よし!転職しよう⑤【最終回】
地方在住の元ソフトウェアエンジニアのAKIRAと申します。前回の記事をまだ、読んでいない方はご興味があれば過去の記事からご参照ください。
この記事は、私の体験を元にした転職に関する様々な出来事を、多少のフィクションを交えつつお届けできればと考えています。お暇潰しになれば幸いです。
【3度目の転職】
3度目の転職は、転職サイト(スカウト系)を通じての転職でした。転職する気持ちがものすごく強くあったわけではありませんが、何か言葉にはし難い不安な気持ちが心のどこかに引っかかっていました。
これまでも新しい事に挑戦するために転職を繰り返してきた私でしたが、これまでと大きく違ったのが、会社での立場でした。
それなりに年を重ね、いいおじさんになっていた私は管理職として数十人を管理する立場でしたので、自分が抜けてしまったら部下に迷惑をかける事になると二の足を踏んでいました。
自分には権限も責任もありましたので、新しい事に挑戦したければ、自分で企画して進めればいいだけですし、それができる部門でもありました。
しかし、風向きが大きく変わったのは経営陣が急に変わった事がきっかけでした。
【突然の社長交代】
当時は会社の業績が厳しい年が続き、突然の社長交代が行われました。本当に突然で、交代理由は転職を決めた後の退職直前に知る事になるのですが、あまり詳しい事を書くのはここでは控えておきます。
これで、大きく風向きが変わりました。私は不安な気持ちがありましたが、自分の部署は着実に成果を上げていましたし、特に影響を受けないだろうと考えていましたが、さっそく社長命令で組織変更が発生することになったのです。
社長交代の最初の年に行われたのは、私が半ば押し付けられる形で管理していた小規模なサブシステム開発チームが、元の開発部門へ戻る事になったのです。
元に戻る事はなんら問題ないのかもしれませんが、この小規模なサブシステム開発チームは毎年のように部署変更で管理部門を変えられて所属社員は本当にモチベーションを保つ事が難しい状態でした。
私は、過去にこの部門の責任者をした経験があったので、立て直しのためにも新しい事業の立ち上げと並行してこの部門を管理しておりましたが、新社長の体制下でまずこの部門が取り上げられる形となりました。
正直、個人的には負担が減るのでかまわないのですが、元の開発部門では大規模システムの開発が会社が傾くレベルで火を噴いていたので、管理できないという理由で引き取っていたので、本当に戻して大丈夫か心配でした。
どうして、こういった組織編制が起きたのかは上記の社長交代劇とも関連していた事を後から知る事になるのです。
私の部署は新しいクラウドサービスを立ち上げ、サービスは順調に軌道に乗りつつあり、チームとしてもようやく形ができたところでした。(利益は初年度から出ていましたし、5年ほどかけて育ててきました。)
しかし、このクラウドサービス開発チームを翌年には既存の開発部門に統合するという計画が発表されました。理由は開発部門が散らばっているのは良くないと新社長が言い始めたからです。
もちろん私はこれに反対しましたし、デメリットも多いという説明も繰り返し行いましたが、残念ながら私の意見は聞き入れられず、開発チームの統合が決定されました。(同じ会社なので部署がどうであろうとやるべき事は同じだと、自分に言い聞かせていました。)
【心理的安全性の欠如】
今思えば、私は様々な不安を押し殺していました。会社の業績は思わしくなく、社長は急に交代し、頻繁な部署変更・人事異動、翌年には私の部署は縮小し完全に振り出しに戻る状況が見えてきました。
私は、何か考えあっての事なのだろうと信じようとしていましたし、仮に振り出しに戻ってもそれはそれで何とかなると考えていました。(やれることは色々とありますので、ただ大変ですけど・・・。)
しかし、それは10年も同じ会社に居ると、自分の視野が狭くなり、自分の成功体験に知らず知らずのうちに支配されて身動きが取れなかってしまったのかなと、転職を決めてから、今振り返って冷静に考える事ができました。
特殊な業界の会社でしたし、古い企業文化があったので、ある種の諦めがある中で、どんなに会社の判断に疑問を感じていたとしても、できる範囲でのやれることを探すことが身に染みついていました。(悪い事ではないとは思うのですが)
とはいえ、仕事柄リスクマネジメントの思考回路も常に働いていましたので、より自分に合った職場があるのではないか、もう少しマシな会社があるのではないかとも心のどこかでは考え始めていました。
というのも、これまでやってきた事が果たして理解されているのか、評価されているのか疑問を持つようになり、最悪の場合を考えておく必要があったからです。
