成長するとは、どういったメカニズムなのか。
教育について語る人(特に学校教育)が多いと思いますが、人が成長するメカニズムについて案外関心が向かない傾向があるのではないかと感じます。学校教育では、人が成長するメカニズムについて学習する機会がほとんど見られません。国語、数学、英語などの教科は用意されていますが、どうしたら成長するのだろうか、といった発達や促進に関する授業はどこか置き去りにされています。
例えば、教員養成課程のコアカリキュラムのあり方に関する検討会(文部科学省)が平成29年度に報告を出していますが、扱っているのは「目標」であって、それに至るプロセスについてまで踏み込んでいません。その目標まで長時間かかるものを短時間で行き着くためにはどうなのか、効率よくするためにはどうすべきか、などといった類のスキルや技術に注目されていないため、詳しくないまま教員になることができます。成長プロセスの仕組みを理解していると、教科学習のみならずあらゆるものに応用できますし、大人になってからも学び続けることができますから、今回それに触れてみようと思います。
かなりシンプルに考えると、成長する人とそうでない人との差は「負荷」と「サイクル」この2点の組み合わせで見ていくことができます。人は、小さな負荷を乗り越えることができると、さらに大きな負荷を乗り越えられるようになります。易しい問題をクリアすると、もう少し難しい問題を解くことができます。小さな負荷をかけ続けていては大きな負荷に対応できません。サイクルとは、一度学んだことを復習するというような反復機会のことです。一度だけで習得できるものばかりでないですから、何度も繰り返すことで成長が促されます。このようなシステムになっていることは、経験的にもよく理解できている人が多いと思います。今回は「負荷」についてもう少し考えてみましょう。
人は楽な生き方を自然に受け入れるようにできていますから、なるべく負荷(もしくは別な表現で言い換えると、ストレス)がかからないようにと動いてしまいます。負荷の最大値は、命の危険を伴うものになりますから、生き残るためには当然避けるようにできています。
現在の社会生活ではほとんどの場合、命の危険性がほぼない状態です。平和である証拠です。一部の地域や国では戦争などが起こっており、命の危険性がある場所にいます。そこでの生活活動は相当な負荷がかかっていると考えられ、その分野(生き残るために必要な技術や知識)における学びや成長は生き残れるかどうかに直結しますので、シビアな世界だと思います。
平和な世界(地域)を獲得した人類の歴史的時間はここ最近の出来事になります。人類は長い間戦争などに明け暮れていました。ですから、ある意味安心して適度なバランスの良い負荷をかけてもいいような環境をようやく獲得したといえます。一方で、負荷をかけなくても生きていけるから怠ける、いわゆる「平和ボケ」となってしますのですので、成長が鈍化しやすいともいえます。
そうはいっても、平和な社会の中でそれなりに生きていくための知識と技術が必要です。戦時中ほどシビアではありませんが、学校教育やその他学ぶ機会は種類や内容こそ変われ、需要や必要性は一定程度以上存在しています。細かく見ていくと誰でも小さな負荷を乗り越えて成長していくことをやってきました。幼少期から大人に過程で、その年齢や環境に合わせた負荷がかかって乗り越えてきています。熱いものを触って火傷をしたり(熱いもの触れたらダメだと学習する)、自転車に乗れるように練習して転んだり(補助輪がなくても運転できるようになる)、テストがあるから一夜漬けをしたり(教科の知識が身につく)、料理などして包丁で手を切ったり(包丁さばきが上手になる)などです。
ですから「負荷とは何か?!」を探究してみることで、今学校教育で足りないものは何か。普段日常や社会活動で応用できることは何か。教育問題の解決の一つの側面が見えてくると考えられるのです(あくまで、一つの側面)。
次回はもう少し「負荷」について突っ込んで考えてみましょう。