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針の繭(下)
針(はり)の繭(まゆ)
増長 晃
木曜日
昨日、財布を盗むのに失敗したと借りた携帯でメールしたら、焦らなくていいから次の日にしっかりできればいい、と、少しだけ優しい返事が返ってきた。
放課後一旦家に帰り、身元が分からないように制服を着替えて私服にした。寒いから肌の露出は控えるように郷から言われたが、その意味が分からなかった。今は九月も半ばで、寒いというような時期ではなかった。
約束の時間、茜色の空のもと、駅の駐輪場に郷は待っていた。
恵には露出を控えるように言っておきながら、自分は何故か他校の制服を着ている。
「お待たせ、高千穂さん」
「高千穂って珍しい苗字だからせめて下の名前にして」
「ごめん、そういうの気にするんだね」
「別に、ただああいう連中に身元しられたくないだけ」
ああいう連中というのは、ファルコンのことだろう。どういうわけか、郷はファルコンに向かうらしい。
そのためか、髪の毛も長い茶髪にカールをかけ、メイクも濃く派手なネイルもしている。服装といい容姿といい、まるで郷とは別人だった。
「じゃあ、郷さんって呼ぶね」
「よろしく恵さん」
恵の苗字は珍しくはないから名前呼びする必要はないのではなかろうか。郷を前にして意味の無い質問はまさしく意味がないので聞かないことにした。
「これ、渡しとくね」
そう言って郷が恵に渡したのは桃色の煌びやかな財布だった。どこかのブランドだったようだが、社名までは知らない。
郷が用意してくれたダミーの財布だ。
「これダミーにしては高すぎない?」
「さあ?財布買ったことないから」
そう言って郷は駐輪場に停めてあるバイクにまたがり、エンジンを起こした。
「え、電車で行くんじゃないの?」
「この子を使った方がもしもの時便利なの。荷物この中に入れて」
そう言って郷は座席の収納スペースを開けた。恵はそこにポシェットを入れた。
「はい、メット」
そう言って郷は恵にフルフェイスメットを渡し、自分も同じものを被った。恵もそれを被り、郷の後ろに乗って腰に手を回すと、エンジンのモーター音とともに体が後ろに引っ張られる感覚がして発進した。
バイクの二人乗りは初めてだった。確かにこれは長袖と厚手のタイツを選んで正解だった。ビルに冷やされた夜の空気が風となって肌の熱を奪おうとする。肌を露にしていては耐え難かっただろう。
間もなく東通りに入り、看板に明かりの灯ったファルコンが煌びやかな夜の顔を見せている。郷は駐輪場にバイクを停め、ヘルメットを外して下車し、収納スペースから恵はポシェットを、郷は派手なポーチを取り出した。
郷が先を歩きその後ろを恵が続く。郷の指示で荷物はほとんど持ってきていない、失うものの心配がないだけ、前回来た時より気持ちが軽い気がした。
郷はためらいなく店に入っていく。恵も後に続くが、扉を開けた向こうから溢れ出る騒音に押し返されそうになった。
店内は眩しすぎる照明が乱反射し、耳をつんざく音響や奇声が飛び交い、アルコールにタバコ、汗の蒸せた匂いが行き場を失って充満している。校則で禁止されなくても恵が絶対に来ない場所だ。
一階はダンスホール、二階はアリーナで、バーカウンターやソファが並んでる。
「シャンパン奢ってくれるお兄さんはどこ?」
郷が恵の耳元で囁いた。財布と携帯の取引をする相手のことだろう。
「あそこのもたれてる人」
恵の指さす先の壁に、派手なスーツを着た男がいた。
郷は人ごみをかき分けながらその男に近づいていった。恵もそれに続く。
「お兄さんこんばんはぁ!」
郷が今まで聞いたこともないような明るい声を出した。はめを外す若者じみたそれは今の郷の容姿にはとても似つかわしいものだったが、急に人が変わって恵は少し戸惑ってしまった。
