(hcosθ)/c = 2m(λ-λ_0) …(e)'

このとき、λ-λ_0≌0(λとλ_0の差が極めて小さい)と見なすことができるので、λ≌λ_0
すなわちλ/λ_0 ≌ 1 かつ λ_0/λ ≌ 1であるから、(e)'式は

(h/c) + (h/c) - 2・(hcosθ)/c = 2m(λ-λ_0)

と近似することができる。これを整理すると

2・(h/c) - 2・(hcosθ)/c = 2m(λ-λ_0)
⇔ 2h・(1-cosθ)/c = 2m(λ-λ_0)

すなわち

λ-λ_0 = {h/(mc)}・(1-cosθ)

となり、(*)式は示される。        (証明終)

このコンプトン散乱について、光子が入射する原子の原子番号Zおよび光子のエネルギーEに対してその原子反応断面積(発生確率)σは σ∝Z・E^-1 と示されます。すなわち、コンプトン散乱の原子反応断面積σは入射する原子の原子番号Zに比例し、光子のエネルギーEに反比例するのです。

[図4] 光電効果、コンプトン散乱、電子対生成が起こる光子のエネルギーと入射原子の原子番号の関係

[図4]のAは光電効果、Bはコンプトン散乱、Cは電子対生成の起こる光子の原子番号およびエネルギーの領域になります。あくまで目安ではありますが、40keV以上の光子を水(実効原子番号7.5)に入射するとコンプトン散乱が生じるようになります
またこれはどちらかというと放射線生物学のお話になるのですが、コンプトン散乱に起因する生体中の現象としてビルドアップという現象も重要です。

(※1) ビルドアップとは

[図5-ⅰ] ビルドアップの様子

ヒトの生体に対して光子を照射したときの深部線量百分率:PDD(percentage depth dose)(=皮膚表面を含む生体内における組織吸収線量の最大値に対する、任意の箇所における組織吸収線量の比を百分率化したもの。吸収線量は後述にて説明)は通常、深い箇所に行けば行くほど指数関数的に減少します。ところが生体内の皮膚表面に近い箇所では[図5-ⅰ]のように深さが増すほど逆に線量が増加し、ピーク時の吸収線量が皮膚表面よりも大きくなる傾向が見られます。このように皮膚表面からやや深い箇所で線量が最大になる(=皮膚表面の吸収線量よりも大きくなる)現象をビルドアップと呼びます。
何故このような現象が起こるかといいますと、生体内の皮膚表面に近い部位ではコンプトン散乱によって散乱光子とコンプトン電子が発生し、生体内の深い箇所に向かって進む直接線に加えてこれらの散乱線や二次電子の照射も加わるからです。そもそもエネルギー保存則からこのような散乱線やコンプトン電子(二次電子)は元々の光子のエネルギーに比べて低くなるので、発生箇所より深い箇所に進まずに発生箇所以浅に留まる傾向にあります。ですから、生体内の皮膚表面に近い箇所で吸収線量が最大となるのですね。
このようなビルドアップは光子のエネルギーが低いほど(散乱光子やコンプトン電子のエネルギーも低くなり発生箇所以浅に留まりやすくなるため)顕著になります。なお、このビルドアップが起こる地点における仮想的な線量として1cm線量当量という線量指標もあります。これはビルドアップがヒトの皮膚表面から1cm程度の深さの生体内で起こるという考えに基づき、実効線量(→後述にて説明)の算定を行うときに使われます。簡潔に説明すると、全部の臓器や組織がこの1cm線量当量に相当する線量を吸収したとすれば、放射線被ばくの過小評価を回避することができるのです。
また生体内で吸収線量線量が増大する現象はビルドアップだけではありません。比較的質量の大きい荷電粒子(α粒子や炭素イオン線等)をヒトの生体内に照射した際にも、[図5-ⅱ]のように深い箇所で急激に吸収線量が増大する現象が見られます。[図5-ⅱ]のようなピークを特にブラッグピークと呼びます。なお、①はX線、②は陽子線、③は炭素イオン線の深部組織吸収線量の曲線をそれぞれ表し、(*)はブラッグピークを、(**)はビルドアップをそれぞれ表します。

(※2)ブラッグピーク

[図5-ⅱ] 各線質の体表面からの距離変化に伴う深部組織線量の変化

例えばX線やγ線といった光子は物質に入射すると、深さが深くなるにつれ上の[図5-ⅱ]の①のようにブラッグピークを境に吸収線量が次第に減衰していきます。では何故、光子とは対照的にこのようなブラッグピークがα粒子や炭素イオン線等の荷電粒子をヒトの生体内に照射したとき見られるのでしょうか。
荷電粒子を物質やヒトの生体内に照射すると、直接電離作用により物質内や生体内の原子を電離または励起します。このような電離・励起作用によって荷電粒子が失うエネルギー(=物質内または生体内の原子に与えられるエネルギー)とエネルギーを吸収した物質(生体)1kg中の断面積を掛け合わせたものを質量衝突阻止能と呼び、S_col[MeV・m^2・kg^-1]で示されます(質量衝突阻止能については後述にて詳細に説明します)。
この質量衝突阻止能S_col[MeV・m^2・kg^-1]は、荷電粒子が自身の直接電離作用(原子の電離または励起)により失うエネルギーE_col[MeV]、荷電粒子が物質(生体)中を進んだ距離x[m]、物質(生体)の密度ρ[kg・m^-3]に対して

S_col = dE/(ρdx) = (1/ρ)・(dE/dx)_col

という式で表現されます。なお(dE/dx)_colは線衝突阻止能[MeV・m^-1]を表します。このうち、荷電粒子が失う運動エネルギーEは、入射する物質(生体)中の原子の(軌道)電子と荷電粒子の間に働くクーロン力f[N]によるエネルギー損失と見なすことができます。
このクーロン力fは

f = (Ze・e)/(4πε_0r^2) [N]

という式で表現されます。ただし、Zは荷電粒子の価数(=原子番号)、e=1.602×10^-19[C]:電子の素電荷、ε_0 = 8.9×10^-12[C^2・m^-2・N]:真空中の誘電率、rは荷電粒子-原子間の距離[m]をそれぞれ表します。つまりf∝Z(fはZに比例する)であり、このクーロン力fによる力積(=運動量)p[N・s]は荷電粒子の速さv[m・s^-1]に対して

p = ∫fdt ∝ Z・(1/v) = Z/v…(a)
(∵クーロン力を受ける時間dtは1/vに比例する(dt∝1/v))

となります。よってクーロン力fによる電子1個あたりの荷電粒子のエネルギー損失Kは(a)式より

K = (1/2)mv^2 = p^2/(2m) (∵p=mvより)
∝ (Z/v)^2 = Z^2/v^2…(b)

