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子供科学教室 「LRTって何だろう?」 

はじめに

JAM会場での試み

2007年の8月、鉄道模型のイベントで賑わう東京国際見本市会場会場内でセミナーが行われました。そのほとんどは、スケールモデルである鉄道模型車両関連のレクチャーでしたが、私はこの鉄道模型イベントであるJAM会場で子供向けの実車のセミナーをしたのでした。
ただし、それはいわゆる在来線や新幹線のような、いわゆる「鉄道車両」ではなく、欧州で発展著しかった当時の最新トラム(次世代型路面電車LRT)について多くの子供達に知ってもらうべく、毎回JAMに出展されていた多摩美術大学の勝間研究室のセミナーとして登壇しました。

初めてLRTが走った富山とドイツの環境先進都市フライブルクのLRT

LRT=路面電車?

そもそも「LRT」という3文字のアルファベット"Light Rail Transit"という単語は、語呂が良くないのか、北米の新世代路面電車ライトレールから出てきたと思われる新しい名詞は覚えられづらかった。
路面電車が走る都市が比較的多い欧州では、新世代路面電車であってもLRTという名詞は聞かれずあくまで「トラム」や「Strassenbahn」と呼ばれている。これは日本と異なり、各地で活躍するトラムは、モータリゼーションの影響を受けつつも徐々に進化を続けていたからと考えられます。

1970年代の日本とドイツの路面電車

邪魔者であった路面電車

同じ路面電車....なのではあるが、特に日本の場合はそのイメージが悪い。日本で路面電車の廃止が進んだ1960年代以降は特にモータリゼーションの発展が著しく、多くの国民は自家用車を持つことが3C(Color Television、Cooler、Car)の1つとして目の前の夢の象徴の1つだったこともあり、道路をノロノロ走る路面電車はドライバーにとって邪魔者であった。
特に東京のようなかつては網の目のように張り巡らされた都電ネットワークは、専用軌道の比較的多かった荒川線以外は全て廃止となった。それは東京に限らず、全国の都市で地域の公共交通を担う路面電車は次々と廃止。広島や熊本、鹿児島など西日本を中心に路面電車が生き延びたのは数えるほどしかなくなってしまいました。

環境問題が背中を押した欧州

環境問題と公共交通

それから20年程度経った1980年代から90年代に掛けて、地域の足として路面電車が比較的多くの都市が残っていたドイツや日本同様モータリゼーションで廃止が進んでいたフランスの都市で次々と車両の大型化や再開業が相次ぎ、新しい価値が路面電車によってもたらされ始めた。
特にドイツでは、最も森林面積の大きな黒い森地方の山の頂上の一部が酸性雨の影響で立ち枯れが発生。近くを走るアウトバーンの車内から剥げた山頂を眺められるほどの影響が出始め、自動車の排出ガス規制の後押しとなったほか、そもそもクルマから公共交通に乗る方が環境に優しいと考え、敢えて自動車ではなく公共交通を選んで移動の足に使う動きが欧州社会で顕著となるほか、黒い森から近くの独仏国境ライン川を挟んですぐ西側のストラスブールでは、ユーロトラムと名付けた新世代トラムが新しいまちづくりの主役として再開業し、フランス第三の都市でありEU会議場もある観光地としても有名なこの街の中心には、クルマの排気ガスからトラムと人の歩く街に変わり、世界中から視察に来るほどの変化で日本を含めて多くの都市が参考にするほど有名になりました。

以前のイメージと大きく変わった新世代の路面電車

新世代路面電車のイメージ

ストラスブールは、中心市街地に再び多くの観光客を呼び戻し活性化を促す都市装置としてのLRTを模索、都市計画と共にトータルデザインで蘇らせた事例として世界的に名を馳せた一方で、ドイツのカールスルーエやオーストリアのウィーンなど伝統的にトラムを敢えて残し、自動車との共存を図ってきた街は、ストラスブールほどの劇的なイメージの変化はないものの、徐々に車両の大型化や郊外鉄道線へ乗り入れを始め、低床化など利用者に優しく美しいデザインを施した車両が歴史的な観光都市としてのイメージや移動利便性の向上が図られたことで、都市の魅力は益々向上することとなった。

