“頭痛が痛い”だけじゃない、気をつけたい「重言」リスト【文章術024】
僕のnoteでは、これからライターを目指す人や、新たなスキルを身につけたいビジネスパーソンに向けて、文章力を培うためのポイントを解説し、練習課題を出していく。
今回は、不要な「重複(ちょうふく)」を避けるための意識づけをしていきたい。
重複表現とは
頭痛が痛い——。要するに、重複表現とはこれだ。「重言」(じゅうげん、じゅうごん)、二重表現とも言う。「頭痛」という言葉には、既に「頭が痛い」という意味が含まれているので、さらに「痛い」を重ねると、「頭が痛いことが痛い」という構造になってしまう。
「いやいや、私はそんな間違いをしない」と思っている方も多いかもしれないが、世の中にはさまざまな重複表現がある。馬から落馬する、戦争が終戦、ミリ単位で細かく、右に右折、等々……とにかく漢字が2文字ならんだら油断できない。しっかりと重複を避ける癖が付くまで——否、失敗を重ねて身体が覚えるまでは、自分が選択する語の組み合わせに注意を払わなくてはいけない。
どんな重複表現があるか100個以上挙げてみた
書き手として認識しておきたい重複表現の例を、100個以上かき集めた。一通り目を通しておくだけでも、ライティング技能の向上に役立つだろう。
以下、重複表現(あるいはそれに近い表現) → こう書いた方が良いと思われる形、という形式で列挙していく。修正例が複数ある場合には「/」で区切って並べる。各項目について解説まで書かないので、何がおかしいのかわからないものがあれば、ぜひ検索してみてほしい。
まず最初に、 → まず/最初に
一番最後に → 最後に
最もベスト → ベスト/最も
断トツ一位 → 断トツ
最後の切り札 → 切り札
最後の追い込みをかける → 追い込みをかける
まだ未定 → 未定
まだ時期尚早 → 時期尚早
いまだに未解決 → 未解決
今の現状 → 現状
今現在 → 現在
第一回目 → 第一回/一回目
隔週おき → 隔週
元旦の朝 → 元旦
クリスマスイブの夜 → クリスマスイブ
年内中に → 年内に
炎天下の下 → 炎天下
事前予約 → 予約
馬から落馬する → 落馬する
戦争が終戦した → 終戦した
雪辱を晴らす → 雪辱する/雪辱を遂げる/雪辱を果たす
店に来店する → 店に訪れる/来店する
すべて一任する → 一任する
明かりを点灯する → 明かりを付ける
伝言を伝える → 伝言を渡す
注目を集める → 注目を浴びる/視線・耳目・衆目を集める/注目される
あとで後悔する → 後悔する/あとで悔やむ
必ず〜する必要がある → 〜する必要がある/必ず〜しなくてはならない
あらかじめ予定していた → 予定していた
電気を消灯する → 消灯する
過半数を超える → 過半数を占める
発売を開始 → 発売/販売を開始
募金を募る → 募金する
貯金を貯める → 貯金する
お金を借金する → 借金する/お金を借りる
お金を入金する → 入金する
収入が入る → 収入がある/〜円が入る
被害をこうむる(被る) → 被害にあう
違和感を感じる → 違和感がある/違和感を抱く
思いがけないハプニング → ハプニング
返事を返す → 返事をする
はっきりと断言する → 断言する/はっきり言う
ミリ単位で細かく → ミリ単位で
学問を学ぶ → 学問する/〜を学ぶ
教養を養う → 教養を積む/教養を高める
行動を行う → 行動する
自分に自信がない → 自信がない
火を点火する → 点火する
封筒を開封する → 封を開ける/開封する
一票を投票する → 投票する
原稿を寄稿する → 寄稿する
菌を殺菌する → 殺菌する/除菌する/消毒する
名前を記名する → 記名する/名前を記入する
温度を保温する → 保温する
罪を断罪する → 断罪する
犯罪を犯す → 罪を犯す
決勝戦を観戦する → 決勝戦を観る・見る
後を追跡する → 追跡する/後を追う
カギを施錠する → 施錠する
血を輸血する → 輸血する
ビールを飲酒する → ビールを飲む/飲酒する
捺印を押す → 捺印する/印を押す
頭をうなだれる → うなだれる
秘密裏のうちに → 秘密裏に
各店舗によって → 各店舗で/店舗によって
各世帯ごとに → 各世帯に/世帯ごとに
Aの立場に立って考える → Aの立場で考える/Aの視座に立つ
血痕の後 → 血痕
突然卒倒する → 卒倒する
古来から/より → 古来
従来から/より → 従来
普段から → 普段/ふだん
日頃から → 日頃/日ごろ
かねてから → かねて
およそ数千円 → 数千円
慎重に熟慮する → 慎重に考える/熟慮する
特別な例外 → 例外
満天の星空 → 満天の星
満面の笑顔 → 満面の笑み
学校に登校する → 登校する
アメリカへ渡米 → 渡米/アメリカへ渡る
日本に来日 → 来日/日本を訪れる
訃報のお知らせ → 訃報
排気ガス → 排気/排ガス
射程距離に入る → 射程に入る
