「キャリア教育」の問題点と落とし穴
キャリア、キャリア教育といった言葉が一般用語として定着したのは、だいたい2010年前後です。文部科学省から初めてこの用語が出てきたのは1997年だったと記憶しています。その後、日本の大学でキャリアセンターなどが設立され始めたのが2004年頃で、自分が所属している「日本キャリアデザイン学会」の設立もその頃です。
1990年代から2000年ごろにかけて、終身雇用が見直され、転職が当たり前のようになりつつある中で、転職支援企業も出てきました。派遣労働も法律が整備され、増加しました。そして就職協定も見直され、いわゆる就活の早期化が進みました。そうなると「キャリア」という言葉が一層飛び交うようになりました。当時、「キャリアアップ」という言葉は専門家によっては使われていませんでしたが、一般用語化してしまい、そのうち専門家と言われる人たちも使うようになりました。専門的に勉強してきた人は「キャリアにはアップもダウンもない」というサビカスの言葉を理解していたのですが、今では普通に使われています。
キャリア教育の問題点
現在のキャリア教育の問題点は、マッチングという視点に偏りがあることです。日本の企業や学校教育で行われているキャリアに関わる行為の多くが、マッチングに向いているからです。自己分析を行い、企業分析を行い、どこに相性が良いのかを探ります。しかし、キャリア理論からすると、他方の「能力」の育成については力が及んでいません。片方の車輪(マッチング)が大きく、能力形成の車輪は小さいため、歪な状態になっています。本来はその両方が必要で、バランスが重要です。
キャリアの能力形成に関わる課題
能力やスキルの獲得を観察してみると、資格試験などに象徴される表面的な類に偏り、哲学をはじめとした社会や自然科学など、これまで長い間培われてきた学問や教科教育への紐付けがされていません。熟達といった一つのスキルを長く磨いて極めることも軽んじられることが多いようです。教養が低く、手っ取り早く稼げる能力に手を差し伸べがちです。学校教育や大学教育の中身が社会とマッチしていないと思われるのは、この視点が弱いことが背景にあります。
ですから、学問や教科からキャリアへの体系化を進めていかなければなりませんし、大学教育においてもそれぞれの教科の内容改善が必要です。しかしこの20年余り、そのほとんどがあまり着手できていないと見て良いでしょう。部分的で細かな変化は起きつつあるものの、ダイナミックな大きな変化は生まれていません。
キャリア教育の落とし穴
このままの状態が続くと、スキルや能力の高い人はその個人が好む職業についてしまいます。個人の思考性がマッチする仕事が、必ずしも社会を持続可能にする仕事とは限りません。社会を維持する仕事は、地味で裏方的な大変な仕事もたくさんあります。
例えば、医療・福祉・教育・交通・物流・一次産業といった社会システムを支える仕事のなり手不足が生まれ、社会問題化しています。日本の医療はクリニックが多く、都会と田舎での医療格差が生まれていますし、福祉や幼児教育に関わる仕事の年収が低く、学校教員のなり手不足、バスやトラックの過重労働・運転手不足、農林水産業の後継者不足があります。
このような現象がある一方で、株トレーダー、YouTuber、プロスポーツ、広告といった社会を維持する仕事以外の人口が増え、それを目指す人が増えていきます。人口が増え続ける社会では維持できると思われますが、先進国で人口減少が進む社会では未来の危機が到来します。
今のままのキャリア教育を進めれば進めるほど、いわゆる高年収で安定感がありそうな華やかな仕事に能力の高い人が集中し、社会を維持するための仕事に手が回る人の数や質が減少していくことになります。いわゆるエッセンシャルワーカーよりブルシットジョブが量産されてしまうのです。
キャリア教育を進めるなかで、これまでのバージョンを改善し、持続可能な社会を作るためのモデルチェンジが必要だと考えられます。昨今はじまっている、学校教育における探究活動と総合型選抜といった入試改革の流れに改善の一つの道筋がつくられると思われるのです。