となり、Z^2/v^2に比例します。
このKにさらに荷電粒子が入射する物質(生体)の原子密度n[m^-3]と荷電粒子の価数(原子番号)Zの積n×Z(=1m^3の物質または生体内に存在する電子の個数)を掛け合わせたもの、すなわちK×n×Z(=1m^3の物質または生体内で荷電粒子が電子との間に働くクーロン力によって失うエネルギーの総和)が線衝突阻止能
(dE/dx)_col[MeV・m^-1]となります。
ここで物質(生体)内の原子の質量数Aに対してn = (ρ/A)・N_A(N_Aはアボカドロ定数で、N_A = 6.02×10^23[mol^-1])ですから、

n×Z = (Z/A)×ρ×N_A…(c)

(b)×(c)より、

(dE/dx)_col ∝ (Z^2/v^2)×(Z/A)×ρ

ですから、質量衝突阻止能S_col[MeV・m^2・kg^-1]は

S_col = (1/ρ)・(dE/dx)_col ∝ (Z^2/v^2)×(Z/A)

ただしZ/Aは物質(原子)によらずほぼ一定の値をとりますから、

S_col = (1/ρ)・(dE/dx)_col ∝ (Z^2/v^2)

となります。すなわち、物質の質量衝突阻止能S_col[MeV・m^2・kg^-1]は荷電粒子の価数Zの2乗に比例し、荷電粒子の速さv[m・s^-1]の2乗に反比例します。これをベーテの式(Bethe formula)と呼びます。

ベーテの式
S_col ∝ Z^2/v^2

つまり物質または生体内に入射する荷電粒子の価数が大きいほど荷電粒子の速さが小さいほど質量衝突阻止能が大きくなることがわかります。このベーテの式を前提として、何故[図5-ⅱ]で示すようなブラッグピークが観測されるのかを考えていきましょう。
荷電粒子が物質または生体内に入射して内部を進むにつれ、物質または生体内の質量衝突阻止能によって運動エネルギーが失われそれに伴って荷電粒子の速さvも減少します。するとベーテの式から質量衝突阻止能が増大し、vはさらに減少して質量衝突阻止能はさらに増大します。このサイクルを繰り返すと物質または生体内の質量衝突阻止能は急激に増大して、入射する荷電粒子を急激に減速させます。すると荷電粒子は周辺の原子と相互作用(電離や励起)する時間が長くなり、特に速さvが0と見なせる停止点の付近では長い時間をかけて相互作用が起こることから、非常に大きな電離を起こします。このため、[図5-ⅱ]の(*)で示すように生体内の深い箇所で吸収線量が急激に増大するのです。なお[図5-ⅱ]において陽子線よりも炭素イオン線の吸収線量の増加のし方がより急激なのは、先ほど示したベーテの式から価数が1の陽子線よりも価数が6の炭素イオン線の方が質量衝突阻止能が大きく、減速されやすくなる(=物質または生体内で長い時間をかけて電離や励起などの相互作用を起こしやすくなる)ためにより大きな電離が起こるためです。

(※)例えば①4MeVのα粒子をヒトの生体内に照射する場合と②8MeVのα粒子をヒトの生体内に照射する場合とを比べた場合、①の方が被ばく線量は大きくなります。これは入射するα粒子(荷電粒子)のエネルギーが低いほど生体内に留まりやすく、生体内の原子を電離または励起する時間が長くなり生体内でより電離を起こしやすくなるためです。

このような炭素イオン線や陽子線などの荷電粒子線のブラッグピークを応用して、体内の深い箇所に存在する癌細胞に大線量照射を行う陽子線治療や重粒子線治療といった放射線治療が医療において使用されています。

※荷電粒子の飛程R[m]は線衝突阻止能
dE/dx[MeV・m^-1]に対して

R = ∫(dE/dx)^-1dE …①

という式で与えられます。

dE/dx = ρ・S_col ∝ Z^2/v^2 ∝ (M・Z^2)/E

ですから、①式より荷電粒子の質量M[kg]に対して

R ∝ ∫{E/(M・Z^2)}dE = {1/(M・Z^2)}∫EdE
∝ E^2/(M・Z^2) ∝ (Mv^2)^2/(M・Z^2)
= (M・v^4)/Z^2

すなわち

R ∝ (M・v^4)/Z^2

となります。
α粒子の場合、真空中における飛程R_α[cm]はそのエネルギーE[MeV]に対して
R_α = 0.318×E^(3/2) [cm]
と表されます。

[図6]電子対生成のイメージ

⑶ 電子対生成 :

1.022MeV(=電子の静止エネルギー(静止質量)0.511[MeV]の2倍)以上のエネルギーの光子が原子核近傍のクーロン場を通過するとき、電子-陽電子の対(ポジトロニウム)が生成します。それが静止して消滅するとき、消滅放射線と呼ばれる2本の511keVのγ線がそれぞれ正反対方向に放出され消滅します。このような現象を電子対生成と呼びます。
電子対生成においては

・入射光子のエネルギー:E_x,γ
・電子の静止質量:m=9.11×10^-31[kg]
・光速c=3.0×10^8[m・s^-1]
・生成する陽電子のエネルギー:E_+
・生成する電子のエネルギー:E_-

に対して次のような関係式が成り立ちます。

E_x,γ - 2mc^2 = E_+ + E_-
(なお、
mc^2 = {(9.11×10^-31)・(3.0×10^8)^2}/(1.602×10^-19)
= (8.199×10^-14)/(1.602×10^-19)
= 5.117×10^5 [eV] ≌ 511[keV])
電子対生成の原子反応断面積κは入射する原子の原子番号Zに対してκ∝Z^2、すなわちZの2乗に比例します。

[図7] 光子と物質(原子)の相互作用のまとめ

後ほどお話する内容に関係してくるので、先に放射線の線量を表す量についてお話していきたいと思います。

❷ 放射線の「線量」

⑴ 照射線量

照射線量:X[C・kg^-1]は1kgの質量の空気光子を照射したときに生成する電子-陽イオン対が空気中で停止するまでに生じる正または負の電荷の絶対値を表します。この場合は主に電子の電荷が対象となるので、n:生成する電子-陽イオン対の個数、e=1.602×10^-19[C]:電子の素電荷に対してX = n・e[C・kg^-1]と表されます。

⑵ カーマ(KERMA:kinetic energy released per unit mass)

