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マーラー交響曲第四番考察:「音楽」のための「音楽」
あけましておめでとうございます!
作曲家の井上です〜
今回はマーラーの交響曲第四番について
書きました!彼がどんな音楽を書く人なのか、
それを知るのにはうってつけの作品です!
(各所に張ってあるYouTubeを再生すると解説してる
部分から流れるようになっています!
なってるはずです!笑)
・どんな曲?
交響曲第4番は、簡単に言うと「天国のすばらしさ」
を歌った曲です!
天井の生活はこんなにも素晴らしいんだ!という
ことを歌う第四楽章と、それを理解してもらう為に
第一楽章から第三楽章がある!と言った感じかなと
思います。
ただ、忘れてはいけない事がひとつあります。
それは、「天国に行く=死」ということです。
よくこの曲の解説で、天国の素晴らしさを歌うこと
はこの世の醜さを暗示している、などと言われたり
しています。「天国と死」「あの世とこの世」、
こう言った表裏一体なメッセージがこの曲にはある
ようにも思えますね〜。
・しかしそうではない!!!!
否!この曲が1番言いたいことは、そんな表裏だとか
この世の醜さとか難しいことでは無いと思います!
意味深なメッセージの多い曲だからこそ、1番大切な
ものはもっと単純なものなのです!
…いきなり自己否定してしまいましたが、順を追って
説明したいと思います笑
〇第一楽章:天国への妄想
(サブタイトルは僕が勝手につけたものです!
マーラーごめん!)
第一楽章は変則ソナタ形式。展開部に新しい主題が
出てきたり、再現が曖昧だったり、好き勝手やって
ます。第1、第2主題ともに優美な長調の旋律
という、まさに極楽浄土のような音楽ですが、僕は
これは「人々が想像する天国」なのかなと思って
います。天国を見たことがある人間は居ないはず
です。だから「天国ってこんな所だろうなぁ…
いいなぁ…」って妄想するのです。
・祭囃子の笛の音
展開部で当然、フルート4本のユニゾンによる印象的
な旋律が現れます。僕は初めて聴いた時、日本の
祭囃子にそっくりだなと思いました。
実際マーラーが日本風なものを目指したとは考え
にくいですが、民族的な響きを求めた可能性は
あります。土俗的な音楽というのは、大陸を超えて
共通点を持っていたりするものです。
ドヴォルザークは新大陸アメリカで、チェコの民族
音楽とそっくりな旋律を見つけ感動したという話を
聞いたことがあります。
大陸が違えど同じ人間です。どこかで感性を共有
しているものです。
マーラーの話に戻りますが、やはりこのフルートは
フェスティバルのような雰囲気を持っていると
思います。良く絵画で天使が楽器を吹いたり弾い
たりしているように、我々の想像する天国は、
極上の音楽に溢れてるということなのでしょう。
・骸の音と葬送のトランペット
さて、マーラーの音楽でコルレーニョ(弓の木の部分
で弦を叩く弦楽器の奏法)が出てくる際は、骸の音を
表すことが多いと思っています。
交響曲第1番の第三楽章や、後述する本作の第四楽章
など。すなわち死を予感させる音です。
第一楽章の祭囃子の後にも、突然として不気味な
音楽とともにコルレーニョが現れます。
冒頭にも述べた、天国への憧れ=死への憧れである
ことの暗示のようです。そしてその憧れが絶頂に
達し、再びフェスティバルのような極楽が現れた
その先に、突如として死のファンファーレが現れ
ます。交響曲第五番の冒頭を思わせる、葬送の
ファンファーレです。
恐らく天国への憧れが強くなりすぎた結果、死の
世界へ片足を突っ込んでしまったのでしょう。
裏では鈴の音が、「目を覚ませ!起きろ!」と
目覚ましのように鳴っています。そして音楽は
不安定に紡がれていき突然休止します。
…逝ってしまったかと思いきや、その後何事も
無かったかのように第一主題の途中から再開され
ます。「夢オチ」ってやつですかね笑
〇第二楽章:死神と鳥たちの合唱
マーラーの初期のメモに「死神のフィドル(バイオ
リン)」とあることから死神のイメージが強いです
が、実際調弦の狂ったバイオリンはそういった
死のイメージと近しいものがあるようです。
サンサーンスも死の舞踏で調弦狂わせてましたし!
