【店主のひとりごと】24
Instagramで過去に投稿した文章を、コチラに転載しております。
店主のアキラです。
いつも投稿をご覧いただきありがとうございます。
新聞広告の営業を21年、取材をして記事を書く、いわゆるライターという職業を10年(前職)もしていると、実にさまざまな人と出会い、対話をしますが、特に印象に残った人物を何人か紹介いたします。
【二人目】
私が10年間ライターを務めた情報紙の人むすぶ、三陸応援メディア「河北新報 広域交流版」(2012年創刊)は、宮城県北・沿岸、岩手県南・沿岸に約10万部発行され、沿岸エリアの被災地では気仙沼市、南三陸町、陸前高田市、大船渡市に配布されていました。
よって沿岸の取材エリアは気仙沼、南三陸、陸前高田、大船渡が中心でした。
まぁ 宮城・仙台に本社がある新聞社が発行元なので、必然的に気仙沼と南三陸の取材が多かったように思います。
特に、広告のクライアント(広告主)として、南三陸町や南三陸ホテル観洋、さんさん商店街、ハマーレ歌津、平成の森などがあった関係で、なんとなく南三陸町との付き合いが深かったように感じます。
そんな中、南三陸ハマーレ歌津のオープンと平成の森しおかぜ球場の改修についての取材で、南三陸町役場の町長室にて佐藤仁町長にお会いして話を聞く機会がありました。
その際に私が佐藤町長に聞いた話は、これまでの復興の取り組みやハマーレ歌津(歌津の商店街)のオープン、さんさん商店街を含めた街の状況、平成の森しおかぜ球場の改修、今後のまちづくりについてなどです。
これまでの復興の取り組みでは、冒頭で天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)が来町された時の話をされ、その後の言葉の端々に、当時色々と苦労されたことが伺えました。
町長はハマーレ歌津のオープンに際し「伊里前商店街(ハマーレ歌津の旧名称)は仮設から仮設へ移転するなど、商店街の方々の苦労は並大抵ではありませんでした。紆余曲折を経たこれまでの歩みを思い返すと、感慨もひとしおです」と話されました。
私もハマーレ歌津とさんさん商店街(仮設設立当時の名称は南三陸町福興名店街でさんさん商店街は愛称だった)は、仮設商店街の初期段階から取材を重ねていた場所なので、私も町長とまったく同じ気持ちでした。
さて、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、佐藤町長は高校球児で、仙台商業高校時代に甲子園に出場(ヤクルトの八重樫と同級生)しております。仙台商業はサンドイッチマンのお二人の母校としても有名ですね。
なので、元高校球児の佐藤町長は、「平成の森しおかぜ球場」改修の話の際は少年のように目を輝かせて話が止まりませんでしたw
球場に甲子園の土と同じ土を採用した経緯やこけら落としで楽天のイースタンリーグ戦を開催することになったことなどを伺いました。
さんさん商店街とハマーレ歌津は私が新聞広告を担当し、取材でも度々訪れており、平成の森もしかりでした。小・中と硬式野球をしていた経験もこの取材では多少なりとも役に立ったと感じています。
ちなみに「ハマーレ」は、仲間になるという方言の「はまる」や「浜」とイタリア語の海を意味する「マーレ」を掛け合わせた造語です。
そうそう、さんさんとハマーレは、ともに隈研吾さん(国立競技場、高輪ゲートウェイ駅などを建築)の建築作品なので、その観点で見るのも楽しいと思います。
また今年も3.11が近づいてきました。
皆さんも南三陸町に行った際には、南三陸さんさん商店街や南三陸ハマーレ歌津、平成の森、南三陸ホテル観洋などにぜひ、お立ち寄りください。
続く。
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