トラムが自動車と共存し、魅力ある公共交通となる施策

LRTはそれまでの路面電車と何が違うのか

1960年代、欧州では多くの路面電車を持つ都市が廃線か存続かの決断に迫られていました。地域の足としての公共交通に路面電車の不要論があった一方で、敢えて路面電車を「残す」ことを決断し、モータリゼーションが勢いを増す中でも、正面からその利便性を武器に都市交通としての機能維持を図る手立てを施してきた事例を紹介します。

上図の左画像は専用軌道の信号です。通常なら道路の自動車用信号機と同時に進行や停止指示を表示するのですが、ここでは自動車用信号機が進行指示を出す少し前に路面電車用信号機が進行表示となり自動車より先に出発します。こうしたことで渋滞による遅延などを最小限にする工夫がされています。また車両の大型化により都市部での細かな道路での内外輪差による曲線通過の問題は車体長に変化を付け、台車の配置などを工夫することで、1編成の車両数を増やすことや車体断面を大きくすることに成功し、大型の窓と共に広々とした車内環境を作り出すことにも成功しています。

そのほか、欧州ではゾーン制運賃制度を採用しており、事前購入した1枚の切符で制限時間であれば、そのゾーン内であれば路面電車に限らず、バスや地下鉄、鉄道線なども含めて交通連合の下にある全ての地域公共交通が利用可能であることは、乗り換えごとに運賃支払いが必要な我が国のシステムとは大きく異なり、公共交通による移動のハードルは低い..と言えます。ハードルではなく、利用したくなる公共交通に昇華しているのが欧州の仕組みと言えるのではないかと感じます。

都市装置としての路面電車

トランジットモールの存在

欧州ではどの街でも中心商店街が存在しています。その目抜き通りに必ず路面電車の線路が敷かれていて、そこに多くの路線が集結しているのが特徴的です。また、中央駅にも路面電車の多くの路線が集中しているので、この2つの街の核(結節点と暮らしのエリア)とも言える場所に各方面からの幹線が集まるように出来ています。そして中心商店街の目抜き通りは、ほぼ必ず歩行者専用道路になっているため、自動車の通行が制限される一方、バスやトラムなどの公共交通が目抜き通りに入ってくるため、そうした公共交通と歩行者のみ通行できる道路をトランジットモールと呼ばれています。日本でもいくつかの都市で社会実験として試みてはいますが、残念ながら欧州のような中心市街地の歩車分離政策はまだ道半ばと言えます。
また、日本の多くの都市では、公共交通機関の路線数が多く、1路線あたりの本数が少ないことが特徴です。これだと動きが取りづらくなり、宇都宮で試みているようなLRTを幹線、途中停留所をトランジットポイントとして枝線のバスを設定することで運転手の負担を軽減させ、働き方改革による担い手不足の有効な解決策になると思います。宇都宮ライトラインでも問題となっている枝線との乗り換え利便性の向上が図れるようにすべきと考えます。
宇都宮ライトラインのトランジットポイントでは、未だに都度運賃支払いのため、そこに大きなバリアが存在します。現代社会はDX化が求められているので、スマートフォンによるチケット購入とQRコードのキャンセリングとのセットで用意すれば、それだけで決済まで完結できるため、公共交通による移動そのものが、シームレスでハードルの低い、そして乗りたいと思えるインパクトの強い車両があることで、人々の心はLRTに傾くと見ています。

2システム車両が走るドイツ・カールスルーエ(左)と地域の特性に合わせたデザイン(右)