「ねえねえお兄さん暇なの?郷こういうお店初めてきたからお兄さんに色々教えてほしいな」
郷が話しかけると男は二人に気付き、笑顔を返して答えた。
「お、いいねいいね。じゃあ上で呑んじゃおっか」
「ほんと?郷お酒飲むの大好き」
そう言って男と郷は階段から二階に上がり始めた。恵も人ごみではぐれないようにその後ろに続く。
「君高校生だろ?アルコール飲ませたら俺が店に怒られるよ」
「えー?D学園の子たちは皆呑んでるよー」
D学園とは、今郷が着ている制服がその学校である。荒れてはいないが、そういった問題児の多い学校だ。
「君D生なんだ。へぇ、この店にも同じ学校の子がよく来るよ」
「そうなの?へぇ、じゃあ今度は友達連れて来よっ」
「後ろの子は友達じゃないの?」
男に呼ばれ、恵は思わず肩をすぼめた。
「そうそう、今日はこの子に紹介されてきたの。なんかお兄さんに用があるみたいだったけど」
男と視線が合って恵はすくみ上った。恵は怯えながらも、ダミーの財布を取り出し男に渡した。
「これ、この前言ってたものです」
「ああ、ほんとに持ってきてくれたんだ。ありがと」
見るからに高価そうな財布を見て男は満足げだ。おかげで余計な詮索はされずに済んだ。
やがて三人は二階のバーカウンターに着き、恵と郷は隣に座った。男はカウンターの内側に立った。
「お兄さんマスターするの?かっこいい!」
郷が絶え間なく黄色い声を発するので違和感が著しい。しかしその声に浮かれている男の方は上機嫌だ。
「そう言えば名前言ってなかったな。俺はツバサって言うんだ。よろしく」
ツバサと名乗るその男は白い歯を見せた。ツバサがグラスを三つ取り出したところで郷が言った。
「ねぇツバサ君、あの部屋って何?」
郷が指さして言ったのは、VIPと書かれた部屋の扉だ。
「この店のビップルームだよ。店を取り仕切る偉い人たちだけが出入りできる部屋だ」
「普通の人は入れないの?」
「そうだな。オーナーかそれと同等の人しか入れない」
「でもさっき赤い髪の長い女の人が入っていったよ?」
郷が不思議そうにそれを言うと、ツバサの手が止まった。
「赤のロングの人ってどんな人?」
「えっとね、鰐革のバッグを持ったタイトスカートの人。あと胸大きい。なんかオールバックでサングラスしたお兄さんと一緒にあの部屋に入ったけど」
郷が説明するとツバサは蒼白し始めた。
「どういうことだよそれ、ふざけんなよ!」
ツバサは叫ぶと一目散にビップルームへ走った。
「赤い髪の人はツバサさんの彼女、オールバックはここのオーナーなの」
郷が小声で恵に説明する。
「ちょっと行ってくるから、ここで待ってて」
そう言うと郷は席を外し、ビップルームへ足早に向かった。恵は一人でこの場所に取り残されるのが不安で、申し訳ないと思いながらも郷についていった。
「おい!出て来いよミホ!オーナーと何やってんだよ!」
ツバサは扉をたたきながら叫ぶ。
「ツバサ君、郷D学で鍵の外し方習ったからやってみるね」
ツバサはそれを聞くと一歩下がり、郷に扉を譲った。ツバサは先ほどのように笑う余裕はどこかへ失せて、顔を真っ赤にして息を乱している。
郷は扉の前にしゃがむと、ポーチの中から二本の金属の長い棒を取り出し、カギ穴に差し込んだ。その後ろでツバサが苛立たし気に速くしろよなど小声でつぶやいている。
程なくして鍵は開き、ツバサはその扉を蹴破るように中に入った。ツバサの叫び声が響くその中に郷も静かに入っていった。恐る恐る恵も中に入ると、最初に目についたのは床に横たわっているツバサだった。
恵が小さな悲鳴を上げると、郷が振り返って目があった。恵を確認すると、郷の目の中の強い警戒がほどけた。郷の右手にはスタンガンが握られている。
