「変な文章」からの脱却を図る 【文章術076】
本noteでは、これからライターを目指す人や、新たなスキルを身につけたいビジネスパーソンに向けて、文章力を培うためのポイントを解説し、練習課題を出していく。
今回は「文章の種類」について、認識しておきたいことを整理した。
文章の種類は大まかに3つある
文章スキルをUPさせるために、自分がどのような文章を書くことをゴールに据えているのか、改めて認識しておきたい。現代の日本で一般的に使われる日本語文章には、3つの種類があるとされている。
1つ目が「個人的文章」、2つ目が「説明的文章」、3つ目が「文学的文章」だ。筆者としては、大まかに「個人的文章」<「説明的文章」<「文学的文章」のように難易度が上がっていく傾向があると感じる。もちろん、絶対的な並び順ではなく、例外はあるだろう。
それぞれの概要と、具体例を紹介しておこう。それぞれ、以下のようになる。
試しに、これらを具体的な文で比べてみたい。例えば、「先ほどまで悩んでいがが、手紙を読んで、気持ちが晴れた」という内容を書いてみる。
文章力をUPするには、まず文章の種類を目的とマッチさせる必要がある
多くの方はおそらく、どこかしらで「この人の文章はなんだか変だな」と感じる文を見た経験があるだろう。しかし、この「変な文章」として認識する原因について、言語化を試みた人はあまりいないかもしれない。この機に考えてみよう。
筆者は、上述した3つの文章のタイプが、媒体の目的や空気感と合っていないとき、あるいは複数の種類が不規則に混ざったときに、「変な文章」が生まれてしまうのではないかと考えている。
例えば、普段SNSに投稿をするときに、「説明的文章」でコンテンツをアップしている人・コミュニティがいたとする。その人らからみると、「個人的文章」で自己完結的に投稿されたメモような自由な文章は、自身やコミュニティが想定している「文章」から逸脱して見える。つまり、それは「変な文章」に見えるわけだ。
さらに、もしそこに「文学的文章」の要素が混ざっていたとすれば、さらに「変」に感じる度合いはUPするだろう。
例えば、このパターンだと、「2泊3日の家族旅行へ行きました。景色がすごく綺麗でした」の部分は説明的文章の要素であるのに対し、「紅葉の色づき、満天の星空、秋冬の旅行の良さ」は体現止めの連続によって文学的文章の印象が強い。さらに、「また来よう!」の部分は自身へ言い聞かせる日記ような個人的文章の表現だ。このごちゃ混ぜ感が、他人に伝えるための文章なのか、ポエムなのか、自分のメモのための文章なのかをはっきりさせていないため、読者から見たときのなんとも言えない気持ち悪さを生んでしまっている。
(※もちろん、これが絶対にダメだとは言わない。SNSの投稿にはルールなどないのだから、書き手が特に困っていないのであれば、好きに投稿すれば良いと思う。ただし、もしその書き手が「文章のスキルをアップしたい」という目的を持っているのであれば、放置せずに修正すべきだろう)
さて、具体的な対策はシンプルで、「説明的文章」で統一すればよいだけである。
文章が面白いか魅力的か——という観点はどうだか分からないが、これだけで読み手から見た時の気持ち悪さはなくなる。シンプルな対処だが、SNSを眺めているとこれができていない人が散見される。変なことをせず、「文章の種類の統一」を意識するだけで、及第点の普通の文章が書けるようになると覚えておきたい。
さて、これと同じことがしばしば他の場面でも起きている。例えば、職業としての「ライター」を目指して企業に就職活動をしているときに、作文の試験があるとしよう。その際に、目的とされるのはおそらく「説明的文章」だ。ここで、個人的文章や文学的文章を書いてしまうと、期待されているものと乖離してしまう。
また、文学系のコンクールに、個人的文章や説明的文章で書いた大作を送りつけても、入賞する確立は低いだろう。
このように場面に応じて、求められた文章の種類の使い分けを意識することは、まず認識しておきたい基本中のキホンだ。
なお、本noteで解説しているのは、主に「説明的文章」をきっちりと書くためのポイントである(※もし「文学的文章」の練習をしたい人であっても、この説明的文章のキホンを抑えておくことで、その先にある文学的表現についても、視座を高めることができるとは思う)。一通り目を通せば、普通の地味な文章をきっちりと書けるようになるので、ぜひ過去回を眺めながら試行錯誤を続けてみてほしい。