それは、会社は自分が思っているほど何も考えていなくて、こうあるべきという「べき論」で社長が組織編制・人事異動などの意思決定をしているとすると、現場を何も見ていない、調査や分析をしていない(バイアスがかかっていて歪んだ世界を見ている)可能性を感じ始めていました。
それは、会議などでもしばしば社長が、「申し訳ないが、これまでのやり方は間違っていると思う」、「こうあるべきじゃないか?なぜやってこなかったのか。」といった発言が増え、過去の否定から一般論を押し付け始めた事から感じはじめていたのかもしれません。
この頃から私は、心の中で自分の部署をどうすればいいのか、どうすれば部下を守れるのかを考えつつも、所詮は私もただのいちサラリーマンですので自分の身と家族を守る事しかできない事を悟りました。(幸い私の部署の仕事はそこそこ順調だったので私が居なくてもなんとかなる算段はついていました。)
最後に私を突き動かしたのは、会社における「心理的安全性の欠如」でした。このままでは私自身の精神が崩壊するかもしれないと感じ始めたのです。
【よし!転職しよう】
今考えれば、当たり前の選択だったのですが、10年も居た会社で、苦楽を共にした仲間も居るため決断には時間がかかりました。
以前転職したときに作成した転職サイトのアカウントが残っており、スカウトメールが来ていた事を思い出し、転職活動を開始したのです。
転職にはリスクもあります。かならずしも思ったような会社が見つかるとも限りませんし、望むポジションや条件で雇ってもらえるか解かりません。年齢的(40代)にもかなりギリギリのタイミングのように思います。
入ってみないと解らないというのが転職の怖いところで、どんなに有名な大企業でも合わない場合もありますし、会社はよくても相性の悪い人がいたり、相性の悪い顧客がいたりとやってみないと解らない怖さがあります。
しかし、私の場合決めてしまうと早いので、「もうここでできる事は無い。仲間には悪いが自分の人生なので後悔をしたくないし、それを仲間のせいにもしたくない。よし!転職しよう。」と割り切りました。(割り切るまで半年以上かかりましたが)
【3度目の転職時】
2度目の転職から10年が経過し、後半の5年間は新しくクラウドサービスを立ち上げる事業に費やしてきました。私の最終スペックは以下の通りです。
スペックは身元特定を恐れてフィクションが入っているので、モデルケースだと思ってください。
年齢:45歳
年収:777万
家族構成:3人
居住エリア:中核都市(戻ってきた)
資格:英語(TOEIC600点)、基本情報・ソフ開、GMAP-GF
経験:PG6年、SE5年、PM5年、管理職10年
言語:Perl1年、C++2年、Java13年、HTML/CSS14年、Ruby1年、TypeScript1年
OS:Windows2000/XP、RHL/CentOS
IDE:VisualStudio、Eclipse
フレームワーク:Struts、Velocity、Seasar2、Vue.js
DB:Oracle、PostgreSQL、Aurora
その他:Photoshop、illustrator、AWS、GCP、Azure
特殊:オブジェクト指向13年、XP/スクラム2年、CMMI2年、VPC5年、クラウドサービス企画・開発・運営・保守5年
私が元ソフトウェアエンジニアと言っているのは、この10年でソースを書いたのは1年だけです。初期のクラウドサービスのプロトタイプを少し書いただけでした。なのでもうソフトウェアエンジニアと名乗れるほどソースは書けません。
その後はインフラ要員が居なかったので、自分でAWSでサーバを立てたり、マルチクラウドを調査したりと、様々な取り組みをしましたが最終的には管理者としての雑用をやっていました。まだまだやれることはありましたが、それなりにやり切ったという気持ちでいます。
今は本当に前の会社には感謝しかなく、多くの経験を積ませていただきました。そして、ある意味では停滞していた私の背中を押すように私を解き放って頂いたと感じています。
一旦、これで「よし!転職しよう」は終了です。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
硬くて、長くて、読みにくい文章だったかと思いますが、まだ文体を試行錯誤しているところですので、ご容赦ください。
では、以上で終わりです。
お疲れさまでした。
また、どこかでお会いしましょう。
【次回予告?】
少し、伏線が残っているのでどこかで回収したいのですが、あまり詳細は書きにくいので書き方を考えます。
そして、新しい会社で行う新しい働き方とは?
10年でほとんど有給を使わなかったため、貯まった有給消化で何をしていたのか?
次回は、転職の話は終わったので、以下の記事を書こうかと考えています。
投資について
副業について
趣味について
Etc