福岡の異次元エンターテインメント!【あんみつ姫】代表、石川鉄也さん
ふくこいアジア祭り・中洲JAZZ・天神劇場等の立ち上げや、国民文化祭・サンセットライブを始めとする多くのイベントへの出演、各種公演・ディナーショー・各地の祭りの制作等、福岡・九州各地で30年以上に渡り各種イベントや興行等に携わる石川鉄也さんにお話しをうかがいました。
プロフィール
出身地:長崎県
活動地域:福岡県
現在の職業および活動:
ANMIX ENTERTAINMENT株式会社 代表取締役
劇団あんみつ姫 代表
アンミックス・タレント・スクール 代表
芸能プロダクション Aプロ 代表
劇団ギンギラ太陽’s プロデューサー
ふくこいアジア祭り 実行委員会実行委員長
ふくこいアジア祭り 組織委員会専務理事
福岡県よさこい連絡協議会 会長、中洲JAZZ 顧問
YOSAKOI九州中国連絡協議会 幹事、NPOふくこい 理事長
座右の銘:おバカを真面目に科学する
自由で斬新な発想を持ち、笑顔と感動を原動力に、 福岡から新しい風を吹かせたい
Q.石川さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
石川さん(以下、石川敬称略):若い方々の夢を形にできるサポートをしたいと思っています。
タレントや歌手、ダンサーなどになりたいと、芸能や表現の世界への色々な夢を持っている若者はたくさんいます。しかし、この世界で夢を実現する道筋をきちんと伝えてくれる人は少ない。特に福岡では東京と比べると劇場の数も少なく、実演する機会も少ないので成功へのチャンスは100分の1しかありません。また、その夢が実現してもその後どうすれば良いのかの情報も少ない。例えばダンサーになれたとしても、通常ダンサーだけで生活していくことは難しい。そしてその後はどの様な将来の可能性があるのか誰も教えてくれません。
駆け出しのときは我流でやるよりも教わった方が早いと経験上感じています。若い人にはまず人生のロードマップの作り方を誰かが教えてあげることはとても大切です。でも本当のことを言ってくれる人が少ないと思います。
稽古は大前提必要ですが、100回の稽古よりも1回の本番の方が価値があると思っています。出演者・劇場・観客は三位一体です。観客に観て頂くことでパフォーマンスは向上しますし、1人のお客様に足を運んでいただくことがどれだけ大変なのか、若いうちに感じてもらうことは大切だと思います。
どの様に進めば良いのか迷っている多くの若い方々の夢を、具体的に現実化できるようサポートしていきたいです。
記者:確かに若い時はまず何をやったらいいのか全然分からないですね。そこのサポートはとても必要だと思います。
Q.若い方々の夢を形にできるサポートをするために、どんな目標や計画を立てられていますか?
石川:目標は「ライブ喫茶 照和」のような存在になることです。
福岡にある伝説のライブハウスで、前座システムによって武田鉄矢さんや陣内孝則さんなど、たくさんのアーティストを世の中に生み出しました。
福岡は小劇場が少なく、中劇場や大劇場はプロの出演の場となっているため、若い方々が本番を行うことができる機会が本当に少ないのです。
劇場を借りるにはお金がかかりますし、劇場だけでなく出演者が必要です。その上照明、音響、衣裳、小道具、大道具、脚本家、演出家、舞台監督、制作などたくさん必要な役割があるので、若い時から全てを手配するのはすごく大変ですよね。
稽古をするにも公共の施設はほとんど22時までしか使用できません。会社員の方だと20時に開始してもわずか2時間しか稽古ができません。
だから私どもの稽古場は24時間使えるようにし、天神劇場も貸し出しています。私達のスペースをもっと多くの若い方に活用してもらえたらいいなと思っています。ゆくゆくは多くの方が使い勝手のいいように劇場を建て替えたいと考えています。
劇場からテレビや海外で活躍するレールもありますし、活躍できる人が福岡から生まれる後押しができれば嬉しいです。若い方だけで興業ができればいいなと思っています。
記者:エゴではなく、まさに利他の心ですね!
Q.どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?
石川:「おバカを真面目に科学する」ことです。これには2つ意味があります。
1つ目になりますが、あんみつ姫は元々ゲイバー・ショーパブでした。
お客様には、おもしろおかしいことを演じてお客様には心の底から笑って頂き、元気を持って帰って貰いたい。バカバカしいことをするために、笑いのメカニズムは本気で追及しないといけない。勢いだけで演じると、何を演じたいのかわからなくなってしまうんですよ。笑いを最小単位まで因数分解して、再構築しなければいけない。1つのネタでも、それに持っていくまでのストーリーや伏線があるからこそ笑えるんです。
2つ目は、「前回がこうだったから今回もこれでいいだろう」という考え方に疑問を持つこと。1回1回の仕事をしっかり科学することです。
私どもの劇場業務に例えると、これは劇場のご予約を承るところから始まっています。予約を承る言葉も決まり文句ではなく、臨機応変に対応することが大事です。そうしないと仕事は作業になってしまいます。あんみつ姫は月間100回ほど公演をします。演者側にとっては100回の中の1回でも、お客様にとっては一生の1回になるかもしれません。その重みを知り、バカバカしいことでも1回1回覚悟して観客の立場に立って演じる、観客迎合主義を大切にしています。
記者:その信念からあの迫力あるショーが生まれているのですね。
Q.そもそも、若い方々の夢を形にできるサポートをしたいという夢を持たれたきっかけは何ですか?