次にカーマ(KERMA):K[J・kg^-1]は1kgの質量の(あらゆる)物質に対して非荷電放射線(光子や中性子)を照射したときに物質内で生成する荷電粒子(=二次電子:光子の電離作用により原子から引き剥がされた(軌道)電子)の初期運動エネルギーの総和を表します。このカーマは前述の照射線量X[C・kg^-1]にW値[J]という値を掛けると求めることができます。
W値とは電子-陽イオン対を1対生成するために必要な放射線のエネルギーを表し、光子を照射した場合は乾燥空気中で33.97[eV]となります。
X・W = (n・e)・W = n・(W・e)
= (電子-陽イオン対の個数)×(光子が照射される物質のW値)
= (照射時に電子に与えられる初期運動エネルギーの総和)
= K [J・kg^-1]

⑶ 吸収線量

吸収線量:D[Gy]([J・kg^-1])は(種類を問わず全ての)電離放射線を1kgの物質に照射したときに、放射線自身や生成した二次荷電粒子(二次電子)が物質内の原子を電離または励起すること(=直接作用)によって、その物質に与えるエネルギー(≌1kgの物質に放射線が与えるエネルギー)を指します。なお、[Gy](読み方:グレイ) = [J・kg^-1]でもありますが、一般的に吸収線量の単位としては専ら[Gy]を使用します。

❸ 質量エネルギー転移係数、質量エネルギー吸収係数

では話を戻しますね。光子が入射する物質の線減弱係数(全減弱係数)μ[m^-1]は、これらの相互作用による減弱係数の和μτ + μσ + μκで示されます。

[図8] それぞれの相互作用による線減弱係数のエネルギーによる変化

[図8]に示すように、光電効果による線減弱係数μτはエネルギーの増大に伴い減少するのですが、点線の丸((*)で示した箇所)で示すようにあるエネルギーにおいて急激に増大します。これをK吸収端とよび、それより大きいエネルギー領域ではエネルギーの増加に伴いμτは減少していきます。
ここで線減弱係数についても詳しく見ていきたいと思います。前述のカーマ(KERMA)とも関連する内容ですから、是非押さえておきたいところです。

⑴ 線減弱係数→質量減弱係数→質量エネルギー転移係数への変換

線減弱係数μ[m^-1]は光子が原子(物質)との相互作用により減弱される度合を示した指標であり、光電効果、コンプトン散乱、電子対生成それぞれの原子反応断面積の和(=τ+σ+κ)[cm^2]と光子が入射する物質1m^3あたりの原子数N[m^-3]の積にほぼ等しくなります。

μ = (τ+σ+κ)・N [m^-1]

この線減弱係数μは放射線が物質を通過する際に、物質の原子によって吸収されたり、散乱されたりする割合を定量化します。この線減弱係数を入射物質の密度ρ[kg・m^-3]で割ると質量減弱係数を求めることができます。

μ/ρ = (τ+σ+κ)・N/ρ [m^2・kg^-1]

さらにこの質量減弱係数に、入射光子の全エネルギーEに対する荷電粒子に移ったエネルギーE_eの比E_e/Eを掛け合わせると質量エネルギー転移係数μ_tr/ρ [m^2・kg^-1]を求めることができます。

μ_tr/ρ = (μ/ρ)・(E_e/E)[m^2・kg^-1]

この質量エネルギー転移係数の定義を分かりやすくするために、具体的な例を考えてみましょう。
( ⅰ ) 0.3MeVのγ線をある物質に照射して、光電効果とコンプトン散乱により原子の電子軌道から0.075MeVと0.15MeVの運動エネルギーを持つ電子が飛び出したとします。このときの質量エネルギー転移係数μ_tr/ρ[m^2・kg^-1]はγ線の質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]に対して

μ_tr/ρ = {(0.075+0.15)/0.3}・μ/ρ
= (0.225/0.300)・(μ/ρ) = 0.75・μ/ρ [m^2・kg^-1]

と表されます。

( ⅱ ) 次に1.533MeVのγ線をある物質に照射して電子対生成によりいずれも0.511MeVのエネルギーの電子と陽電子を生成したとします。このときの質量エネルギー転移係数μ_tr/ρ[m^2・kg^-1]はγ線の質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]に対して

μ_tr/ρ = (2×0.511/1.533)・μ/ρ
= (1.022/1.533)・(μ/ρ) = 0.33…・μ/ρ
≌ 0.33・μ/ρ [m^2・kg^-1]

と表されます。

⑵ 質量エネルギー転移係数→質量エネルギー吸収係数への変換

この質量エネルギー転移係数からさらに制動放射によって失われるエネルギーの割合g(≦1)を引くと、質量エネルギー吸収係数μ_en/ρ[m^2・kg^-1]を求めることができます。

μ_en/ρ = (μ_tr/ρ)・(1-g) = (μ/ρ)・(E_e/E)・(1-g) [m^2・kg^-1]

念のため、制動放射についてもおさらいしてみましょう。

(※) (自由)電子が原子核の近傍を通過するとき、負の電荷を持つ電子は原子核(=1価の正電荷を持つ陽子が複数個含まれる)によるクーロン力(引力)を受け進路がねじ曲げられます。このとき電子は運動エネルギーの一部を奪われますが、この奪われたエネルギーがX線として外部に放出されます。このX線を制動放射線とよび、この制動放射線が放出される現象を制動放射と呼びます。

[図9] 制動放射のイメージ図

つまり質量エネルギー吸収係数μ_en/ρとは、光子の電離作用により発生した二次電子に転移した光子のエネルギーがその後制動放射線として奪われることなく、純粋に別の物質(原子)に対して直接電離作用をもたらす二次電子の運動エネルギーに変換される割合を考慮した質量エネルギー転移係数を意味します。(E_e/E)・(1-g)は光子の元々のエネルギーEのうち、制動放射により運動エネルギーを奪われなかった二次電子のエネルギーを意味するのですね。
光子を照射する物質の周囲には(真空中でない限りは)気体原子がいくつも存在するため、制動放射によるエネルギー損失を考えなければなりません。例えばγ線を鉛に照射して二次電子を生成したときを考えます。このとき鉛の周囲が真空でない場合には、鉛にγ線が照射される前にも窒素原子などの気体原子が電離されることによっても二次電子を生成します。このとき気体原子由来の二次電子が空気中の別の気体原子や鉛原子に入射したら制動放射を起こし、エネルギー損失が生じるのです(もっとも、別の気体原子に二次電子が入射した場合に制動放射で奪われる二次電子のエネルギーは、極論を言ってしまうと鉛原子に入射した場合と比べて無視できるぐらいには小さくなります。これは制動放射線の発生効率が原子番号に比例するためです)。
それゆえ、質量エネルギー吸収係数を求める場合には質量エネルギー転移係数から制動放射を起こす割合を除外しなければならないのです。

⑶ 質量エネルギー吸収係数→衝突カーマへの変換

さて、この質量エネルギー吸収係数に光子のエネルギーフルエンスΦ = E・φ [MeV・m^-2](但しEは光子のエネルギー[MeV]、φは光子のフルエンス[m^-2])を掛け合わせると衝突カーマK_c [J・kg]を求めることができます。