「待っててって言ったのに」
相変わらず温度のない声で言う。
「ごめん、こういう場所一人だと怖くて」
「分かった分かった。ひとまずドア閉めて」
郷に言われた通り、ビップルームのドアを閉めた。郷はポーチから小型コンピューターとUSBを取り出した。
ビップルームには一つのテーブルをはさんで二つのソファがあり、奥の壁には二つのモニターとコンピューターがある。郷はそのうち一つに自分が持ってきたコンピューターとケーブルで繋ぎ、何やら操作をし始めた。
「何してるの?」
恵が尋ねると、郷は振り返らずに答えた。
「あたしらがここに来た証拠を消してる。ここのセキュリティ、ガードが緩くて助かるわ」
「それまずいんじゃない?」
「何が」
「だってそれ犯罪でしょ?」
「犯罪じゃないわよ。やるべきことがたまたま法に触れてるだけ」
「でもこれ警察が見たら…」
「こいつらのやってることを考えたら通報するのは自分で自分の首を絞めること。だからあたしらは通報されない」
などと訳の分からない理屈を言っているうちに作業が終わったのか、ケーブルを引き抜いて今度はUSBを挿した。すると何かのロードが始まった。その間に郷はコンピューターをしまう。
「それは何してるの?」
「この店のデータを全部バグ化してる。そうすればあんたを含む不特定多数の個人情報が悪用されずに済む」
「そうだった。私の携帯」
ふと思い出して恵は横たわっているツバサのポケットを探る。しかし恵の携帯はどこにも見当たらない。
「どうしよう、この人持ってない」
「最初から返す気がないってことね」
「どうしよう…」
目の前が暗くなるような気がした。郷は恵に言った。
「ちょっと静かにしてて」
そう言われて口を閉じると、郷は目を閉じてかかとを鳴らしながら部屋を歩き始めた。すると壁際で止まり、その床を足で確認するように鳴らした。郷はそこで床を激しく踏みつけると、踏んだ場所が沈み、正方形の床板が外れた。その下から黒い木の箱が現れた。錠がかけられている。
「ちょっとこれ持ってて」
郷に言われて恵は箱のもとに駆け寄り、錠を押さえた。郷は先ほどの要領でピッキングして錠を外し、箱を開けた。
その中身の一番上に恵の携帯が乗っていた、恵は心臓の枷が音を立てて崩れるように気持ちが軽くなり、心が晴れ渡るようだった。
「これ私の!」
恵は思わず声に出してそれを手に取った。しかしそこにあったのは、恵の携帯だけではなかった。
機種も色もバラバラな携帯、免許証、保険証、カード、学生証まであった。
「なにこれ…?」
「人の弱みを握って個人情報や身分証を盗み、闇市場に売りさばいてたんでしょうね」
郷は淡々と言った。もしそれが現実となっていたら、恵だけでなく周囲の人間の将来も危うかっただろう。
「用は済んだから帰ろっか」
「待って、この身分証とかどうするの?」
「そんなたくさん持ってるだけ物騒なもの、置いてくに決まってるでしょ」
「持ち出して警察に届けようよ。これ放っておくとものすごい数の犠牲者が出ちゃう」
郷は深いため息をついて手袋とポリ袋をポーチから取り出し恵に渡した。
「あんたほんとに優等生ぶるの好きね。飽きないの?」
「飽きないよ、疲れるけど。だから今日で終わりにする」
「あっそ。好きにすれば」
恵が木箱の中身をすべてポリ袋に入れてポシェットにしまうと、郷は立ち上がった。モニターを見ると画面が完全に乱れている。バグ化が完了したようだ。
郷はUSBを引き抜いて出口に向かった。恵もそれに続く。
郷がドアノブに手をかけるすんでのところでドアが勝手に開いた。開いたドアの向こうにいたのは、黒髪のオールバックにサングラスをかけ、髭を整えて派手なスーツを着た長身の男だ。バーカウンターで郷が言っていたオーナーの特徴と一致する。