過信しすぎる → 過信する
約10m程 → 約10m/10m
ITテクノロジー → IT
加工を加える → 加工する
お中元のギフト → お中元
製造メーカー → メーカー
余分な贅肉 → 贅肉
みぞれ混じり → みぞれ
献身的に尽くす → 献身的に接する/尽くす
自ら墓穴を掘る → 墓穴を掘る
車に乗車する → 乗車する
内定が決まる → 採用が内定する
連日暑い日が続く → 暑い日が続く
受注を受ける → 受注する/注文を受ける
価格を値上げする → 値上げする
足で踏む → 踏む
集客を集める → 客を集める/集客する
下り坂をくだる → 坂をくだる
右に右折する → 右折する/右に曲がる
互いに切磋琢磨し合う → 切磋琢磨する
そもそもの発端は → 発端は/そもそも
わきで傍観する → 傍観する
沿岸沿い → 海岸沿い
後ろから羽谷い絞め → 羽谷い絞め
手ほどきを教える → 手ほどきをする
とりあえず応急処置をする → 応急処置をする
春一番の風 → 春一番
初デビュー → デビュー
尽力を尽くす → 尽力する
水を放水する → 放水する
専ら専念する → 専念する
壮観な眺めだ → 壮観だ
留守を守る → 留守を預かる
轍(わだち)の跡 → 轍
……(※)
補足
最後に少し、補足しておこう。「チゲ鍋」や「サハラ砂漠」「ゴビ砂漠」「サルサソース」「ガードマン」「ベストワン」「マグカップ」「マスケット銃」「クーポン券」「ラム酒」「フラダンス」のように、外来語との重複や和製語は、固有名詞として市民権を獲得している場合も多くある。また、日本語でも「〜賞を受賞」「学費を貯金」「びっくり仰天」「好き好んで」「むやみやたら」「えんどうまめ」のように、重言的構造でありつつも、文法的構造や、語呂の良さ、強調形などの免罪符を伴い、一般に受け入れられている表現も少なからず存在する。
たとえば、紛らわしいところでは、「歌を歌う」や「数を数える」など、「歌」と「歌う」、「数」と「数える」が別の意味なので、重言ではないとするというルールもある(文法的に気になる人は「同族目的語」について調べてみるとよい)。「寝言を言う」「旅行へ行く」「着物を着る」「ひとことで言う」なども同様の理屈で誤りではないとされる。
また、「馬がいななく」をシンプルに重複における誤用とするか、「小鳥がさえずる」のようなコロケーション(語同士の繋がりが深い関係性)として捉えるかの差も曖昧だ。
そのほかにも、「私は私である」(トートロジー)や、「冷たい氷」(冗語法)などにみられるような強調表現なども、手法として確立されている。
このように、重言の沼は深く、文法的にもそれはそれは複雑怪奇な世界である。
僕は、学者によって整理された「文法」という枠組みが言葉を決めるのではなく、人々が実際に使った語が広まったうえで言葉が変化していくことが自然な現象だと思いたい。そのため、今後の人生でいろんな重複語が出てきても寛容に受け入れるつもりだ。
たとえば、うえに挙げたなかでも、「注目を集める」は、建前では重複とされつつも、すでに誤りとは言えないほど一般的に使われている語だ(ほかにも日本語として誤りとまでは言えない用法はいくつか混ざっているだろう)。
しかし、書き手として、あるいは掲載する媒体として、誤用を指摘されるリスクを避ける必要はある。個人としては重複表現を容認して使っても、記事を読むことになる何万人もの人がそれを受け入れてくれる保証はない。要するに、文章を書く仕事としては重複表現的な存在は避けた方が無難というわけだ。そして、読者に疑問をもたせない(=文のリズムを整える)うえでも避けた方がよい。
「旅行に行く」という表現があって、「これは重複表現なのだろうか?」と読者に疑問を抱かせてしまった時点で、原稿としては損なのだ。「旅へ行った」「旅行した」と書いてあれば、少なくとも読者のリズムは崩れない。文法的な正誤ではなく、文章としての目的に重きを置くべきだろう(ここの議論については、下記のnoteをご覧いただきたい)。
練習課題
では、今回の練習問題を提示したい。今回は、先ほどのリストから気になるものをまとめてみてほしいというだけだ。
どこまでを重複表現と捉えるべきなのか、どこまでの重複表現を書き手として容認するか——という問いに明確な答えばない。しかし、書き手という立場では、少なくともどんな表現が重複表現となりうるのか、傾向を把握しておくことが重要だ。そして、気持ちよく、スラスラと書けた文に対して「あれ、この言い方って大丈夫かな?」と疑問を抱けるようになったのならば、書き手としてのレベルアップは確約されたようなものだ。
一方、読み手という立場では、他人の重複表現についていちいちキツく指摘するのは、決して美しい行為ではない。否定するのではなく、ぜひ日本語の不思議を味わい、楽しもう。このnoteを読んでくれた人には、重複表現に対する危機意識と共に、できればそんな視座に立ってほしいと願う。