K_c = (μ_en/ρ)・Φ = (μ_tr/ρ)・(1-g)・E・φ
= K(1-g) [J・kg^-1]

但しKは全カーマ(衝突カーマと放射カーマの和)を示す。これより
K = (μ_tr/ρ)・Φ = (μ_tr/ρ)・E・φ [J・kg^-1]

なお衝突カーマとはカーマのうち、二次電子が直接電離作用を通じて別の原子にエネルギーを付与する部分を示します。
次に、衝突カーマK_c [J・kg^-1]の式
K_c = (μ_en/ρ)・Φ = (μ_tr/ρ)・(1-g)・E・φ
= K(1-g) [J・kg^-1]
および全カーマK [J・kg^-1]の式
K = (μ_tr/ρ)・Φ = (μ_tr/ρ)・E・φ [J・kg^-1]
について、何故質量エネルギー転移(or 質量エネルギー吸収)係数にエネルギーフルエンスを掛け合わせるてカーマを求めることができるのかをお話したいと思います。
そもそも線減弱係数μ[m^-1]は物質と光子の相互作用である光電効果、コンプトン散乱、電子対生成それぞれの原子反応断面積の和τ+σ+κ[m^2]に光子が入射する物質1[m^3]あたりに含まれる原子の個数N[m^-3]を掛け合わせた値を示します。τ+σ+κ[m^2]は原子1個あたりの反応断面積ですから、これにN[m^-3]を掛け合わせると1[m^3]の物質中の原子反応断面積の総和になります。すなわち線減弱係数μ[m^-1]とは1[m^3]の物質中で光子と相互作用を及ぼすことのできる総面積[m^2]を表すのですね。だからμの単位は[m^2・m^-3] = [m^-1]となるのです。
ではそうなると、質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]は何を意味するのでしょうか。密度ρ[kg・m^-3]の逆数1/ρ[m^3・kg^-1]は1kgの物質の体積を表し、分母の体積→質量の変換を行う係数となります。つまり、μに1/ρを掛け合わせると1kgの物質中の原子反応断面積の総和となりますから、質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]は1kgの物質中の原子反応断面積の総和を意味するのです。

ではこの質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]に
・光子の全エネルギーに対する荷電粒子(二次電子)に転移したエネルギーの比(E_e/E)
・光子のエネルギーフルエンスΦ=φ・E [MeV・m^-2]
を全部掛け合わせるとどうなるでしょうか。
結論を述べると(全)カーマK[J・kg^-1]となるのですが、このカーマの定義を理解するためには式の意味をきちんと理解しなければなりませんし、この機会に詳しく見ていきましょう。

(E_e/E)・Φ = (E_e/E)・φ・E = E_e・φ [MeV・m^-2]

であり、これを質量減弱係数μ/ρ[m^2・kg^-1]に掛け合わせると全カーマK[J・kg^-1]になります。一方で質量減弱係数は1kgの物質中の原子反応断面積の総和を表しますが、これに光子のフルエンス(=1[m^2]あたりに入射する光子の本数)[m^-2]を掛け合わせると1kgの物質内の全ての原子において光電効果、コンプトン散乱、電子対生成を起こす光子の本数、すなわち1kgの物質内で光子のエネルギーが転移する荷電粒子の総数と見なすことができます。

(μ/ρ)・φ : 1kgの物質内で光子のエネルギー(の一部)が転移する荷電粒子の総数

これに荷電粒子に転移するエネルギーE_eを掛け合わせることで、光子(および中性子)を照射したとき1kgの物質内で生成する荷電粒子に転移するエネルギー(=初期運動エネルギー)の総和を表すのです。これが全カーマK[J・kg^-1]となります。

(μ/ρ)・E・φ : 光子(および中性子)を照射したとき1kgの物質内で生成する荷電粒子に転移するエネルギー(=初期運動エネルギー)の総和
= 全カーマK[J・kg^-1]

K = (μ_tr/ρ)・Φ = (μ_tr/ρ)・E・φ
= (μ/ρ)・(E_e/E)・E・φ = (μ/ρ)・φ・E [J・kg^-1]

さらにこの全カーマKに荷電粒子に転移したエネルギーのうち制動放射により失われるエネルギー割合gを除外した割合(1-g)を掛け合わせることで、直接電離作用を及ぼす二次電子のみの初期運動エネルギーの総和を表す衝突カーマK_c[J・kg^-1]が得られます。

K_c = (μ_en/ρ)・Φ
= (μ_tr/ρ)・(1-g)・Φ = (μ_tr/ρ)・(1-g)・E・φ
= (μ/ρ)・(E_e/E)・(1-g)・E・φ
= (μ/ρ)・(1-g)・φ・E_e [J・kg^-1]

また光子や中性子といった非荷電放射線を照射した場合においてある小領域Aを対象としたとき、非荷電放射線の照射によりAの外側で発生してAに吸収される二次電子のエネルギーと、Aの内部で発生した後Aの外側へ出ていく二次電子のエネルギーが等しくなる場合があります。この状態を荷電粒子平衡(CPE:Charged particle equilibrium)と定義します。

(※) 荷電粒子平衡(CPE:Charged particle equilibrium)

[図10] 荷電粒子平衡(CPE:charged particle equilibrium)のイメージ図

荷電粒子平衡成立時には衝突カーマK_c[J・kg^-1]と吸収線量D[Gy]が等しくなることが知られていますが、それは何故かを衝突カーマと吸収線量それぞれの定義を踏まえて考えてみましょう。以降、非荷電放射線を照射する質量1kgの物質をA、またAの周囲を(気体含む)Bで満たしているものとして考えます。
物質Aの吸収線量:D[Gy]([J・kg^-1])は(種類を問わずあらゆる)電離放射線を1kgの物質に照射したときに、放射線や二次電子の電離作用や励起作用によってAに与えられる放射線のエネルギーを表すのでしたね。入射放射線のエネルギーの一部または全部は
・A内部で生成する二次電子の運動エネルギー
・Bで生成する二次電子の運動エネルギー
に変換されますが、このときAには
(a) Bで生成した一部の二次電子のエネルギーが与えられ、
(b) 加えてA内部で生成した一部の二次電子のエネルギーはBへと逃げていきます。

[図11]荷電粒子平衡成立時の物質の電離放射線(二次荷電粒子)による吸収エネルギーのイメージ図

ではこのとき、BからAに入ってくる二次電子のエネルギーとAからBへ出ていく二次電子のエネルギーが釣り合う、すなわちAのどの領域においても荷電粒子平衡が成り立つとしたらどうなるでしょうか。
結論から言いますと、このとき入射した非荷電放射線のエネルギーはA内部で生成するすべての二次電子の初期運動エネルギーの総和と見なすことが出来るのです。すなわちこれが全カーマK[J・kg^-1]となるのですね。