使えない路面電車から乗りたくなるLRTへ

多くの街に路面電車が残り、進化を続けたドイツでは、利用者への利便性をもちろん、自動車との共存共栄を目指し、様々な対策を施しました。まず行なったことは優先信号の設置により、加減速度の異なる自動車と道路で共用する併用軌道部分でトラムを優先的に走らせることで渋滞の原因を抑制すること、またゾーン制運賃として車内精算を極力なくしたことで、どの乗降口からも乗降が可能となり、運賃精算が不要になることでダイヤの乱れの大きな要因をなくしました。また、低床化により車椅子を使う利用者、ベビーカーを持つ保護者、高齢者にも優しい身近な乗り物として親しまれる存在になりました。郊外に無料駐車場を置き、そこからトラムに乗換えられるパーク・アンド・ライド(P+R)も、中心市街地の公共駐車場利用料金の政策的な高額設定とともに自動車利用者の中心市街地乗入れ抑制とトラムへの移行に役立ちました。
そして、それまでドイツ鉄道の赤字ローカル線に電化や電停の整備などトラムのための設備を施し、電源・信号システムの異なるトラムとドイツ鉄道の直通可能な車両を開発、世界初の2システムトラムがカールスルーエで運行を開始しました。これにより、それまでローカル線の乗りにくく使いづらい鉄道運用から、新型車両のほか、密度の高いダイヤ、ゾーン制運賃導入、駅数が増えたことなどで、沿線住民は自動車利用がトラムを使って移動するようになります。利用者数は、開業後すぐに以前の5倍に増加、その後も増え続け、次々に新しいトラムトレイン路線が延伸され、現在では大きなトラムによる鉄道ネットワークが広がり更に拡大を続けています。

クルマが排除され、歩行者とトラムが行き交う鉄の男広場(左)カールスルーエ中心の目抜き通りのトランジットモール(右)

フランスでは、前に記したストラスブールで一度廃線されたトラムを再びまちづくりの装置として新たな都市計画の元で再生、車両から電停インフラ、更にはバスに至るまで統一したデザインイメージで徹底した戦略のもと、世界でも最も有名なトラムとなりました。歴史的には隣国ドイツと国境を接していることから、EUの会議場を持つなど以前の負の歴史を背負いながら新たな隣国関係を象徴する都市としてLRTはその先端を担う役割を果たしています。その大きな特徴の1つは、トラム2路線が交差する鉄の男広場電停の巨大なサークル型ガラス屋根設置による広場全体の電停を意識させる効果と、それまで路上駐車しほうだいだった中心市街地のトランジットモール化による、歩行者優先の歩ける街への変革でした。
そして、ストラスブールの成功例は、フランスの他の都市の模範となり、次々とまちづくりの核としてのLRT中心の街が次々と誕生したのです。
更には、LRTはストラスブールの街を抜け、国境のライン川を渡り隣国ドイツのケールまで延伸。紛争の絶えなかった過去と決別した独仏両国の象徴が国際トラムとなったストラスブールの答えではないかと思います。

おわりに

「LRT」という名前が市民権を得た今がチャンス

これは、理解しやすい小学生向けに作成したLRTについてのスライドショーですが、その内容は当時LRTの名前すら知らない人がほとんどで、この名称自体をどうにか浸透させるか、あるいは別のわかりやい名称にするかなど、関係者や興味のある人たちは何かと議論の話題になっていたほどです。それは、富山に初めて本格的なLRTが誕生し、福井にトラムトレインが登場してもなお同様でした。しかし、宇都宮のライトラインは、LRT=次世代型路面電車として開業前からメディアはこぞって報道し、開業時の人気ぶり、そして開業後の利用者数の好調な推移も含めて、概ねポジティブに受け止めらられ、特にアルストム製車両ベースの緩やかな曲面と総合デザイン会社としてのGKが総力を注ぎ込んだトータルデザインによる分かりやすく優れたデザインの力で、「LRT」というそれまで分かり難さの象徴のような3文字は、今や少なくとも関東地域では、その理解が多くの人に浸透することになりました。

その宇都宮ライトラインには、毎日全国から多くの行政などの視察団が見学に訪れていると聞いています。やはりテキストや画像だけではなく、実際に走り始め、狙った効果が発揮されると、それまでの論調が変わることが理解できます。いくら本格的なLRTが欧州や北米、更には台湾にあったとしても、日本の地方都市に実現すると、その影響力のリアリティが大きく異なることも理解できました。

これは大きなチャンスでもあります。宇都宮のライトラインも、今後枝線として機能するバス路線との連携強化と地域公共交通ネットワークの充実化、移動のハードルを更に下げることなど、やるべき課題はLRTの延伸だけではありません。トータルデザインは市民の意識を変えたように、まちづくりもストラスブール同様、トータルデザインすべきフェーズに来ています。LRTは単に次世代型路面電車の英訳ではなく、「まちづくり」の核としての欠かせない機能であることを広く理解して欲しい..そう願わずにはいられません。

長文にお付き合いいただきありがとうございます

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