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アキラ、アイラブユーの理由
noteの最後や#ハッシュタグに、アイラブユーと、コメント欄ではXO XO(ハグとキス)を書くことが多い。
アメリカ育ちだから、英語だから、軽々しくアイラブユーだの、大好きだの言ってるのんだろうなとか、もしかしたら違和感抱く方もいたかも知れない。そう考えさせらる出来事が今年起きた。
ここらで一回、なぜ私がアイラブユーを発しているのか書いおこうと思った。
確かにアメリカ人は『アイラブユー」を気軽に使います。
正確には使っている人も多い。挨拶の最後に言うのも、ただの習慣。
でも言わない人も沢山います。私が思うに、アメリカ人にとっても、アイラブユーとは特別な言葉だと。
実は、私が『アイラブユー』を気軽に発するようになったのは、たかだか14年前からなのです。夫や結婚前のボーイフレンド対して使うことはあっても、友達同士や仲間に対して発するのにはどうにも恥ずかしいというか、場慣れしていないというか、「アイラブユー」と言った声が自然に小さくなったり恥じらったりしていた気がする。
14年前に心不全を起こし死にかけたことがありました。健康優良児の私に心臓疾患があったとは、友達はそれはそれはびっくりして、心配して、沢山のメッセージを送ってくれた。
第二の母と呼んでいるギリシャのママ、ここノートでも何度も彼女は登場してる。彼女の親友、ニックネームは「ジージ」私はジージ叔母様と呼んでいる女性がいます。ギリシャママの親友ともなれば、間接的に彼女の日常はよく聞かされていた。
ジージが貴方に会いたがってる、会える日が近いことを祈っています、そう言ってました…この伝言がお決まりのように会話に出てくるのけど、お互いの電話番号は知らないまま20年以上の時間が流れていた。
心不全で入院している病室で、未登録の番号から電話がかかってきた。会話をする気力もなかったが、なぜかその電話に出ると、泣きながら震える声でいきなり『I love you」私、ジージ、分かる?と言ってきた。大丈夫なの、どうしても貴方の声を聞きたかったのよ。アイラブユー。と泣き声で。彼女と初めて直接話した日だった。
会ったこともない私に、彼女の親友が愛する人だから、当然のように私に関心をもってくれる愛深い人。こうも惜しみなく躊躇することなく『私は貴方を愛しています」と言ってくれた人。日常茶飯事で聞くこの言葉が、これほど美しく、優しく、そして暖かく、響いたことはなかった。
ふとその時、これからはアイラブユーを口にしていこうと決めたんです。今まで随分ケチってたなぁ、愛の出し惜しみしていたなぁって思った。
以来、アイラブユーを伝えてきた。最後に言った言葉が愛してるでありますようにと願いをこめて、アメリカ人は挨拶の最後にそう言うのだと思う。愛や感謝を口にする文化の中で暮らしているのだから、愛を口に出さないてはない、そう思った。
ここで私が綴っていることは他愛ない話、せめてご縁に感謝をこめて、
アイラブユーで締めくくりたい。私の言葉と行動に愛がありますように、せめても、せめても、そんな気持ちを込めて。noteの対象は日本人、そう思うと私だって少しは恥ずかしいですよ、でも私は私。
だから
アイラブユー
and
xoxoxo
なんです。
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