[図12] 衝突カーマK_c[J・kg^-1]のイメージ図

ただ、これだけでは荷電粒子平衡成立時に吸収線量=衝突カーマが成り立つという証明はまだ出来ていません。注意しなければならないのは、吸収線量が二次電子の(制動放射を除く)電離や励起により物質(原子)に与えられるエネルギーであるという点ですね。すなわち、吸収線量を求めるにはA内部での二次電子による制動放射の影響を除外しなければならないのです。それゆえ全カーマから制動放射により失われるエネルギーである放射カーマを引き算すると衝突カーマとなりますが、前述のように荷電粒子平衡が成り立つ場合には二次電子の電離や励起により物質(原子)に与えられるエネルギー、すなわち吸収線量に等しくなります。
したがって、吸収線量が(制動放射を起こすことなく)直接電離作用を及ぼす二次電子のみの初期運動エネルギーの総和である衝突カーマに等しくなるためには、荷電粒子平衡が成り立つことが必要十分条件となることがわかるのです。

○ 荷電粒子平衡が成り立つとき、衝突カーマK_c[J・kg^-1]と吸収線量D[Gy]は等しくなる。

衝突カーマK_c[J・kg^-1]は質量エネルギー吸収係数μ_en/ρ[m^2・kg^-1]にエネルギーフルエンスΦ=φ・E[J・m^-]を掛け合わせると算出出来ますが、荷電粒子平衡成立時には吸収線量D[Gy]と等しくなりますから、

D = (μ_en/ρ)・Φ = (μ_en/ρ)・φ・E = K_c

使用する放射線は同じなので、φとEは一定となります。よって吸収線量Dは物質の質量エネルギー吸収係数(μ_en/ρ)に比例するのです。
ではここまでお話した内容を基に、「ブラッグ・グレイの空洞理論(Bragg-Gray's theory)」についてお話したいと思います。

○ブラッグ・グレイの空洞理論(Bragg-Gray's theory)

ブラッグ・グレイ(Bragg-Gray)の空洞理論とは電離箱というタイプの放射線検出器による吸収線量測定における基本的な理論であり、荷電粒子平衡の成立を前提としています。

(※) 電離箱とは :

電極内の空洞中に電離放射線を照射する際、加える電位差(電圧)をある程度上げると放射線の電離作用により気体が電子と陽イオンに分かれ(これを電子-陽イオン対と呼びます)、このうち生成した(二次)電子が陽イオンと再び結合して気体原子の状態に戻ることなく、加えて別の気体原子を自身の直接電離作用により電離するだけのエネルギーを与えられることもなくなります。このときの電圧の範囲を電離箱領域と呼び、以降電圧が高い順に比例計数管領域制限比例領域GM計数管領域連続放電領域と呼びます。

[図13] 印加電圧による電圧領域の区分

電離箱はこの電離箱領域の電圧を利用して光子の照射により生成した二次電子の電荷を計測し、光子の吸収線量を計算します。
なお、電離箱領域の電圧より低い電圧領域は再結合領域と呼ばれ、電子-陽イオン対が電極のクーロン力(=引力)によって再結合し気体原子の状態に戻ります。また電離箱領域より印加電圧を上げると比例計数管領域の電圧となり、この電圧領域では二次電子による気体原子の電離の連鎖(=電子なだれ)が起こるようになります。

[図14]電離箱の概略図

(*)一般的にq[C]の電荷を持つ荷電粒子が、電気回路内にてV[V]の電位差(電圧)を通過するときの電位エネルギーE_q[J]は
E_q = qV [J]
で示されます。

[図15] 電位エネルギーの計算のイメージ図

これが静電容量C[F]のコンデンサ内だと
E_q = (1/2)・CV^2 [J] = ∫q_cdV
(q_c = CV [C])
と示されます。コンデンサ以外の他の電気回路(電気抵抗やコイル等)では電圧V[V]が変化しても電荷q[C]が一定であるのに対して、コンデンサ内での電荷q_cはq_c = CVと静電容量C[F]と電位差V[V]の積で示される(V[V]に比例する)ことからE_qがq_cを電位差Vで積分したものになるのです。

X線やγ線のような光子の吸収線量を電離箱で測定する際、光子のエネルギーがある程度高くなると、電離箱内ですべてのエネルギーが空洞内の気体中の二次電子生成に使用されず、電離箱の壁材(壁物質)内の二次電子生成に使用されるようになります。そこで電離箱による光子の測定においては、以下の3条件を前提としたブラッグ・グレイの空洞理論(Bragg-Gray's theory)を基にして、壁材内で生成した二次電子を利用した空洞電離箱法による測定を用いて補正を行います。
① 壁材の厚さは、材質中で生成する二次電子の最大飛程を上回る厚さであり、一次放射線(入射光子)を乱さない厚さである。
② 空洞の大きさは、生成した電子-陽イオン対の飛程より小さい。
③ 壁材内部の壁は導電性を持つ。

なお、この空洞理論においては壁材と空洞に入ってくる二次電子のエネルギーと壁材の外(空洞を除く)に出ていく二次電子のエネルギーが等しい、すなわち空洞内外(壁材と空洞)において荷電粒子平衡が成り立っているものとして考えます。
まずは空洞内の電子-陽イオン対が全エネルギーを失うまでの間に1kgの空気中で生じる正または負の電荷の総和の絶対値である照射線量X[C・kg^-1]を考えたいと思います。
空洞内の気体の質量m[kg]と生じた電荷の総和の絶対値q[C]に対して
X = q/m [C・kg^-1]
と表されます。
また電子の素電荷e=1.602×10^-19[C]に対して、生成した電子-陽イオン対の個数nは
n = q/e [個]
で示されます。つまり1kgの空気中で生成した電子-陽イオン対の個数Nは
N = n/m = (q/m)・(1/e) = X・(1/e)
となります。
次は1kgの空気中で生成した二次電子の初期運動エネルギーの総和である空気カーマK_air[J・kg^-1]を求めてみましょう。なお、この空気カーマに寄与する二次電子はすべて直接電離作用を起こす(=制動放射の影響を除外している)とみなしているため、衝突カーマK_c[J・kg^-1]に等しいとみなすことができます。
非荷電放射線を照射した場合における初期運動エネルギーの総和を求めるには、先ほど計算した生成する電子-陽イオン対の個数Nと空気のW値:W_air[J]を掛け合わせます。W値とは電子-陽イオン対を1対生成するために必要な放射線のエネルギーを指し、電子-陽イオン対がN対存在する場合には生成する二次電子に対して合計でW_air×N[J]の運動エネルギーが与えられるということになります。これが空気カーマK_air[J・kg^-1](衝突カーマK_c[J・kg^-1])ということですね。なお、空気のW値は一般的にW_air=33.97[eV]となります。