しかし面白いのが、この楽章には鳥たちが鳴いて
おり、死神の音楽に合わせて合唱しているようなの
です。中間部には交響曲第一番を思わせるような
旋律も登場します。
・生命の原初と死神
交響曲第一番では、フラジオからなる無色の世界
から鳥の声が聞こえ、やがて旋律が産まれて
きます。彼にとって自然とは、全ての原初である
かのようです。そして死神という存在。魂を運ぶ
とも言われている存在ですが、天国=死と強い
関係性のある存在です。
このふたつをどう結びつけるかは人次第かなと思い
ます。生命の象徴たる森と、死神を対比させている
と考えてもいいし、自然から生命が産まれ、死神に
よって自然へ還ると考えてもいいかと。
どちらにしても異色でありながら親和性のある
サウンドです。
〇第三楽章:人の生涯。天国への道。
僕の大好きな楽章です。
全体は変奏曲となっていますが、繰り返し登場する
重要な場面も多いです。
この楽章はまるで、1人の人間の一生のようです。
愛の中で産まれ育ち、希望を持ち、絶望に落ち、
愛を知り、天へ向かう…。
第四楽章へアタッカで繋がるこの楽章は、まさに
「天国への前奏曲」です。
・何度も挑戦して、何度も絶望して。
第二主題的なポジションとなるこの主題は、
交響曲第五番のアダージェットとも関連のある音形
です。まるで夢に向かって進んでいくように舞い
上がる音楽は、しかし激しい絶望と共に地の底へと
落ちることとなります。
その絶望の底で、ビオラとチェロは哀しく歌うの
です。どうかこの者に救いがあるように、と。
この暖かくて冷たい地の底の嘆きは、バイオリン
には出せない音色です。
・希望と、愛と、天国への扉。
速いテンポの変装を挟み、再び夢を追い求める主題
が現れ、そして絶望してしまいます。
そしてまた希望を求め、絶望して…この流れが曲中に
3回もあります。なぜ3回も同じ事をするのか。
それはこの曲が「人生」だからです。
何度も何度も挫折するのです。
それでも立ち上がって、また絶望するのです。
人が生きるとはそういうことなのです。
3度目の絶望の末に、一筋の希望が降り注ぎます。
fis mollの和音ががFis Durになるのです。長調への
変化という単純な方法ですが、3度の絶望の先にある
この転調は、その全てが報われるような感覚に至り
ます。
その先は希望と愛に溢れた世界です。
次々とテンポの上がる舞い上がるような変奏と、
冒頭の愛の世界の再現。そしてその先で、
大Tuttiによってついに天国の扉は開かれるのです。
そこに誘われるように、やがて優しい和音の中へと
とけていきます。
〇第四楽章:子供が私に語ること
「ようこそ、天上の極楽へ」と語りかけるように、
クラリネットは優しい歌を歌います。
さて、この楽章については敢えて何も考察しませ
ん。歌詞のある音楽ですから、そこで歌われている
ことが全てです。
では何が歌われているのか?
ぶっちゃけ説明なんて出来ません笑
天国で神様が何をしているのか、天国がどんな世界
かをひたすらに羅列しているだけです。ストーリー
性などないように思えます。まあ、聖書などの知識
があるとより理解は深まるのですが、この楽章を
理解しようとすること自体が、一種の「誤り」だと 僕は考えています。さて、考察も大詰めです。
〇結局この交響曲は何を言いたかったのか。
第一楽章の天国への憧れ、第二楽章の自然と死神、
第三楽章の人の人生。
この3つの楽章は、第四楽章より後に書かれたことが
分かっています。
つまり、第四楽章のために書かれたのです。
では第四楽章の内容は?
草稿段階では「子供が私に語ること」という
タイトルが着いていたこともあります。
そう、まるで子供が「天国ってね!こんな所でね!
神様がこんなことしてるんだよ!」と説明している
ような歌です。
僕はこの曲を歌詞とともに最初に聴いた時に、
こう思いました。
「3楽章もかけて準備しておいて、伝えたかったこと
って、コレなの!?」と。肝心のメインストーリー
が断片的で独り言のような歌詞なのですから、
困惑しました。
しかし繰り返し聴き込むことで、分かってきたの
です。この交響曲が何を伝えたかったのか。
・ 「音楽」のための「音楽」
この言葉は、マーラーの音楽に対する考え方を
表すのにピッタリな言葉です。
つまりマーラーにとって音楽とは、何かを表すもの
ではなく、音楽そのものでしかないのです。これは
彼が後に標題を使わなくなった理由でもあります。
何かを伝える、何かを表すための音楽ではなく、
ただそこで鳴っている音楽こそが全てなのです。
マーラーが交響曲第四番で伝えたかったことは、
天国の素晴らしさではなく、今ここにある音楽の
素晴らしさなのです!
これは極めて人間賛美的だと思いませんか?
人が天国を求める音楽、人が天国を語る音楽こそ、
もっとも素晴らしいということです。
最後まで読んで下さりありがとうございます!
マーラーの交響曲はストーリー性や交響曲全体の
統一性のある曲が多いですが、それでも1番大切なの
は「音楽のための音楽」である事だと思います。
ホールへ行き、演奏を聴き、そこで感じたことが
マーラーの伝えたかった全てです。
だからこそマーラーの音楽はこんなにもエネルギー
を持っているんだなぁと、マーラーを弾いたり
聴いたりする度に思います。
マーラー最高!!!
おまけ:鈴の音の役割とは
マラ4といえば鈴!という人も多いのでは?
第一楽章と第四楽章で登場する鈴ですが、どういう
意味があるのか、僕の考察を少し紹介します!
これは悲愴の考察の時にも話したのですが、
鈴やドラといった金物楽器の音は、
「何かを召喚する」役割があると考えています。
それは神様でも、物語でも一緒です。
今回の鈴は、物語を召喚する、つまり物語を始める
ための役割だと思います!
毎回鈴は前の曲調が一段落して小休止した後に登場 し、次の曲へ繋ぐ役割をしています。第四楽章でも 楽節の合間に鈴が鳴っているように、やはり物語を
「召喚」してるんじゃないかな?と思います。
これからマラ4を聴く際は、鈴が鳴ったら次のお話!
と言った感じに思ってみると面白いかもです!
以上!!