「やば」
郷がそう呟くのと同時に男の長い手が二人めがけて勢い良く伸びてきた。急に郷に腕を引かれてオーナーの左わきを勢い良く通り過ぎた。恵の小さな悲鳴とオーナーの呻き声の混ざった音を置き去りにして郷は走った。その右手にはスタンガンが握られている。
恵は振り向くのが怖くてただ郷に従った。人混みを避けるため壁に沿って走るなか、郷が火災報知機のボタンを押した。けたたましくベルが鳴り響き、ホールは混雑を極めより一層走りづらくなった。なんとか人の波に呑まれる前に店を出て、駐輪場のバイクに荷物をしまい、ヘルメットを被りながら発進した。
外は既に日が暮れてそれが闇に沈み、街の明かりが星や月の光を薄めている。バイクはみるみる加速していき、東通りを突き進んだ。
「恵さん、後ろから追っ手は来てる?」
後続車はいくつかあった。しかしその中に一つ、明らかに速度がおかしいものがあった。
「あのSUVだけ速すぎない?」
「その一台だけ?」
その後ろを確認しようにも、フロントライトが眩しくてその向こうが見えない。しかしライトの動きが荒いのは明らかにその一台だけだった。
「一台だけ。でもバイクの馬力で逃げられる?」
「余裕」
肌を切る冷たい風の中で、郷のその声だけが熱を持っていた。
郷は車と車の間を幾度となくすりぬけ、信号が変わる直前に交差点を越え、SUVを赤信号に封じた。しかしSUVは信号など見えないかのように減速することなく交差点を越え、郷たちと距離を縮めていった。
恵の焦りは郷には伝わらず、右へ左へと小道を曲がっては追い付かれる。ついに車は一方通行の狭い道で郷たちの直後まで来た。右にも左にも逃げ道は無い。
「追いつかれたよ郷さん。どうしよう」
緊迫と焦燥に耐えきれず恵が弱音を吐くと、それに応えるようにバイクのエンジンが唸った。
すると体の芯が遠心力で外側に引っ張られるのを感じたとともにバイクが反転したのを認め、背後にあったはずの車が右前にあった。
わずかに開けた車と道の隙間をバイクが滑り込み、車と反対方向に逃げた。後部座席に乗っていたオーナーの顔が一瞬見えた。突然の事態の急変に啞然としているのだろう、サングラス越しでもわかるほど目を見開き、開いた口が塞がらないでいる。
過ぎ去った道を振り返ると、狭い道から出られずバックにも難航しているSUVの後ろ姿が見え、やがてバイクが走るにつれて多くの角を曲がり、完全に見失った。
「さっき何か言った?」
平常速度で東通りを進みながら郷が言った。
「どこか寄りたい場所は」
郷が尋ねる。
「疲れた。帰りたい」
恵は正直に言った。
金曜日
「それであの携帯とか身分証とかどうしたの?」
「交番に届けた。河原を散歩してたら草むらで見つけたって言えば怪しまれなかった」
「あそう」
郷と恵は学校近くのファストフード店で朝食を摂っている。恵の携帯のデータは書き換えられておらず、昨夜充電すれば問題なく使えた。
もうそろそろ一限目が始まる頃だろうか。そう思いながら恵はマフィンにかぶりついた。
「ありがとね郷さん。貴女がいなかったら私、自分の人生他の人のものになってた」
「そうね、あたしは貴女にとって大恩人だわ。もちろん奢ってくれるんでしょ?」
平然と言いながら郷はホットコーヒーをすする。恵は苦笑を返す。
「聞いていいかな、郷さん」
「何」
「郷さんはなんで私を助けてくれたの?」
「別に、ある人からある女の子を陥れてくれて依頼を受けて、そのついでにあんたを連れて行ったって感じ」
「え、そっちの依頼はいいの?」
「もう済ませた。あとは今日報告するだけ」
郷はポテトを一口含み、話し始めた。
「依頼人は某サラリーマンなんだけど、初対面のある女子高生に誘われてファルコンに行ったんだって」
「へえ」