K_air = W_air × N = W_air ・ (q/m)・(1/e)
= (q/m)・(W_air/e) [J・kg^-1]

この空気カーマK_airは衝突カーマK_c[J・kg^-1]と同じ時みなすことができますが、空洞内外において荷電粒子平衡が成り立ちますから、空気中の吸収線量D_airに等しくなります。

D_air = K_air = (q/m)・(W_air/e) [J・kg^-1]…(*)

さらに壁材に対しても荷電粒子平衡が成り立ちますから、このときの壁材における衝突カーマK_m[J・kg^-1]は壁材の吸収線量D_m[Gy]に等しくなります。

D_m = K_m [Gy]

さらに吸収線量D[Gy]は物質の質量衝突阻止能S[MeV・m^2・kg^-1]に比例します。質量衝突阻止能S[MeV・m^2・kg^-1]とは荷電粒子が物質中を1mすすんだ際に自身の直接電離作用により失うエネルギーである線衝突阻止能dE/dx[MeV・m^-1]を荷電粒子が入射する物質の密度ρ[kg・m^-3]で割ったもので、1kgの物質に荷電粒子が入射したとき、その荷電粒子の直接電離作用に起因するエネルギーとそのエネルギーを吸収する物質中の断面積の積でを表します。

S = dE/ρdx [MeV・m^2・kg^-1]

すなわち気体中の質量衝突阻止能S_air[MeV・m^2・kg^-1]および壁材の質量衝突阻止能S_m[MeV・m^2・kg^-1]に対して、

D_m/D_air = S_m/S_air
∴D_m = D_air・(S_m/S_air)…(**)

よって(*)式に(**)式を代入すると、壁材の吸収線量D_m[Gy]は

D_m = D_air・(S_m/S_air)
= (q/m)・(W_air/e)・(S_m/S_air) [Gy]
= K_m [J・kg^-1]

となります。

((**)式の証明)
壁材における線衝突阻止能dE_m/dx[MeV・m^-1]、二次電子の飛程の総延長l[m]、壁材の密度ρ[kg・m^-3]、壁材の体積V[m^3]に対して、
D_m = {(dE/dx)_m・l}/(ρV) = S_m・(l/V)
と示される。lは二次電子の飛程の総延長であり物質によらず一定であるから、(l/V)=(一定)ゆえにD_m∝S_m
よってD_m/S_m = D_air/S_airとなるから、
D_m/D_air = S_m/S_air               (証明終)

ゆえにm→wに置き換えて、水中でも荷電粒子平衡が成り立つとすると水の吸収線量D_w[Gy]は

D_w = (q/m)・(W_air/e)・(S_w/S_air) [Gy]
(= K_w [J・kg^-1])

と示されます。S_w[MeV・m^2・kg^-1]は水の質量衝突阻止能ですね。
また衝突カーマは線質((荷電)放射線の種類やエネルギー)が同じならば、荷電粒子が入射する物質の質量エネルギー吸収係数μen/ρ[m^2・kg^-1]に比例します。よって、壁材の質量エネルギー吸収係数(μen/ρ)m[m^2・kg]および水の質量エネルギー吸収係数(μen/ρ)w[m^2・kg]に対して

K_w/K_m = (μen/ρ)w/(μen/ρ)m

つまり、

D_w = K_w = K_m・{(μen/ρ)w/(μen/ρ)m}
D_w = (q/m)・(W_air/e)・(S_m/S_air)・{(μen/ρ)w/(μen/ρ)m} [Gy]

となります。ブラッグ・グレイの空洞理論を使うことによって、水の吸収線量は空気カーマK_airと質量衝突阻止能比、そして質量エネルギー吸収係数比で示されるのですね。

こうして求めた吸収線量D[Gy]を基にして、実際のヒトに対する被ばく線量の評価に使用される等価線量や実効線量を算出します。

❹ 等価線量と実効線量

[図16-ⅰ] 各線質における放射線荷重係数ωR
[図17] 各臓器および組織における組織荷重係数ωT

(※中性子線の放射線荷重係数ωRはエネルギーにより変化します。1[MeV]で最大値ωN = 20となります。)

⑴ 等価線量

等価線量(H[Sv])とはヒトの臓器や組織それぞれにおける被ばく(さらに踏み込んだお話をしますと、各臓器および組織ごとの確率的影響の評価に使用します。確率的影響や確定的影響については後述にて説明します)を評価する際に使用する線量指標であり、吸収線量D[Gy]に[図16]に示すような各線質で設定された放射線荷重係数ωRを掛けて足し合わせて求めます。

H = ∑(ωR・D)[Sv]

例えばα線0.5Gyとγ線1Gyによる被ばくをした場合を考えてみます。このときの等価線量H[Sv]は
H = 20×0.5 + 1×1 = 10 + 1 = 11[Sv]
となります。

(*)[Sv]は等価線量と後述の実効線量の単位として使用され、「シーベルト」と読みます。
[Sv] = [J・kg^-1]

なお、この放射線荷重係数ωRは生物学的効果比(relative biological effectiveness : RBE)に基づき設定されています。
生物学的効果比:RBEとはある生物効果を得るために必要な基準放射線の吸収線量を、対象とする放射線で同じ生物効果を得るために必要な吸収線量で割った値を指します。

RBE = D_0/D
ただし
D_0 : ある生物効果を得るために必要な基準放射線の吸収線量[Gy]
D : 対象とする放射線で同じ生物効果を得るために必要な吸収線量[Gy]

[図16-ⅱ] 線質AおよびBの吸収線量による細胞生存率の変化

具体的な例を考えてみましょう。[図16-ⅱ]に示すように線質AとBを細胞に照射したとき、吸収線量の変化に伴って細胞生存率が変化する場合を考えます。

(※) 線質AとBは同じ種類の放射線である可能性もあります。線質とはただ単に放射線の種類のみを意味するのではなく、放射線のエネルギーの違いもニュアンスとして含むため、例えば同じγ線であっても1MeV γ線と8MeV γ線は異なる線質になります。

細胞生存率を0.01にする(=対象とする生物効果)ために必要な吸収線量は[図16-ⅱ]のグラフからAで8Gy、Bで3Gyであると読み取れます。ですから、Aを基準放射線とした場合のBのRBEは
RBE = 8/3 = 2.666… ≌ 2.7
であると分かります。

⑵ 実効線量

次に実効線量(E[Sv])とはヒトの全身に対する確率的影響を評価する線量指標であり、各臓器および組織に対して設定された組織荷重係数ωTを前述の等価線量H[Sv]に掛けて足し合わせて求めます。