石川:大きな3回の挫折がきっかけです。私は長崎で生まれ、中高一貫の学校に通い、志望校に落ちたので予備校に通っていました。これは1回目の挫折です。
高校卒業後、福岡での予備校生活が始まりました。朝は予備校に行き、夜は親戚の焼肉屋でアルバイトをしていたのですが、時給が高い方が良いと考え、19歳のとき知人の紹介であんみつ姫にボーイとして入りました。9月に入って10月には男役ダンサーとして踊っていました。その後、23歳のときの8月末、私が店長職の時にあんみつ姫が閉店したんです。最終日の公演の翌日、溢れ出す涙を拭いながら舞台の床を拭き上げました。これが2回目の挫折です。
当時はいろんなミュージカルのオーディションを受けていました。地方のオーディションでは100%合格するのに東京のオーディションでは合格することはありませんでした。
それなのに、なぜか私は「日本人で初めて、ニューヨークのブロードウェイの舞台に立つんだ!」と飛行機に小さなバッグ1つ抱えて飛び乗ったのです。
マンハッタンで暮らしていた福岡出身のダンサーの部屋に転がり込み、ブロードウェイのダンススタジオに通っていたとき、ミュージカル「CATS」のチケットが手に入りました。
劇場に着いてビックリしました。CATSで一番踊りのスキルが高い出演者が演じる「ミストフェリーズ」という役の配役を見たら日本人の名前だったんです。日本人でブロードウェイに出演している人はいないと思い込んでいた私は、この人はきっと日系の2世か3世なんだろうと思いました。公演後の楽屋口で分かった事ですが、彼は東京の有名なバレエスタジオのご長男、純粋な日本人だったんです。
世界で一番になろうと思い意気揚々とニューヨークに行った私はこの瞬間「この世界で一番になれない」と一気に落胆しました。これが3回目の挫折でした。
記者:大きな志を持って行った分、その反動は大きそうですね…。
Q.そこから立ち上がった背景には何があったのですか?
石川:あんみつ姫の社長だった人からタイミングよく1本の電話があって「今ある店舗の管理を全部任せたいから、戻ってこないか?」と言われました。
何もかも喪失していた私は「はい」と返答し、すぐに帰りのチケットを手配して帰国したんです。
帰国後はすぐに福岡で10軒の飲食店舗の総支配人を任されました。
そしてすぐにノンバンクから「石川さんここを使って何かやらないか」と提案された場所がたまたまあんみつ姫があった場所だったんです。
融資しますよと言われたが、東京ではバブルがはじけた直後だったので躊躇しました。当時まだ福岡でははじけていなかったがいずれははじけるだろうと思った。何ができるか考えに考え、これも何かのご縁だろうと思い、あんみつ姫を再興することを決心したんです。24歳で社長になりました。
再興する前迄、あんみつ姫はいわゆる純粋な水商売でした。売上を上げようとスタッフ全員で頑張ってお酒を飲みます。無理してでも飲むから体を壊して入院する。すると仕事が出来ず生活費も無くなる。退院後、生活費を稼ぐために無理してでも飲んでまた入院する、、、こうやって人生の負のスパイラルに進んで行く先輩方を沢山見てきました。
本当にこれでいいんだろうか?これではスタッフは自分自身の人生設計を考えることはできないし、スタッフたちに明るい将来は無い、どうにかしないといけないと思いました。
そうは言っても背に腹は変えられず、売上を上げるために私も現場に出て10年位は飲み続けました。
覚悟を決めたのは、現在の場所に劇場を移しシアタースタイルに移行してからでした。
ショーキャストには、お客様からドリンクやフードを貰うことを禁止して、ゲイを売るから芸を売るスタイルに変えました。
開店時間ギリギリにくるのではなく、開店の5時間前の15時に来てもらって柔軟や発声の訓練も始めましたね。ショーキャストも男性のゲイだけではなく、男役のダンサーがいてもいいし、おなべの子や女の子もいていいんじゃないかと幅広く考え、楽しいショーを提供できる劇場を作ろうと思いました。
最初はレストランシアターにしたくて、フレンチのシェフに来て頂いて美味しいものを提供していました。でもある時ハッと気が付いたんです。映画を観るときに「あの映画館のコーラとポップコーンが美味しいから行こう」と思う人はいませんよね。それからは「飲食の付加サービスとしてのショー」ではなく、「ショーの付加サービスとしての飲食」と大きく考え方を切り替えました。「ショー」のみを特化し、「飲食」を特化することをやめました。そこから会社は大きく変わって行きました。
飲食を捨てたことで周りの飲食店や色々な会社とタイアップできるようになったりしました。何をするかではなく、何をしないかを明確に決めたからこそ幅が広がったんです。
こうやって支えてくれる誰かがいるから、支えることができる。スタッフ達だって、私が支えているのではありません、実は私が支えられているんです。
若い時に舞台に立つことを諦めるという大きな挫折があったからこそ、今でも舞台に立っているショーキャストを羨ましく思います。
だからこそ若い者を応援したいし、確実に次のステップに進んでほしいと思っています。
記者:まさに持ちつ持たれつの関係ですね。本日は貴重なお話ありがとうございました!
ーーーーーーーーーー
石川鉄也さんの活動、連絡については、こちらから
【編集後記】
記者を担当した荒牧(写真右)、不知(写真左)、飯塚(写真中央右)です。
事務所に入ったところから、石川さんの私たちに対するおもてなしが凄くて、普段から本当に人を大切にされていることを感じました。とても情熱的なトークで、ここでは語り切れない熱いお話しがたくさんありました。
石川さんのこれからのご活躍とご健勝を心より応援しております。
ーーーーーーーーーー
この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。