コロナと社会と不憫な弱者
コロナがただの風邪なのかどうかは知らないけどコロナワクチンなんてもんは唾棄すべきゴミカスである。
先に断っておくと、僕は頭にアルミホイルを巻くような連中の一員では無いし、ワクチンで洗脳されて遺伝子がうんぬんかんぬんとかは言わない。東日本大震災が人工地震だとか、地球平面説だとか。まぁ世の中には色んな人がいるんだが、僕はそれで言うと『一般的な人』に括られると思う。自分不器用なもんで、難しいこと考えんのは苦手ですわ。
しかしそんな僕でもコロナワクチンはもう勘弁して欲しい。
一昨年?いやもっと前かしら。僕はコロナワクチンを渋々二回打った。渋々って言うのはそもそも注射が苦手だったもんで打ちたくなかったのだ。とはいえ、時はコロナ全盛期。街からは人が消え、渋谷からはバカが消えた。流石にこの状況で打たん!と強情きめるのもなんと言うかバカな気がする。
なので打った。一回目は無事終わった。けっこー熱は出たけど、それなりだったし、腕は痛かったけど次の日からラジオ体操が出来るぐらいには回復していた。だが問題は二回目。
その回僕は、記憶が確かなら41.5℃の熱を出した。証拠写真を撮ったはずなのだが無くなっていたので証明は出来ないんだが、でも確実に41℃の熱が出ていた。
41℃を超えると身体はもう発火寸前であり、へそで茶を沸かすが地で行ける。股間に挟んだ氷枕はものの数分で溶ける為ただ股間を不快にさせただけ。頭と節々は痛いなんてもんじゃなくて強烈な足つぼマッサージを常に眉間にやられている感じがする。耐えることなんて出来ないのだから、俺は寝ると言うより気絶に近い形で何度も落ちた。30分ぐらいして覚醒するも、また痛みに耐えられず気絶する。これが約2日続いた。
リアルに死ぬかと思ったことは後にも先にもこん時ぐらいじゃなかろうか。いや、たぶん思い返せばいっぱいあるんだけども、この時ほど三途の川がクリアに見えたことは無い。
人間ってのはどうも42℃の熱を出すと死ぬらしいのでニアピン賞と言ったところか。死のニアピン賞なんて欲しくもないのだけれども。
ワクチンの仕組み上、まぁわかるんだよ。ある程度の副作用があるってことはさ。でもさ、それにしたって出すぎじゃない?俺が何したって言うのさ。
俺結構マジメに生きてるつもりだったんだけどね。ここで言うマジメってのは勉強して良い大学に行くとか、法律を徹底的に守るとかそーいうんじゃなくて、仁義と人情に正直に、バチの当たるようなことはせずに生きているってこと。自尊心がミニサイズの僕もそこのとこは少しだけ自信がある。
でもやっぱりちゃんと勉強してルール守って、お嫁さん貰って子供産んで、そんな“真っ当”な生き方をしてる方が偉いんだろうね…だから僕はこんなに割を食ったんだろうね。
「もう俺絶対打たねぇから。3回目とか4回目とかバカやん死ぬやん絶対打たんわ。コロナかかるかかからんかなんて運やん。そもそもワクチンってかからないようにするもんじゃなくて、かかった時に症状軽くする為のもんやん。ここまで辛い思いしたんだしもうかからんわ」
と豪語したものの、結局その一年後僕はコロナにかかる。
「だから言ったろうが。私の言う通りワクチン打たねぇからこうなるんだよ」
と非難轟々だった母親は数ヶ月前に五回目のワクチンを打ってきたらしいが、つい先日コロナにかかって一週間寝たきりだった。
僕と母の会話はだいたいこんな感じ。和気藹々とやらせてもらってますわ。ちなみに僕がコロナを持ってきたせいで妹は修学旅行に行けず、母がコロナを持ってきたせいで弟は友達との旅行に行けなかった。
何の話だっけか。まぁいつだって割を食うのは社会的に弱い人間で、年少者ってことですねぇ。僕の家庭に社会の縮図を見たそんな話でした。