E = ∑(ωT・E) = ∑(ωT・ωR・D) [Sv]

この実効線量E[Sv]は放射線業務従事者や医療従事者等の年間での被ばく線量を評価する際に使用されます。

○ DNA(deoxyribonucleic acid:デオキシリボ核酸)

さて、先ほどまでお話した通り電離放射線は物質に入射すると物質内部の原子を電離したり励起したりしますが、ヒトの生体内の細胞にこれら電離放射線を照射すると細胞内のDNA(デオキシリボ核酸:リボース(糖)のOH基(ヒドロキシ基)が水素原子に置き換えられたデオキシリボースに塩基(アデニン(A)グアニン(G)シトシン(C)チミン(T))とリン酸が結合したヌクレオチドどうしがリン酸エステル結合により結合し合ってできた鎖状の構造(=デオキシリボ核酸)ががらせん状に配列したもの)を電離または励起して、細胞にダメージを与えることで生体に様々な影響を及ぼします。余談ですがDNAとはこのデオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の英語の頭文字を取ったものです。
DNAの2本鎖は[図18-ⅳ]に示すようなアデニン(A)とチミン(T)の2本の水素結合:A-T結合およびグアニン(G)とシトシン(C)の3本の水素結合:G-C結合により[図18-ⅴ]に示すように形状が維持されています。

[図18-ⅰ] リボースとデオキシリボースの構造
[図18-ⅱ] ヌクレオチドを形成する塩基
[図18-ⅲ] DNAの構造
[図18-ⅳ] A-T(アデニン-チミン)結合とG-C(グアニン-シトシン)結合の模式図
[図18-ⅴ] DNA2本鎖の模式図

DNAは[図18-ⅵ]に示すように細胞内の染色体という構造の内部に存在します。この染色体内のDNAが電離放射線により電離や励起を受ける(損傷を受ける)ことでDNA1本鎖切断2本鎖切断が起こって染色体の異常を起こし、細胞死に至ったりがん細胞に変異したり突然変異を起こしたりします。なお、1Gyのγ線をヒトの生体に照射した場合、約1000箇所のDNA1本鎖切断と約40箇所のDNA2本鎖切断が形成されます。

[図18-ⅵ] 染色体とDNAの構造

また余談ではありますが、デオキシリボース(deoxyribose)の「デオキシ(deoxy)」は「酸素(oxygen)が抜けた(de)」というニュアンスを持ちます。

❺ 確定的影響と確率的影響

さて、先ほど説明しました等価線量や実効線量を用いて確定的影響確率的影響といった放射線被ばくによるヒトの生体への影響を評価することになりますが、そもそも確定的影響や確率的影響とは一体何なのでしょうか。物理学というよりはここからは放射線生物学のお話になってはしまいますが、放射線量の考え方を語るうえでは避けて通れないお話になりますから、ここで説明していきたいと思います。
端的に説明すれば、放射線の確率的影響とは放射線被ばくを原因とする発がん(癌)遺伝的影響を指します。一方で確定的影響組織反応とも呼ばれ、放射線被ばくを原因とするヒトへの影響(疾患や症状)のうち、確率的影響である2つ(発がんおよび遺伝的影響)を除いたもの(放射線皮膚炎、肺炎、脱毛、白内障など)を指します。

⑴ 確定的影響(組織反応)

[図19-ⅰ] 確定的影響のしきい線量
[図19-ⅱ] 確定的影響のしきい線量
[図19-ⅲ] 皮膚の確定的影響のしきい線量と被ばく後の発症時期

[図19-ⅰ]~[図19-ⅲ]で示すように、確定的影響(組織反応)には発症のしきい線量が存在します。しきい線量とは1%発生線量とも呼ばれ、集団で被ばくをしたときにその症状や疾患が一定期間後に集団中の1%に見られる(=有意に発症数が増加する)線量を指します。しきい線量分の被ばくをしたからといって必ずしも上記のような組織反応が起こるわけではない点に注意が必要です。
確定的影響の発生頻度を縦軸に、被ばく線量を横軸に取るとシグモイド型の曲線を描くように被ばく線量の増大に伴い発生頻度が急激に上がります。また被ばく線量の増大に伴って症状や疾患の重篤度も増すことが知られています。

[図20] 確定的影響の被ばく線量の変化に伴う発生頻度の変化

(※) 大線量被ばく時の生体反応

[図21] 大線量被ばく時の吸収線量と平均生存期間

また数Gy以上のγ線による大線量被ばくをした場合には
A : 骨髄死
B : 腸管死
C : 中枢神経死
の3つの死因によりヒトなどの個体が被ばくから数秒~数十日後に死亡する点も確定的影響を語るうえでは重要です。

A(骨髄死) : 3~5[Sv]の被ばくでは、骨髄の造血機能が障害を受け被ばくから30~60日後に死亡します。
B(腸管死) : 10~50[Sv]の被ばくでは、腸管の絨毛の幹細胞が死滅して絨毛が萎縮、その後腸管の脱水症を感染症により10~20日後に死亡します。
C(中枢神経死) : 50[Sv]を超える被ばくでは、大脳や脊髄神経をはじめとする中枢神経が死滅して1~2日程度以内に死に至ります。

特に3~5Svという線量については被ばく後30日以内に50%の個体が死亡する線量、すなわちLD50/30(半致死線量)として設定されています。一般的にLD50/30 = 4[Sv]であり、ヒトがこの線量分の被ばくをすると30日以内に50%の個体が骨髄死によって死亡します。なお、A : 骨髄死、B : 腸管死、C : 中枢神経死のうち、現代の医療技術をもってして救命し得る病態はA: 骨髄死のみであり、造血幹細胞移植(骨髄移植)を行うことで救命し得ます。
なおこのような確定的影響のしきい線量や半致死線量等の線量のデータは、広島・長崎の原爆被爆者を対象に60年間疫学的調査を行って算出されています。

[図22]急性放射線症候群(ARS)の被ばく線量による病態の違い

またヒトは1[Sv]以上のγ線(X線)による全身被ばくにより急性放射線症候群(ARS)を発症します。ARSの具体的な症状としては[図22]に示すように嘔吐、下痢、頭痛、発熱、意識障害が挙げられ、被ばく線量が増大するほど重篤度は増して被ばく~発症までの期間も短くなります

⑵ 確率的影響

[図23] 確率的影響の被ばく線量の変化による発生頻度の変化を表したグラフ : しきい値なし線形モデル

① 自然発生モデル   ② 低線量域(=実効線量100mSv未満の線量域)
③ LNT仮説(モデル)

