感謝を伝えたいひと


こんばんは!
あきらーめんです。
今日は人生において1番感謝を伝えたい人について考察していきたいと思います。
身内、特に両親や親族の人に感謝の気持ち抱く人も多いと思いますが、今回は親族以外の他者ではどうなのかを考察していきたいと思います!

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1 感謝を伝えたい人をピックアップ
2  なぜ感謝を伝えたいのか
3 気付いたこと
4 最後に
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1 感謝を伝えたい人をピックアップ

結論から言うと三重県の大学の同期の友達Nさんが1番感謝を伝えたい人です。
なぜそう思ったかというと、大学卒業してもなお、頻繁に連絡をとって気にかけてくれる
いわば第2の母のような、お姉さんのような存在だからです。


少しだけ関係性をお伝えします。
先述した通り、Nさんは僕が大学時代からの友達です。
当時の僕は夜間の大学に通っていたのですが、その時に仲良くなった主婦です。
年齢で言うと9歳離れている方なので、お母さんというと昔は怒られた記憶があります。

夜間の学校に通っている方はいろんな人がいます。
僕のように高校を卒業して通う人もいれば、働きながら通う人、Nさんと同じように主婦の方や定年退職され、余生を学びの一時に充てている人など様々です。

Nさんは看護学校を卒業してからすぐに専業主婦として生活をされていました。
看護学校に通ったのは専門的な職種で安定を求めてとの判断でしたが、当人としては本当は大学に行って学びたいと言う気持ちが強く、一念発起し自分と同じ大学に通ったという経歴の持ち主です。
首席に近い成績で国立大学へ編入学をされていました。

反面自分はどうだったかというと、今は全く思いませんが当時は将来安定できるのではないかという理由で公務員という職業に就きたいと考えていました。とりわけ当時はバイクが好きだったので、警察官になり白バイ隊員になりる。そのため、とりあえず大学に行き、とりあえず卒業さえすればなんとかなると非常に安易に考えていました。


2  なぜ感謝を伝えたいのか

僕はたくさんの引っ越しをする中でたくさんの人と出会い、それと比例してたくさんの別れも経験しました。

その中で、いつも自分のことを気にかけてくれる人の存在は自分にとって家族と同じくらいに大事にしたい存在です。

唐突ですが、僕には故郷という場所がありません。
(というと両親も健在なので語弊があるかもしれませんが…)
岡山県で産まれ、7年経過したのちに転々としているので、幼馴染もいなければ、「故郷に帰る」という言葉は自分にはいささかパッとしない言葉なのです。

しかしながら、そんな自分に故郷のような場所を提供してくれたのが、大学時代の友達です。

少し例を出すと、
・当時女性と初めて付き合いその後振られた時に真夜中のコンビニ駐車場で一晩中慰めてくれた先輩
・時間にルーズだった自分に半殺しのように言葉で叱責してくれたNさん(女性からボケと言われたのは最初で最後)
・友達の友達は自分の友達であることを体現していた先輩(ジャイアン…)
・お酒の楽しみ方を教えてもらい、大人の入り口を盛大に開いてくれた先輩(私の酒が飲めないのかと言うアルハラを大学で身につけました)


毎晩のように学校で出会い(夜間なので授業は夕方から)、そのままお酒を飲み、話を交わしていました。
プライベートで初めて親族以上に話を交わした経験が自分の中で初めて「故郷」を連想するひとときに変わり得たのです。

僕は途中で編入学をしているので三重での生活は実質2年という短さでしたが、それ以上に濃い時間を体感できたのは三重で出会った人達に恵まれていたからだと感じますし、時間ではなく接触頻度やインパクトが重要だと気づかされたひとときでした。

三重で出会った人たち全てに言えるのが「温かみ」です。
時には本気で叱ってくれましたし、自分を偽りなく見てくれましたし、何より好いてくれた。
その最たる人が以前のNoteで紹介した大学の先輩や、今回のNさんです。
大学を卒業して10年経ちますが、いまだに連絡をとり合うことをお互い楽しみにできる関係性に感謝です。

今だから思うのは対象となる人が気になる、好きだからこそ、おせっかいにもなるし熱も入るんだなと思います。
愛の対義語が無関心というように、愛を持って接してくれた人たちに包まれていたと思います。
当時は当たり前のように過ぎていた時間も、社会人になり恵まれていたんだなと感じます。


3 気付いたこと

今回Noteを記載する中での気づきが2点あります。

まず1点目は長男長女と仲良くなることが非常に多いことです。
自分は3兄弟の長男です。
三重時代に仲良くなった人は全て長男長女です。
そして現在も仲良くなる人の傾向は長男長女が多いです。
当時の自分目線だと甘えられる兄姉のような存在がいなかったので、
初めて親族意外で甘えられる存在でした。
そして現在だとその逆の立場に自分がなっています。

長男長女がすごいという訳ではないですし、甘えたいと思ったこともそこまでありません。
しかしながら甘えてもいい環境があるのとないのとでは気持ちの持ち様が変わっていくのではないかと身を持って体感しました。


2点目は自分も「故郷」を作りたいと思ったことです。
忙しいと言う漢字があります。
「心を亡くす」という字の如く、忙しいと言いつづけている人は次第に心を亡くしてしまうのかと思いますが、正直大学時代は仕事+夜間の学業+遊びをすることで時間的な部分で言うと寝る間もないくらい今より忙しくしていました。

しかし、僕が心を亡くさずにいられたのは故郷のような拠り所があったから、前向きに思考できるようになったのではないかと思います。
社会人になって学生時代よりぶっちぎりで楽しめる、寄り添える場所があるかと言うとNOと答える方がほとんどだと思います。
だからこそ、自分が先だって故郷を象徴する存在になりたいと感じました。

4 最後に

愛を持って人と接すること、そして故郷のように温かいコミュニティを作ることで、自分らしい自分を体現できる人はいるのではないかと感じます。
今の自分にできることはしてもらったことをしっかりとリレーションすることだと思います。
受けるばかりではなくしっかりと返していきます。

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