荒っぽい口技と筋張った身体と蕾
尾道は昔、アタシにとって憧れの町だった。大林宣彦監督の「男女入れ替わり」映画としても超有名な「転校生」が撮られた町でもあり、女装にのめりこみつつあった旅行好きのオカマ少年アタシにとって、いつかは行ってみたい夢と現実が気持ちよく混じり合った町だったのだ。
その願いは、アタシが車の免許を取り、本格的に女の子の格好をフルタイムで出来るようになった頃に叶えられた。
今でもアタシの関心はフィメールマスクとお化粧に振り向けられる事が多いのだけど、お化粧を覚え立ての若い頃のアタシにとっては、メイクとは自分の顔の上に0コンマ何ミリのファンデーションという材料で出来たマスクを張り付けることと同じで、いつも化粧の匂いをプンプンさせていた。
女性性を演出するというよりフェティシズムといった方がいいのだろう。
そんな商売女としては素人同然のアタシを、車で九州まで連れていってくれた叔父さんがいたのだ。
当然、旅は宿泊が伴うのだけれど、その叔父さんは半分仕事がらみ上の上司に当たる人だったので、「自分の店の商品には手を付けないぜ」みたいな、かなり紳士的な接し方をして戴いたのを覚えている。(冷静に考えれば、荒っぽい口技と筋張った身体と蕾しか持たない女装少年にそれほど魅力がなかったのかも知れない)
山口じゃ湯田温泉の松田屋ホテルに泊まったり、九州は嬉野温泉で連泊というかなりゴージャスな旅だったように記憶しているけれど、時々まわって来る車の運転や、やる度に顔の印象が変わるお化粧に、アタシがかなりくたびれていたのは確かだ。
そんな旅の最後に連れて行って貰ったのが尾道だった。
その叔父さんが尾道港の波止場に車を止めて、生きたシャコを海辺で売っている叔母さんを見つけ「自分は小さい頃からシャコが好きでね、、これ買って帰るから、僕んところで茹でて食べさせてあげるよ」と言った言葉と、大きなビニール袋一杯に詰め込まれてわさわさと動くシャコの姿を未だによく覚えている。
たぶん旅行中ずっと隙のないダンディぶりを見せ続けていた叔父さんと、「海老」じゃない「しゃこ」とのギャップが、夕暮れ近い尾道港の人気の少なくなったわびしさに背中を押されて、アタシの感性をすすり泣かせていていたのだろうと思う。
アタシが自力で、夕日に輝く尾道水道を友人と神社から眺めたり、尾道ラーメンや、お好み焼きと広島焼きの味比べを尾道で楽しみだしたのは、それからもう少し後の事だ。
けれど尾道で泊まった事は一度もなく、どの尾道体験も四国に渡る途中だったり、九州や山口・広島観光の通過点として出来るものに限られてきたのだ。
実際、あの有名な千光寺からの尾道水道の眺めや「文学の小道」をこの目で見たのもつい最近の事なのだ。
あんなに憧れていた町なのに、その町を充分知らないまま、ある程度、知ったつもりになって満足している、、。
なんとなくその状態はアタシの「男女入れ替わり」に対する思いにも共通する部分がある。
アタシは性の変容をテーマにした物語を多く書いてきたけれど「男女入れ替わり」を扱った事はない。
性欲にまみれた男が女の身体に入れ替わって考える事はたった一つしかない(笑)。かって、女に変わった自分の顔と身体に発情し自慰しまくっていた人間が、そんな物語を書いた所で仕方がない(リピ笑)。
勿論、「男女入れ替わり」を扱った小説や映画の中には、入れ替わった肉体に、精神が逆に馴致される過程を官能的に描いたものや、恋愛感情や家族関係について深く考えさせられる作品もあってテーマとしては掘り尽くされたわけではないとは思っているのだが。
例えば、小悪魔的な女子高生と彼女たちにきしょいと嫌われる中年親父の肉体の入れ替わりなんて、上手く書けば非常に高度で読み応えのある精神的なハードSM小説が書けるし、ネット上には既にいくつかそういう作品もあるのだろう。
それでも「性的ファンタジーに溺れ死ぬ」覚悟の実践派変態にして見れば、「男女入れ替わり」ってあまりにもお手軽でありご都合主義のファンタジーに思えるのだ。
思えば「男女入れ替わり」は、女になりたかった男達の原初的な「夢」に違いない。
大空を飛ぶ鳥になる「夢」を果たせなかった人間は、そのお陰で宇宙まで届く力を得たのだ。そして宇宙まで手が届いた時、人は自分が本当に「夢」見ていたのは、空を飛ぶ鳥になる事ではなく「大いなる力」を手に入れることだったと気付くわけ。
アタシは鳥になることを夢見た人間のロマンより、ありったけの知恵を動員して空を飛ぶ力を手に入れてしまう人の「強欲さ」の方が好きだ。
・・・たぶん自分の創作活動の中で「男女入れ替わり」に手を染めない理由は、そんな所にあるのだろうと思う。
【 PS 】平成の歌姫と呼ばれた浜崎あゆみがズッと気になっている。勿論、気になっているからと言ってファンの筈もないのだが。
彼女の時代と共に歩んだヘヤーカラーの変遷が面白い。 今やヘヤーカラーは自由だ。 元の"黒髪"もある。 あの、新しい染め直した黒髪髪の色、、「茶髪・金髪」ってゆー「推移」がなければ、あんな黒は登場しなかったんじゃないかと思う。
新しい東洋人女性の黒髪、適当だけど「ネオ鴉の濡れ羽色」みたいな感じでネーミングしておこう。
それともう一つ。倶楽部で使うにはちょっと貧弱だけど、網タイツで靴の表面を覆ったようなデザインのハイヒールを、街で発見。砕け散った浜崎あゆみ的なモノの破片だ。
ハイヒールに網タイツ、、、フェチの両横綱の組み合わせ、恥ずかし過ぎて、あるようでなかった、、、こーゆーの考え出す"普通の人"がいるんだねぇ。