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DB Gruppe 62客車の系譜:WRmh 131(DB/DSG)


はじめに

開発の経緯

1950年代に入り、戦後復興もようやく終わりが見え始め、西ドイツの新しい国づくりの一役を担っていた新生DBは、増え続ける利用者への対応と客車の標準化を進め、いくつかの試作を繰り返しながら長距離国際列車(F-Zug)向けサービスも戦前製造のSchürzenwagenを改造して運用されていました。
1953年に登場した全長26,4mの区分室客車(Gruppe-53)は、その後の標準型車両の基本構造となり、F-ZugでもSchürzenwagenから順次置き換えられる中、DSGが保有する食堂車はSchürzenwagen(WR4üm-39)が組成されることが多く、特に看板列車として名を馳せたF-Zug "Rheingold"については新製車両に置き換わられることもなく、以前のまま1960年代になりました。

しかし、水面下では新たな長距離優等列車専用車両の開発がDBの主導で車両メーカーと共に進められており、食堂車についてもDSGがDBと共に西ベルリン・Spandauの車両メーカーのO&K(Orenstein & Koppel)が担いました。
それまでの試験・検証から全長26,4mを今後の客車標準全長と定め、その基本計画を基に新生DBに相応しい新たな次元の長距離優等列車を目指した列車の設備とサービスの条件を満たした食堂車を完成させることが目標であり必須でした。

その最初の列車が戦前からの看板列車であるF-Zug "Rheingold"であり、戦前は全てDSGの前身であるMITROPAが車両所有とサービスを担って、同じ(ロンドン-)オランダとスイスを結ぶドイツ唯一のプルマン列車として、CIWLによって運行されていたEDELWEISS PULLMAN EXPRESSのライバルとして運用していました。

Gruppe-62の登場と食堂車

1962年と翌年にF-Zug "RHEINGOLD"向けに製造されたGruppe-62系列の4形式に含まれる食堂車がWR4üm-62/63(後のWRmh 131)になります。
戦後のF-Zug "Rheingold-Express"は、かつてのプルマン列車ではなく、敗戦したドイツは1956年まで国際列車での自国の供食サービスができず、編成にCIWLの(厨房つきフレッシュ・ドール・プルマンを改造した)食堂車が組成されており、DSGの食堂車とサービスが叶ったのは1956年の夏ダイヤ改正からでした。

新生F-Zug "Rheingold"では、自席で供食される戦前のプルマンスタイルではなく座席車と食堂車で組成されるスタイルになりました。看板列車でもある同列車は、沿線に風光明媚なライン川を望む区間がちょうど昼食時間帯に当たることもあり、食堂車の他、屋根まで回り込んだガラスドームを通して景色を眺望できるドームカーを連結して、退屈になりがちな長時間の列車旅が利用者の満足度を高めると共に、当時一斉スタートのコース料理を提供していたランチサービスを希望する全ての乗客に対応できる座席数確保が重要な開発条件の1つでした。
そのため、座席車とバー設備のあるドームカー(AD4üm-62/63)と2両セットで運用されることがを想定した編成による"RHEINGOLD"の供食サービスを担う車両として全長26,4m車体は他の3形式(Avm 111、Apm 121、ADm 101)と同じです。
車内は食堂と厨房エリア、ビュフェに分かれていますが、食堂部分の座席数を最大にするために厨房部分を2階建にしているのが特徴的な車両で、その独特な姿から瘤付き食堂車(Buckelspeisewagen)と呼ばれるようになりました。

食堂部分の十分な座席数確保と厨房を挟んだ食堂部分の反対側にカウンターのついたビュフェの設備スペースのために狭くなった厨房部分を2階建てにしていますが、厨房の上階を調理室、下階部分を食器洗浄室として分離したことは衛生面ではメリットがあるものの、調理後の配膳や下膳、洗浄後の食器類をリフトを使って移動させなければならないなど、運用面では課題の残る車両でした。
運用開始後は、新型車両の好評を受け"Rheingold"/"Rheinpfeil"以外の長距離優等列車も4形式のGruppe-62形客車を量産することになりましたが、翌年の1964年から製造された食堂車は平屋の車体に戻り、形式は132形(WR4üm-64)となりました。(この際、定員減を最小限にするため、車体幅を若干狭くすることで全長を26,4mから27,5mに110cm程延長しています。)

DBでは、主要幹線の高速路線化が進む1970年代から80年代に掛けて最高制限速度200Km/hの長距離列車向けのUIC-Zなど次々と新製客車が登場、それ以前のGruppe-62やUIC-X客車の高速対応化の改造を進めた一方で、TEE "Rheingold" / IC "Rheinpfeil" / TEE "Erasmus"については、この列車専用の131形食堂車もペアを組んでいたドームカーと共に200Km/h仕様に改造されず、1976年の夏ダイヤ改正で運用から外され、他の長距離優等列車向けへの転配も最高速度の関係からか行われず、一部を民間事業者に売却され、DB車籍の車両は廃車・解体となりました。

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