自分の事は自分で判断、説明
前の投稿でも少し触れたが、自分はトランスジェンダーという事になる。
自分が生まれた頃には、もちろんそんな言葉はなく「同性愛者」と一括りにされていた。
20代の頃もそんな言葉はまだなく、地方の片田舎に生きる我々、当時の同性愛者の若者達はひっそりと肩を寄せ合っていた。
今の時代が嘘のようだ。
だが、まだまだ地方でありのままで生きるには困難だらけ。
ここ数年で、多様性と謳われ始めて一気に広まり、学校の制服、ランドセルの色の選択肢が増え、「LGBTQ」という言葉もかなり浸透してきたように感じる。もちろん、そうではなく、先駆者の涙や血で濡れて固まった道を歩かせて頂いているのも充分承知しているが。
さて、この「LGBTQ」に関係する今日の話。
20代当時に遡る。
前述の通り、同性愛者の数人でよくつるんでいた。
もうその時のグループの人達とは誰とも連絡を取ってはいないのだけど、自分がその仲間からよく聞かれたのは「あんたっていったいどっちなん?」って事。
今流に言うなら、LなのかTなのか?
って事になるのか?
うーん、まだ使い慣れません。
ちょっと昔ながらの言い方で表現してみます笑
「体は女で(自分の場合は誰が見てもわかるw)、それは違うと思ってて、恋愛対象が高確率で女性。」
ややこしいですね。
説明しますと、
「体が女は間違ってる」とは思うんですが、生来の気性なのか、諦めなのか、「是が非でも性転換したい」とはならなかった。
理由は省きますが、親にカミングアウトしようとか、絶縁してまで性転換の道を選ばなかったんです。隠して、地方の片田舎で生きる道を選択しました。ただ、性自認はやっぱり男だなぁと思います。
「恋愛対象が高確率で女性」も中途半端ですよね。
ぶっちゃけ言うと、男性経験も一応あります。
好きでした。
彼ならいいかも?と思って関係を許しました。
女性もどちらの立場でも付き合った事があります。
タチ、ネコ。
男性と関係した時より、ネコだった時の方が、心と体のズレはなかったです。違和感とでも言いますか。
ただ、どちらも心がしんどかったのは事実です。
(ここからはぼや〜っと書きますので、察して頂けると💦)
反応してしまう自分を心が受け入れきれない。
彼女が好きなのに、体を許せば許す程、自分の体が女である事を実感してしまう。
その事が辛かったです。
結果、タチの場合が一番しっくり来ました。関係を持った時、感情がかなり男性寄りとわかりました。
ただ、当時のグループのみんなには、自分はかなり中性的に見え、それが納得いかなかったようです。
今思うと、「どっちかにしろ」と強要している状況に近いです。
男性、女性、どちらかにしろと言われて辛かったはずの人達の中で、更に自分達が他人を区別しようとしていた。
わかりにくいからどっちかにして欲しい
と。
その違和感から、グループにいることが自分は辛くなって、最終的にフェードアウトしたわけですが、正解だったと今でも思います。
恋愛をするにあたっては、やっぱり自分の性を説明する必要があるので、本人がある程度説明出来ればそれでいいのかな?と思います。LGBTQは周知度が進めば、説明する時に楽にはなるかもしれません。