次に確率的影響についてお話します。
確定的影響とは異なり、確率的影響はしきい線量を持ちません。その発生頻度は[図22]に示すように被ばく線量(実効線量)に比例して増大します。また低線量域における確率的影響の発生頻度はLNT(linear nonthreshold:しきい値なし線形)仮説(=しきい値なし線形モデル)に基づきやはり被ばく線量に比例して増大すると仮定されています。LNT仮説とは、確率的影響にしきい線量が存在せず、高線量域においてはその発生頻度が被ばく線量(実効線量)に比例して増大することから実効線量100mSv未満の低線量域でも同じく発生頻度が被ばく線量に比例して増大するという仮説を表現したモデルです。このLNT仮説においてはわずかな被ばく線量でも確率的影響の発生頻度はある程度増加すると仮定されてはいるものの、実際には実効線量100mSv未満の低線量域では(喫煙や食習慣等の生活習慣や家族歴などの他のリスク因子を全て排除した場合における)放射線による発がんや遺伝的影響の有意な増加は認められていません。確率的影響の発生頻度と被ばく線量との関係があくまで「仮説」とされているのは、低線量域においてはあくまで安全側に立った仮定(起こった病態が放射線被ばくに起因するものなのかその他生活習慣等のリスク因子に起因するものなのか弁別が困難であり、科学的に解明されてはいないものの、低線量被ばくでも影響があると過大評価する方がより安全であるという考え方)であるからです。
高線量域における確率的影響の発生頻度と被ばく線量の関係については、確定的影響のしきい線量等と同様に広島・長崎の原爆被爆者を対象に60年間疫学的調査を行って算出されています。なお、この疫学的調査において、原爆被爆者の遺伝的影響は現在に至るまで認められていないことが報告されています。

(※) 倍加線量について

また放射線被ばくに起因する遺伝的影響については、倍加線量という指標も重要です。
倍加線量とは遺伝的影響の発生頻度を自然発生率の2倍にするために必要な吸収線量を指し、ヒトの場合ではこの倍加線量は1Gy程度と設定されています。なお、このヒトの倍加線量はマウスなどの動物の実験データを基にして間接法により推定されます。

[図24] 突然変異(=遺伝的影響)の発生頻度のモデル

例えば[図24]のような突然変異の発生頻度のモデルを考えてみましょう。吸収線量が0である場合の発生頻度は2.95×10^-6で自然発生率と同じですから、発生頻度がこの2倍にあたる5.9×10^-6になるような吸収線量が倍加線量D_2[Gy]となるわけですね。

⑶ 名目リスク係数

[図25] ICRP 1990年勧告および2007年勧告において設定されているがんと遺伝的影響それぞれの名目リスク係数

最後に名目リスク係数についてお話をしたいと思います。
名目リスク係数とは名目致死確率係数とも呼び、1Svあたりの確率的影響のリスクをデトリメント(=放射線によって誘発されたQOL低下や寿命損失といった健康イベントを重篤度で重み付けること。損害とも呼ばれます)により調整した数値です。わかりやすく説明すると、名目リスク係数とは低線量(率)の放射線被ばくにおける、発がんや遺伝的影響の発生といった確率的影響について実効線量1Svあたりの集団における発生リスクを表した数値を指します。この名目リスク係数はICRP(国際放射線防護委員会)の出す勧告に則り数値が設定されており、[図25]に示すように1990年勧告における数値と2007年勧告における数値とで差異があります。
例えば発がんのみに注目すると、現在採用されている2007年勧告における名目リスク係数は全年齢(全集団)で5.5[%・Sv^-1]、成人で4.1[%・Sv^-1]ですから、実効線量で100[mSv]
=0.1[Sv]の被ばくをした場合、

( ⅰ ) 全年齢(全集団)での発がんの発生リスクは5.5[%・Sv^-1]×0.1[Sv] = 0.55[%]

( ⅱ ) 成人での発がんの発生リスクは
4.1[%・Sv^-1]×0.1[Sv] = 0.41[%]

となります。
この名目リスク係数は、低線量域でも確率的影響の発生頻度が被ばく線量に比例して増大するというLNT仮説の概念が反映されています。
同様にして遺伝的影響や発がんと遺伝的影響両者の発生リスクを名目リスク係数から算出することができますが、この名目リスク係数は必ずしも万能な指標という訳ではなく次に示すような制約もあり、確率的影響の発生確率を正確に表すことが出来る訳ではない(あくまで集団における放射線誘発がんや遺伝的影響のリスクの目安として使用される)点に注意が必要です。

(名目リスク係数のデメリット)
① 個々の放射線曝露での個人のリスクを計算するには厳密には正しくない
② 精緻なリスク評価という観点からは、名目リスク係数を用いることは明らかな限界がある
③ 名目リスク係数を用いたリスク推定は集団で用いる場合でも目安に過ぎず、不確かさ(ばらつき)が大きい

ところで、前述の組織荷重係数ωTと名目リスク係数はいずれも放射線被ばくによるデトリメント(損害)に基づいた数値になりますが、今日はこれについて解説して終わりにしたいと思います。

(※) 名目リスク係数と組織荷重係数ωT

ICRP 2007年勧告(ICRP Pub. 103)では、確率的影響に対する放射線防護の目的においては代表的集団における性別および年齢で平均化された生涯リスク推定値を使用することが適切であるとの見解を示しています。この生涯リスク推定値とは具体的には名目リスク係数を指すのですが、これは以下に記述する形で計算されます。
① まず、疫学的研究によるがんの罹患率および生殖腺に対する遺伝的リスクデータから各臓器および組織の生涯リスク推定値を算出し、
② 骨髄以外の臓器および組織について、線量・線量率効果係数:DDREFを考慮して生涯リスク推定値を1/2に調整します。
③ そこから各臓器および組織の1万人当たり・1Svあたりのデトリメントを求めます。これが名目リスク係数ですね。

(※)線量・線量率効果係数 : DDREF ・・・
高線量・高線量率での放射線による生物学的効果を、低線量・低線量率での効果に換算する係数を指します。ICRP 1990年勧告(ICRP Pub. 60)ではDDREF = 2と設定されています。

さらにデトリメントの合計値に対する各臓器および組織の損害の寄与割合(相対デトリメント)に基づき、各臓器および組織を4つのグループに分けたうえで、すべての臓器および組織の合計が1となるよう4グループそれぞれに対して[図17]に示すように係数が割り振られます。この係数こそが組織荷重係数ωTですね。

[図17]各臓器および組織の組織荷重係数


…と、お話が随分長くなってしまいましたが、今日お話した内容を皆さん理解していただけましたでしょうか、、、><
一度noteを書いていくと、お話したいことが次から次に出て来てしまうものでして(汗)
次回からはお話が横道に逸れないように気をつけたいと思います('ω' ;)
それではまた次回もよろしくお願いしますm(_ _)m

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