おばぁの性別診断に振り回されて考えた、「性別」の奥深さ。
ある日の妊婦健診のことです。23週の妊婦さんに「赤ちゃんの性別はどっちですか?」と聞かれたので「女の子ですよー」と答えました。そうすると妊婦さんは大変びっくりされた様子で「えっ!男の子じゃないんですか?先生本当?」と男の子だと信じきっているようでした。不安になった私は再度超音波で観察しましたが、陰唇と陰核が描出されていて、明らかに女児でした。当時私が妊婦健診で使っていたエコーは、ハイエンド機種とまではいかずとも、それなりに良いエコーです。もちろん100%確実ではないですが、一般産婦人科医のレベルで性別を診断するのはそんなに難しいことではありません。「女の子だと思いますよ」私が告げると妊婦さんはこうおっしゃいました。「うちのおばぁは、孫とひ孫の性別をこれまで19人ぴったり当ててきたんです。そのおばぁが、この子は男の子だって言ってたから…」なるほどなるほど。19人連続となると、単なる偶然ではなさそうです。1人当たるのが1/2の確率とすると19人当たる確率は2の19乗分の1、つまり524288分の1です。産婦人科医が超音波で診断しても20人に1人くらいは間違えるかもしれません。確かにスーパーおばぁです。
この妊婦さんのおばあさまがそうだったのかどうかはわかりませんが、沖縄には「ユタ」と呼ばれる職業があります。占い師というよりは、神官に近いのかなと私は理解しています。特別な霊能力を持って精霊の言葉を聞き、人々の問題を解決します。誰もがなれるわけではなく、もともと「さーだかー」生まれ(霊力が高い)である必要があります。表立って口には出しませんが、現代でも沖縄では、就職や結婚、新築など、人生における重要な節目の際にはユタに相談に行く人がいます。例えば、手術を予定していた患者さんが、突然日程を変更したいと言い出すことがあり、事情を伺うとユタが別の日がいいと言っているから、というのは県内で仕事している外科系医師であれば、おそらく誰もが経験したことがあることだと思います。仕事の都合とか家庭の事情とか言いながらも、実はユタのアドバイスだったりもします。どこの病院でも、手術室の枠を押さえるというのは難儀なことで、大病院になればなるほど、3ヶ月先まで予約がいっぱいだったりします。やっと確保した手術枠なのに、直前になってキャンセルされ、わじわじー(もどかしくイライラする気持ち)した経験が私にも何度かあります。もし都内の病院であれば、占い師の助言で手術日程を変更してほしいと患者さんが言い出したら、精神科にコンサルテーションされかねませんが、沖縄では「医者半分、ユタ半分」なので仕方ありません。10年住んでいてもまだまだ理解していない部分も多いのですが、沖縄独特のアニミズム(精霊信仰)は古くから人々の生活に根付いており、一概に迷信とは言えないと私は思っています。
だから沖縄のおばぁが何かしら霊的な能力を持っていても不思議ではなく、赤ちゃんの声が聞こえるのかもしれないし、産井(ウブガー)の神の声を聞いているのかもしれません。524288分の1という統計学的なエビデンスもあり、私は焦りました。「精巣性女性化症候群」という病名が頭をよぎりました。超音波で見ているのは、あくまで外性器の「見た目」に過ぎませんが、外性器の性と染色体の性別が異なる病気は存在します。いわゆる「性分化障害」とよばれるものです。まず胎児の染色体がXXの場合は卵巣を、XYの場合は精巣が作られます。外性器の発達は妊娠11週ごろから始まり、そもそも女性型になるようにプログラムされています。精巣を持っていて、精巣から男性ホルモンが分泌された場合は、男性型の外性器になっていくというだけの単純な仕組みです。だからもし、染色体がXXで精巣を持っていないのに、別のところから男性ホルモンが分泌されたら、女児でも男性型の外性器になります。これが先天性副腎皮質過形成で、副腎という腎臓にくっついている小さな臓器(男性も女性も持っている)から男性ホルモンが過剰に分泌されてしまう病気です。この逆に、もし胎児の染色体がXYで精巣を持っていて、男性ホルモンが分泌されているのに、ホルモンを受け取るレセプター(受容体)が壊れていたら、男性ホルモンが作用することができないため、外性器は女性型になります。これが精巣性女性化症候群です。女性として育てられ男性と結婚しますが、子宮や卵巣はもちろんないため妊娠ができずに、検査をして初めて実は男性だったことが判明するなんてことも昔はあったようです。現在では一見女性型や男性型に見えたとしても、全例新生児科医がちゃんと外性器の診察をして、異常があれば染色体まで確認してから出生届を提出しています。
前出の妊婦さんは無事出産され、元気な女の子が生まれました。新生児室で赤ちゃんの股をしげしげ見ている私を助産師さんが訝しげに見守っています。どう見ても正常女性型の外性器です。染色体検査をするべきか、、、いやいや新生児科の先生に理由を聞かれて「おばぁが男の子だと言っていたから」なんて言えるわけがありません。赤ちゃんは女児として無事退院しましたが、おばぁの性別診断はいつまでも私の中で引っかかっていました。
性別には染色体の性、外性器の性があり、それが食い違うことがあることは説明しましたが、実はもう一つの性別が「心の性」です。染色体も外性器も男性なのに心(性自認=gender identity)は女性だったり、その逆もあります。性自認がどちらになるかは、ある程度成長し、自我が芽生えてこないと判断できません。もしかしたらこの子は将来自分は男の子だと思うと言い出すかもしれません。染色体の
性、外性器の性、心の性、3つの性のうち、その人がどちらの性別として生きていいくかを決定する上でもっとも重要なのは心の性です。ホルモン剤を飲むことで精巣や卵巣の機能を代替することは可能ですし、外性器の性は外科手術で変更することができますが、心の性はその人のidentityそのものなので変えられません。スーパーおばぁは、生まれてくる赤ちゃんの一番重要な性別を言い当てていたのかもしれません。ちなみに解剖学的に生まれ持った性別と反対の性別にするための外科手術を、昔は性転換手術と言ったりしましたが、今ではSex Reassignment Surgery(性別適合手術)と言います。体の性別を心の性別に適合させるという考え方で、条件を満たせば保険適応にもなります。本人の心の性別と一致した性別として生活することをReal Life Experienceといいます。染色体や外性器の性にとらわれることなく、心の性に従って生きることが「本当の人生」なのです。
「男の子ですか?女の子ですか?」妊婦健診をしていると誰もが聞いてきます。確かに名前を考えたり、ベビー用品を準備する上では重要な問題です。でも性別というのはとても奥が深くて、簡単に男の子か女の子かを決められるものではない、最終的にはどちらの性別で生きていくのか、この赤ちゃん自身が成長してみないとわからないものなのです。男の子だからブルー、女の子だからピンクなど、性別にこだわらず、どちらの性別であるかを誰も気にしない社会になったらいいなと思います。