「ホールで一緒に盛り上がってたらしいんだけど、突然その子が大声でスタッフに助けを求めたらしいの。依頼人が痴漢してきたとか言って」
「したの?」
「してないってさ」
「クラブで痴漢冤罪?」
「クラブでそれをやると良いこともあるのよ。例えば、昨日会った強面のオーナーさんとか、流し上手のツバサ君とかが現れたら」
「ああ、思い出したくない」
「店側からの法的処置がーとか言って脅した後、慈悲深い女子高生が示談で解決しようって提案したらしい」
「依頼人さんはお金で丸く収めようって?」
「そう、女子高生に二枚も上げたらしい」
「それでなんで郷さんに依頼が?」
「二枚じゃ少ないってその子が怒って依頼人の財布をひったくって、お札を全部抜き取ったって。しかもその子の優秀な所が、財布のついでにキャッシュカードもくすねたらしい」
郷がマフィンを頬張って一呼吸置き、続ける。
「依頼人がそれに気づいたときはカード会社に連絡してカードを停止してもらおうとしたらしいんだけど、その時かけた電話に出たのがツバサ君」
「もう大体分かった。キャッシュカードの無効化はできないって脅して、結果的にファルコンから何か要求されたわけね」
「うん。女子高生の子に二十万だって」
二十万。社会人にっとって痛い金額ではあるが、払えなくはない程度だ。それすら払えないのかと女子高生にあざ笑わらわれたのだと郷は補足した。
「それで、微かに噂になってるあたしのことを聞きつけて依頼したってわけ。キャッシュカードの奪還と、女子高生に制裁」
そこで恵は思い出してしまった。木箱の中身はすべて交番へ届けてしまった。
「これがそれ」
郷はそう言ってテーブルの上に金のカードを置いた。
「これが依頼人さんの?いつとったの」
「あんたが木箱の中身回収するのに夢中になってる間に」
全く気が付かなかった。
「あなたのこっそり気づけなかったのは二回目ね」
「あんたがファルコン前で同じ学校に子に腕掴まれて絡まれたでしょ?多分あの時に携帯盗られてるから、あんたほんとに気を付けた方がいい」
「え、なんでそのこと知ってんの?」
「火曜日にあたしがパソコンいじってるの見たでしょ?あのときにファルコン前の防犯カメラの映像見てターゲットの確認してたんだけど、偶然そこに映ってたあんたがあっさり携帯掏られてたから。依頼人に聞いたのと同じ手口だなあって思ったから、あんたについていってみた」
あの時はそんなものを見ていたのか。ビップルームの情報操作と言い、防犯カメラののぞき見といい、郷のスキルの高さが底知れ無く思えた。
そして、ついでにもう一つ知りえた。
「あの時の子がターゲット?」
「そう、ファルコンと癒着してるみたいね。その癒着具合を晒せば制裁完了」
「あの子もけっこうやり手だよね。私の携帯とかサラリーマンのカード掏ったり」
「いや、あたしほどじゃないよ。だってあの子あたしが財布掏ったのに気づいてないし」
「え、財布掏ったの?」
「ほら、ダミーに使った派手な財布。あれあの子の」
恵は驚きが隠せなかった。いつの間に掏ったのかは聞いても分からないだろうが、何より郷が幾手も先を読んでいたことに絶句した。
「あの財布でどうやって制裁するの?」
恵が尋ねると、郷はカードの束をテーブルに置いた。恵と同じ学校の学生証、カード、ファルコンの店員とのホテルでの写真。財布からくすねたのだろうか。
「現金は貰ったけどね」
そう言って郷はコーヒーを一口含んだ。
「そろそろ一限目終わるんじゃない?」
郷は言った。しかし恵はかぶりを振る。
「次の郷さんのバイト手伝っていい?」
「だめ、あたしの取り分が減る」
口ではそういうが、郷のその声には微かな温もりを感じた。郷の声が温度を伴うのは、彼女の中のある感情が働く時だと、恵は気付いて微笑んだ。